第42話 消えない炎
岩山に囲まれた砂地の道を、黙々と歩く修馬とマリアンナ。空には灰色の雲が流れ込み、後方から吹く涼しげな風が2人の背中を優しく撫でた。
「早く、ユリナ様に追いつかなくては……」
マリアンナは時々思いついたように、その言葉を唱えている。こちらに言っているのではなく、友梨那を心配するあまり無意識に出てしまうただの独り言のようだ。
「けど、友梨那はパナケアの薬を手に入れたら、さっきのカタミラの町に戻ってくるんだろ? もしかしたらすれ違いになる可能性もあるんじゃないのか?」
「いや、それに関しては心配ない。私は人並み外れた嗅覚を持っていて、半里先の匂いでも感じることができるし、その対象がユリナ様であるならばよもや間違うはずもない。実際今もユリナ様の残り香を嗅ぎわけ、通ったであろう道を辿っているのだ」
整った高い鼻を犬のようにひくひくと動かし、得意気にそう語るマリアンナ。それ絶対嘘だろ。1里は約3.9kmだから、半里だとだいたい2kmくらいあるじゃないか。そもそも友梨那は鈴木友梨那であって、こっちの世界のユリナ・ヴィヴィアンティーヌとは全くの別人だからな。
「残り香って友梨那の奴、マーキングでもしながら歩いてるのか?」
つい口にしてしまう意地悪な冗談。さすがにこれは怒られるかと思ったが、マリアンナは真顔で鼻を動かすと、固まったままの表情で背後を振り返った。目尻の辺りがぴくぴくと痙攣する。
「……どうした?」
「まずい。追手が近づいてる」
「追手っ!? 王宮騎士団か!?」
静かに息を呑み、困惑した様子で頷くマリアンナ。
「この匂いは団長のもの。ミルフォード団長自ら、帝国まで追って来たというのか……?」
話をしている間に、辿って来た砂の道の遥か向こうに3頭の馬の影が見えてきた。あれがマリアンナの言う、アルフォンテ王国王宮騎士団か?
「逃げようっ!」
「駄目だ。この距離ではすぐに追いつかれる。勝ち目は薄いが、ここで返り討ちにするしかない」
剣の柄を握るマリアンナ。その白い手が微かに震えているのが修馬の目に映る。
「けど団長は強いんだろ? 無理に戦う必要はない。馬の脚からも逃げ切れる秘策が俺にはあるんだから!」
「……その秘策とは?」
懐疑的なマリアンナに対し修馬は無理やり笑みを作り、そして強引に彼女を背中におぶった。
「何をするっ!!」とか喚いているが、もはや知ったことではない。今はいち早くこの場を去ることを優先する。
「いいからしっかり捕まってろっ! 出でよ、『涼風の双剣』!!」
両方の手の中に現れる、緑の刀身をした美しい双剣。修馬が少し前屈みになると、双剣の先端から大量の風が吹き出した。このまま最大限まで出力する。
修馬は地面を駆ける。マリアンナを背負った状態だったが、1人の時と変わらぬ速度で風を切っている。これが火事場のくそ力というやつか。
これならば馬の脚にも追いつかれないだろうが、後は俺の体力がどれだけ持つかが勝負の分かれ目だ。
一抹の不安を抱えながら砂の地面を駆けていったのだが、しばらく走るとどういうわけか道の先に大きな炎の壁が広がっていた。
このままでは火の中につっこんでしまうと思い、慌てて風を止め履いているショートブーツを地面に滑らせブレーキをかけた。
バランスを崩した修馬は、マリアンナを背負ったまま前屈みに転倒する。辛うじて炎に突っ込むことは避けられたが、今は打ちつけた頬とおでこが結構痛い。
「ガチの火事場……? 道の真ん中に何でこんなものが?」
混乱する頭で辺りを見渡す。
周りは岩が転がる色気も何もない土地。火の気はないし、火を放ったと思われる人物もいない。もしや異世界ならではの自然現象か?
