第41話 ハンドサイン
眠りから覚める修馬。
最近はこの瞬間がちょっとだけ緊張してしまう。現実世界なのか、異世界なのか? どちらの世界で目覚めるかの法則が、いまいちよくわかっていないからだ。
修馬は昨日、カタミラの町の病院でマリアンナにパナケアの薬を飲ませた後、自分は足の怪我が治っていたので町外れの安宿に泊っていた。今現在いる場所は、間違いなくその安宿のベッドの上。今日は昨日に続けて、異世界で目覚めたようだ。
ベッドから降りた修馬は身支度を整え、そして宿屋を後にした。病気のマリアンナのことが気掛かりなので、すぐに昨日の病院に行くことにする。
「おはよう!」
病室着いた修馬が中に入ると、そこには白衣の女と診察を受けているマリアンナの姿があった。しかもマリアンナは診察を受けているためか、上半身が肌蹴てしまっていた。斎戒の泉での出来事に続く、ラッキーサプライズ。
「貴様っ! 一度ならず、二度までもっ!!」
大声を上げられてしまったので、修馬は素早く病室の外に逃げた。
まあ、不幸中の幸いと言うべきなのかはわからないが、これだけ大声が出せるなら体の具合は悪くなさそうだ。
するとすぐに病室の扉が開き、肌着を着たマリアンナが顔を出してきた。
再び罵声を浴びせられるのだと思い薄く目を閉じると、彼女は「今支度を終わらせる。5分程待て」と言って扉を閉めた。怒られずに済んだようだ。やはり彼女もまだ本調子ではないのかもしれない。
数分の後、自前の鎧を身に纏ったマリアンナが以前会った時のような精悍な顔つきで病室から出てきた。
「待たせたな。では出発しようか」
「いや、昨日薬飲んだばっかりなのに大丈夫なのかよ?」
「当然だ。私を誰だと思っている?」
はっきりそう言われ、何も言い返せない修馬。しばらくすると今度は白衣の女が病室から出てきた。
「マリアンナさんには困ったものね。病気が悪化しても知りませんよ」
「やっぱり治ってないんじゃん」
呆れてマリアンナの顔を注視すると、彼女はむっとした表情で振り返った。露出度の高い鎧の隙間から、赤い発疹が目立つ素肌が晒されている。
「治っているとも。腫れはかなり小さくなっている。後は自然に回復するとのことだ」
「それは安静にしていればの話です」
マリアンナの説明に対し、素早くつっこみを入れる白衣の女。回復傾向にはあるものの、予断は許されない状況のようだ。
「時は一刻を争う。万が一病気が悪化したならば、その時は私を捨ててユリナ様の元へ向かうがいい。足手纏いになるくらいなら、私は迷わず死を選ぶ」
その場で振り返ったマリアンナは、己の意思を強く宣言した。何というか、やっぱりというか、めんどくさい女だ。
「ここでぐずぐずしてても仕方ないし、そこまで言うのなら一緒に行こう。友梨那はウィルセントとかいう町に行ったんだよな?」
「ああ。しかしユリナ様がこの町を発ったのは、2日前の早朝。早くともまだ帝都レイグラードには到着していないはず。それにレイグラードからウィルセントに向かう船は5日に1便程度。上手くいけば、帝都で会うことができるだろう」
それならば話が早い。目的地は西にあるという、グローディウス帝国の帝都レイグラード。修馬とマリアンナの2人は、白衣の女とお茶の水博士似の医者に礼を言い、颯爽と病院を後にした。
町の外れから長く伸びる道が山の方に続いている。その日の風は強く、空には大きな雲が比較的速い速度で流れていた。
「ここから西に向い、幾つかの町を越えれば帝都に辿り着くはずだ。一刻でも早くユリナ様に追いつかなくてはならない」
マリアンナはその鋭い眼光で遠くを見つめながら、道を真っすぐに進んでいく。後を追う修馬は、昨日聞けなかった質問を前を行くマリアンナにぶつけてみた。
「ちなみに一つ聞きたいことがあるんだけど、マリアンナはどうして『信濃の国』なんて知ってたんだ?」
当然、そんな言葉を異世界の人間が知っているはずはない。友梨那から聞いている可能性はなくもないが、わざわざそんなややこしい地名を異世界の人間に言うだろうか?
