第3話 聖域の守人
似合いもしないベージュのワンピースを着た修馬は、がむしゃらにサンドイッチをかじっていた。この山小屋まで水を運んだお礼に、食事をご馳走になっているのだ。見知らぬ異世界での初めての朝食と女性物の衣装。プライスレス。
バゲットのようなパンの間には、塩気の効いた生ハムと仄かに甘いクリームチーズが挟まれている。かぶりつくと生ハムの高貴な香りと、まったりとしたクリームチーズの味が舌の上でゆっくりと溶けていった。
「うまっ、パンうまっ!」
そして白い皿の上に盛られた大きな丸いオムレツ。ホールケーキのように三角形にカットされているそのオムレツを1つ取り、フォークの横に小さく切り分け一口頬張る。ジャガイモや玉ねぎなどの具がたっぷり入った固焼きのオムレツだ。世間一般的にはオムレツといえば半熟が良いとされているが、俺は誰に何と言われようが玉子料理は固焼きが好きだった。つまり異世界最高ということ。
「お姉さんの料理、滅茶苦茶旨い!」
そう言うと、目の前の肌の綺麗な女性は目を細め笑顔を作った。お姉さんとは呼んだが、この女性、実は金髪の女の子の祖母だという。辛うじて笑った時に、目元と頬に年齢を感じることができるが、基本的には信じられないくらい若々しく見える。孫が魔法を使うくらいだから、おばあちゃんも美魔女というわけだ。強引に納得。
「ありがとう。お口に合って良かった」
美魔女ははにかんでそう言うと、ダイニングテーブルの上に木皿に盛られたサラダを置いた。数種類の豆が乗った彩の良いサラダだ。これもまた、旨そう。
「アシュリーも好き嫌い言わないで食べなきゃ駄目よ」
「えー、お豆おいしくなーい」
アシュリーと呼ばれた金髪の女の子は、親切にサラダを取り分けてくれている。渡された取り皿には、少量の葉っぱとたっぷりの豆が乗せられていた。
「豆は美容効果が高いから食べたほう良いんだぞ」
修馬は先日テレビで観た内容を、さも得意気に伝えた。だが女の子は懐疑的な眼差しだ。
「それって綺麗になれるってこと? じゃあ『黒髪の巫女』様みたいに美人になれるかなぁ?」
「黒髪の巫女?」
それは誰なのかと思い美魔女に目を向ける。だが彼女は表情が固まったまま動かなくなってしまった。禁忌に触れてしまったかのような微妙な空気感。
「そ、そういえば、あなたも黒い髪なのね。珍しいわ」
取ってつけたような美魔女の言葉。だが金髪の女の子も修馬の髪の毛をじっと見つめている。そんなに黒い髪が珍しいのだろうか?
「俺の国では基本的に皆、黒髪なんですよ。そうだ、お姉さんは日本っていう国は知ってますか?」
そう聞いたのだが、美魔女はゆっくりと首を捻った。
「ニホン? ごめんなさい。ちょっと聞いたことがない国名ね。どこかの小国かしら?」
「いや、知らないのなら良いんです」
泉で出会ったタヌキ顔の美少女は、日本という国名を知っていた。もしかしたら他にも日本について知っている人がいるのかもしれないと淡い期待を抱いたのだが、その思いは儚く散っていった。やはり、元の世界に戻るには、もう一度彼女と出会う必要がありそうだ。修馬はサラダの豆を舌の上で転がしながらそう思った。
「ところで物乞いのにーちゃんは、何て名前なの?」
突然女の子が横から聞いてくる。
「俺の名前は修馬。広瀬修馬だ」
「シューマ? 変なの。女の子の名前みたい。あはははは!」
名前を聞くなり、楽しげに笑う金髪の女の子。
美魔女に聞いてみるとシューマはおとぎ話に出てくる女の子の名前に似ているのだそうだ。不思議の国のアリスのアリス的な名前なのかもしれない。修馬インワンダーランド。ここが不思議の国というなら、まあ間違いじゃない。
「けど、旅の方気を付けてくださいね。この国は隣国と戦争になりかけている状況で、治安の方もあまりよろしくないんですよ」
一通り料理を出し終えたのか、美魔女もそう言って席についた。
「戦争? それは穏やかじゃないですね」
戦争とは現実世界でもよく耳にする言葉ではあるが、実際に経験したことのない修馬にとっては、今いる世界を同じくらいリアリティに欠ける言葉でもあった。
「治安の悪化で、こんな山奥にも追いはぎが出るようになったんですねぇ」
女の子は大人の言葉を真似するように言った。まあ、追いはぎは修馬の狂言なのでどうでもいいが、先程出くわした蜘蛛の化け物には驚かされた。あれはこの世界に普通に生息している生き物なのだろうか?