「ごめん! 大丈夫か?」
考えていても埒が明かないので、とりあえず修馬は倒れたマリアンナに怪我がないか確認をする。
「大丈夫だがこれは……?」
体に着いた砂を払い、何か恐ろしい物でも見るような目をして体を起こすマリアンナ。彼女にとっても、この炎の壁は不可解な現象であるようだ。
「ほう。お前が音に聞く、2人目の黄昏の住人だな」
自分たち以外誰もいないはずの場所で、くぐもったような男の声がどこからか聞こえてきた。
「誰かいるのかっ!?」
修馬は叫ぶと共に『王宮騎士団の剣』を召喚させた。声は聞こえるも、相手の姿は未だ確認出来ない。しかし自律防御の魔法が備わっているこの武器なら、不測の攻撃からも身を守ることができるだろう。
「上だわっ!!」
そう言ってマリアンナも剣を抜く。見上げるとそこには、茶色のローブを纏った怪しげな人物が頭上の先で、漆黒の翼を羽ばたかせていた。フードを深く被っているため顔を確認することはできないが、目だけが爛々と赤い光を帯びている。
「クリスタ・コルベ・フィッシャーマンはお前のことを殺したと思っていたようだが、生きていてくれるとは嬉しい誤算だ」
風穴の中で会った天魔族の女の名を出してくる黒き翼を持つ男。ということは、こいつも……。
「貴様、何者だっ!! 名を名乗れ!」
マリアンナは剣を掲げ相手を威嚇したが、黒き翼を持つ男はくぐもった声で「けけけけけっ」と声を上げた。
「マリアンナ。あいつはたぶん天魔族ってやつだ!」
修馬が説明すると、横にいるマリアンナは「て、天……? まさか……」と呟き、半歩身を退いた。
「わざわざ紹介ありがとう。そう我は天魔族、四枷の一角、ヴィンフリート・パシュレ・ゲイラー。古い文献を紐説いたことがあるのなら、天魔族の名くらい知っているだろう」
「勿論、聞いたことはあるが、天魔族は遥か古に絶滅したはずだ」
マリアンナが更に1歩身を退き答えると、ヴィンフリートの闇に覆われた目が強く光を放った。
「確かに我々は、愚かな人間どもに根絶やしにされかけた。しかし我らが祖は、人の手の及ばない辺境の孤島で僅かに生き延びていたのだ。一千年の嘆きを押し殺しながら……」
ヴィンフリートは懐から長さ50cm程の短い杖を取り出した。細やかな彫刻が施された黒き杖。そしてその杖を左右に振ると、先端から紫がかった怪しいオーラが吹き出てきた。
「大いなる力の根源たる火の精霊よ、その猛る灼熱で目の前の敵を焼き尽くし給え……、『地獄の劫火』!!」
黒ずんだ炎の塊が、天から地表に落ちてくる。王宮騎士団の剣に備わった自律防御では防ぎきれないサイズだと判断した修馬とマリアンナは、それぞれに散りその魔法攻撃を避けた。
「中々の素早い動き。しかし我の放つ炎は、大地を焼くように地面に留まる。いずれ逃げ場はなくなるであろう」
不吉な言葉を告げ、更に炎の魔法を繰り出してくるヴィンフリート。奴は空中に浮遊しているため、反撃することもままならない。修馬とマリアンナは、次第に炎で作られた壁の中に追い詰められていった。
「けけけけけっ。意外と簡単に終わりそうであるな」
首を揺らしてせせら笑うヴィンフリート。しかし次の瞬間、後方から飛んできた何かが宙に浮かぶヴィンフリートの黒き左翼の中心を貫いていった。
奴は「うっ!」と声を上げ、一瞬だけ高度を下げた。
何が起きたのかと思い振り返る修馬。すると50メートル程離れたところに3騎の騎士が佇んでいた。真ん中にいるのは修馬も見たことがある糸目の騎士、アルフォンテ王国王宮騎士団団長、ミルフォード・アルタインだ。
「ここで援軍が来るとは、かなりの武運。面白い……」
ヴィンフリートは赤い目を光らせ、そして首を小さく揺らした。