マリアンナは流れる雲を見つめると、「ああ」と薄い息を吐いた。
「そうか、シナノの国とはお前のいた世界にある国の名か」
「そうだよ。信濃の国は俺の出身地なんだ」
信濃の国とは廃藩置県以前に使われていた地方行政区分の名称で、現在の長野県にあたる所を指す名前だ。
「……はて? 以前会った時はニホンという国から来たと言っていなかったか?」
「わかり辛いかもしれないんだけど、日本っていう国の中に信濃の国があるんだよ」
「ほう、それは歴史的に色々あったのだろうな。今いるこのグローディウス帝国も多くの属国を支配する大国。ニホンという国もさぞかし大きな国なのだろうな」
マリアンナに言われるが、修馬はそんなことはないと首を振った。
「いや、世界的に見れば東のはずれにある小さな島国だよ」
「そうか。しかしその小さな島国にあるシナノの国という地域から、2人の人間がこちらの世界に来ているというのは一体どういうことなのだろうな?」
彼女の言うその2人とは、始め自分と友梨那のことを言っているのかと思ったのだが、どうもそうではなかったようだ。この後マリアンナは、信濃の国という言葉を聞いた経緯を語りだした。
「私はこの旅で立ち寄った町のどこかで、性質の悪い魔法使いの噂を耳にしたんだ。四大元素の全てを操るという、規格外で鼻持ちならない魔道士。そいつの出身地が今まで聞いたこともない国名だったんで、よく覚えていたのだ」
「成程、四大元素……」
少しだけいつぞやの記憶がよみがえる修馬。確かマリアンナの妹アシュリーとその祖母が住んでいる山小屋に行った時も、同じ話を聞いた覚えがある。何とかの国から来た、四大元素を操る謎の物乞い。
しかしその何とかの国が、まさか信濃の国だとは思いもしなかった。俺と友梨那以外にも、あの地元からこの異世界に転送されている奴がいるかもしれないというのだ。
気持ちが徐々に高ぶってくるが、よく考えると確か風穴の中で天魔族のクリスタ・コルベ・フィッシャーマンが、俺以外の黄昏の住人をすでに捕らえたと言っていたはずだった。もしかするとそれが、信濃の国出身の奇跡の青年なのだろうか? 折角出会いそうだった現世の仲間なのに、どうしてお前は捕まってしまったのか? 天才魔道士の称号は一時保留にしておこう。
一人がっかりして顔を下に向ける修馬。歩く速度も遅くなると、前を歩くマリアンナが檄を飛ばしてきた。
「まあ、そんな魔道士のことなどどうでもいいだろう! 今、一番大事なのはユリナ様のことだ。そうだろう、シューマ?」
急に名を呼ばれ軽く動揺を覚える修馬。マリアンナに名前を呼ばれたのはこれが初めてである。
「何だよ。よく俺の名前覚えてたな?」
「こう見えて、物覚えは良い方だ。それに、ユリナ様も時々お話になっていたからな」
「へー、友梨那の奴がねぇ」
少しだけ満更じゃない顔をしてしまったのが運の尽き。「時々と言っても、話の全体としては一分にも満たない程度だ。しかも話題がなくなったので、仕方なくお前の話をしただけ。調子に乗るなよ下郎っ!」と、殊更に否定されてしまった。俺、割と命の恩人のはずなのに……。
この人に口喧嘩では勝てないと悟った修馬は、ただただ申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
それを見たマリアンナは顔を仄かに赤らめながら「ふんっ」と鼻を鳴らし、お腹の辺りを左手で円を描くようにゆっくり動かした。突然の不可解な行動。
「どうしたの? まだ、体の調子がおかしいのか?」
修馬がそう聞くと、マリアンナは少しだけむっとした様子で「これはハンドサインだ」と教えてくれた。
「ハンドサインか。どういう意味の?」
マリアンナは前を向いたまま「ゴホンッ」と咳きこむと「ありがとうという意味だ」と言い難そうに答えた。
はい、ツンデレいただきました。
パナケアの薬のおかげで、少しはパワーバランスがフラットになってきたようだ。これは良い傾向。
「じゃあ折角だから、俺も俺らの世界のハンドサインを教えてあげるよ」
修馬はそう言うと、早速片方の下瞼を指で下げ思いっきり舌を出して顔を揺らしてみせた。これは人を侮蔑する時に使う、いわゆるアッカンベーというやつだが、当然それを知らないマリアンナは、ただ虚を突かれたように目を丸くした。
「それはどういう意味だ?」
「これはありがとうに対して、どういたしましてって意味のポーズさ」
知らないことをいいことに嘘の説明をする修馬。だがさすがに無理があるのか、マリアンナは眉を強くひそめている。
「お礼の返し方としてはいまいち不適切な表現に感じてしまうが、これが文化の違いというものなのだろう」
勝手に自己解決してくれるマリアンナ。口喧嘩では勝てそうにないが、この真っすぐな性格を逆手にとれば、意外と簡単に扱えるのかもしれない。
マリアンナの攻略に関して一筋の光明を見出した修馬は、先を歩く彼女を追い越しその前を歩きだした。マリアンナも負けず嫌いな性格なのか、すぐにそれを追い越していく。
そんなことを繰り返しながら2人は競うように、長く続く乾いた道を早足で突き進んでいった。