「この辺りには変わった生き物がいるんですね」
修馬がそう質問すると、女の子も続けて口を開いた。
「そう。水汲みに行った時に、川の側に土蜘蛛がいたの!」
「土蜘蛛? 『魔霞み山』の魔物が聖域に現れたの?」
美魔女の顔から表情が消えた。やはりこの世界でもあれはヤバい生物のようだ。
「最近、良く出るんだよ。土蜘蛛とか小鬼とか」
女の子は化け物のことを日常会話のように話す。化け物を瞬殺するこの女の子も、俺にとってはじゅうぶんヤバい生物に違いない。
「これも戦争の影響かしら? 帝国は魔物を兵として育ててるって噂だけど、本当かしらね」
美魔女はその細い顎を手で押さえ何かを考え込んでいる。帝国とはどの国を指して言っているのだろう? そもそも帝国の定義がわからない。
「シューマはニホンっていう国から来たっていってたけど、ニホンはグローディウス帝国の同盟国じゃないよね?」
女の子はサラダを食べつつ質問してきたのだが、それを聞いた美魔女の顔色が一気に青くなった。その女の子の言い方から、そのグローディウス帝国が戦争になりかけている隣国のことだと理解する。
「違う違う。日本は平和な国だから大丈夫だよ」
何が大丈夫なのかはよくわからないが、修馬はそう言った。美魔女は安堵の表情を浮かべる。
「そういえば先週も追いはぎにあわれた方がここに迷い込まれたけど、あの人も聞き覚えのない国の方でしたね。何て国だったけ、アシュリー?」
「うーんとねぇ、何とかの国って言ってた!」
女の子は自信満々にそう答えるが、何とかの国ではまったくわからない。まあ、はっきり国名がわかったところで、さっぱりわからないのだろうが。
「俺みたいに、身ぐるみ剥がされた人が他にもいたんですね」
修馬が自身の着ているワンピースに目を落とすと、目の前の女の子がサンドイッチをかじりながら眉をひそめた。
「うん。けど何だか、いけ好かない奴だったよ」
「アシュリー、そういうこと言わないの」
それを諌める美魔女。まあ、どこの世界にも性格の悪い奴はいるもんだ。勿論、俺のいた世界にもそんな奴はごまんといる。
「あっ、けど魔法の才能は無駄に凄かったね!」
そう言うと、女の子は急に目を輝かせた。180度変わるその人物の評価。修馬はいけ好かない魔法使いを想像する。金髪のオールバック。気位が高く、自分に逆らうものは如何なる手段を用いても貶める。そんなキャラクターが某ファンタジー作品にいたような気がしないでもない。
「魔法って、さっきアシュリーが使ってた光の玉みたいなやつか?」
「うん。まあ、光術は使えなかったけど、火、風、水、土の四大元素、全部使いこなしてからびっくりした」
アシュリーは感嘆の息をつきながら美魔女を見つめる。
「そうね。魔法が使えたとして普通はどれか1つの属性に偏ってて、時々2つの属性を扱う優秀な魔法使いはいるけど、4つとなると、よほど位の高い精霊の加護があるのでしょうね」
「まあ、碌でもない奴だったけどね」
「アシュリー!」
美魔女はアシュリーを諌めると、修馬に向かって乾いた笑みを浮かべた。何となくだけど、美魔女も本当はそいつのことを碌でもない奴だと思っているような気がした。
「ふーん。けど魔法が使えるのに敢えて追いはぎを撃退しなかったんなら割と良い奴っぽいけどな」
修馬が感じた素朴な疑問。それを聞くとアシュリーは自信に溢れた表情で腰に手を当てた。
「違うの。魔法はアシュが教えてあげたんだよ!」
「えっ、そうなの?」
そのいけ好かない奴は魔法使いではなかったのだが、アシュリーが魔法を教えてみると見事に才能を開花させた。という話のようだ。
「俺も教わったら使えるようになるかな?」
折角、魔法の世界に転送されたのだ。ここで自分が魔法を使えるようになるのは、もはや、必然といっても過言ではないだろう。というか、使えるようにならないと魔物に食べられちゃう。
「知ってる? 魔法は約9割が才能だって言われてるんだよ。シューマくらいの年齢で魔法が使えないんだったら、それは魔法の才能がないってことだね」
フラグは立っているのに、小さな魔法の先生は中々それを認めてくれない。先生、それでも俺は魔法が使いたいです!
「違くて、俺の国では魔法っていう概念がそもそも無かったんだ。だから使えなかっただけで、もしかしたら隠れた才能があるのかもしれないって思ったの。ほら、俺、軽く引きこもりだったから、闇属性の魔法とか使えそうじゃない?」
修馬が一息でそう言うと、美魔女とアシュリーの2人は呆れたように首を傾げた。
「魔法の概念がないって凄いわね。シューマは『マナ』と『オド』っていうのを知ってる?」
美魔女は子供に言い聞かせるように言ってくる。だが、これはどこかで聞いたことがあるような気がする。
「ああ、双子の姉妹の名前かな?」
「ごめんなさい、全然違うわ。『マナ』は自然界に溢れる魔法の根源のことで、『オド』は術者の持つ魔法の根源。この2つの波長がうまく合えば、魔法として使用することができるの」
美魔女が右の手のひらを前にかざすと、その上に小さな光の玉が現れた。アシュリーと同じ光の魔法。
「けど、闇系統の魔法は止めた方がいいよ。元々魔族が使う術だし、並の魔法使いが持ってるオドの量じゃ術に呑み込まれちゃって大変なんだよー」
アシュリーは宙に大きな円を描きながら、そう訴える。闇魔法はイメージ通りヤバい術のようだ。中二病も発症するし、良いとこ無しだ。
「そうなんだ。まあ、魔法が使えるなら炎系でも、氷系でも、何でも良いんだけど」
できれば雷系とかかっこいい属性が良いなあと思いつつ謙虚にそう言うと、山羊のミルクを飲んでいたアシュリーが急に席を立ちあがった。
「だったら調べてあげるよ。シューマの持っている魔法属性!」
そう言って部屋の奥に移動するアシュリー。そして踏み台に上り、戸棚の上に置かれた小さなオブジェを手に取る。
「何それ?」
修馬が聞くと、アシュリーは「ペンデュラムだよ」と言って手渡してきた。ピラミッド型の道具。四角すいの鉄の骨組みの頂点に振り子がぶら下がっており、底面にはコンパスのような文字盤が描かれている。ただその文字は日本語でもなければ、アルファベットでもなかった。初めて目にする記号のような文字。
「それを左の手のひらの上に乗せてみて」
アシュリーが言うのでその通りにしてみる。そしてじっとしてと言われたので、それも素直に実行する。何かダウジングのように振り子に影響が出るのだろうが、今のところ振り子は微動だにしない。
「揺れてないでしょ」
「揺れてないねぇ」
「これはシューマに魔法の才能ないっていうことだよ」
遠慮のないアシュリーのストレートな言葉が、修馬の胸にぐさりと突き刺さる。
「えー! じゃあ、さっきみたいに魔物と遭遇したらどうすればいいの?」
「棒で叩けばいいじゃん」
「棒っ!?」
コロンブスのたまご的発想に度肝が抜かれる。そんな泥棒猫を追い返すような方法で、あの化け物が倒せるのか?
「アシュリー、いい加減なこと言わないの。棒で倒せるわけないでしょ」
美魔女はそう言って諌める。危うく騙されるところだった。コロンブスではなく、マリー・アントワネット的な発想だったようだ。
「やっぱり棒じゃ倒せないか。じゃあ、剣術でも習うしかないねぇ」
再びアシュリーの提案。まあ、ロールプレイングゲームで剣士といえは王道中の王道だし、これは悪くない。だが運動神経の鈍い自分に、剣術の才能があるとは到底思えない。
「剣術かぁ。俺にそんな才能はあるかな?」
一応聞いてみたが、2人とも見事にノーリアクションだった。解るよ。俺、弱そうだしね。
「ああ、そうだ。この子のお姉ちゃんはアルフォンテ王国の王宮騎士団に所属してるんですよ。もしお城に行かれるんでしたら訪ねてみてはいかがですか?」
美魔女にそう言われると、修馬は頭の奥で何かを思い出した。
「王宮騎士団? ああ、そういえばさっき森の中の泉で、そんな格好で歩いている者は王宮騎士団に首をはねられるだろう。キリッ。とか言われたような気がする」
「おやおや。斎戒の泉で、誰かとお会いしたんですか?」
何か驚いた顔をする美魔女の言葉を聞いたところで、去り際、金髪の女戦士が言っていたもう1つのことを思い出した。
ここで我らに会ったことは絶対に口外してくれるなよ。
彼女はそう言ってたのだ。所詮口約束だが、一応黙っておくのが筋だろうか?
「いや、あのー、そのー、アレです。狸と狐に会っただけです」
無理のある言い逃れで危機回避を計る。するとアシュリーが「シューマ、凄い! 狸の言葉が解るのっ!?」と言って、必要以上に驚いてくれた。純粋さが眩しすぎて、目を合わせられない。
「まあ、狸に剣術は習えませんから、紹介状を書いてさしあげますよ」
そう言って隣の部屋に移動する美魔女。これはもしや、その王宮騎士団とやらに入団しなきゃいけない流れか?
全くの素人が急に入って何とかなるものとも思えない。とはいえ魔法使いの道はほぼ絶望的なので、何としてでも剣術を学ばなければこの先、生きていけなくなる。
「ところで、アシュリーのお姉ちゃんって怖い?」
滅茶苦茶小声で尋ねる修馬。しかしその意図がわからないアシュリーは大きな声で「お姉ちゃんはとっても優しいよぉ!」と答えた。
「ふふふ、心配しなくても大丈夫。今、王宮騎士団は私兵育成のために剣術教室を開いておりますので、この紹介状を渡せば、無償で剣術の基礎を教えて貰えるでしょう」
戻ってきた美魔女はそう言って封筒を渡してくる。修馬それを素直に受け取った。
「そんな習い事みたいな感じで教えてくれるんですね。ちなみにアシュリーのお姉ちゃんは、名前何ていうんですか?」
美魔女は姿勢を正すと、薄く微笑み、そして口を開いた。
「名前はマリアンナ。王宮騎士団副長のマリアンナ・グラヴィエに、この紹介状を渡してみてください」