第38話 降臨した理由
よくわからない謎の魔物の出現によって遊んでいる雰囲気ではなくなってしまったため、着替えを済ました3人はまだ日差しの強い学校からの帰り道をとぼとぼと歩いている。
「さっきのはびっくりしたよね。先生や警察に言っても信じてもらえなさそうだし、どうしたらいいかなぁ」
さもすると深刻な空気になりそうなので少しおどけてそう言ったのだが、守屋は変わらず真剣な表情をしている。それはそうだろう。いきなりあんなものを見てしまったのに、危機感を持つなと言う方が間違いである。
「私、最近、聞いたことがあるの」
不意に口を開く守屋。修馬は目を大きく広げ「何を?」と聞き返した。
「この辺りで妙な生き物が目撃されているっていう噂……。広瀬くんは聞いたことない?」
「妙な生き物?」
そのような噂は聞いたことがない。まあ、1学期は基本家に籠っていたので知る由もないのだが、実際、妙な生き物は何度か遭遇してしまっている。棍棒を手にした、褐色人型の魔物。『人喰い』と呼ばれる凶暴な戦鬼。そして先程見た、正体不明の水の魔物。
この異世界の魔物と思われる生き物が、こっちの世界の人間の目に触れられていいるというのならば非常に由々しき事態だ。いずれは被害者も出てしまうだろう。
「うちのクラスでも一部の女子の間で妖怪を見たって話題になってて、それでこの間の夜、降霊術を使ってこちらからその妖怪を呼び寄せてみようってことになったの」
守屋は眉を寄せ、目を細めた。忌々しい記憶を思いだすかのように。
「降霊術って、この前のコックリさん!?」
「そう。コックリさんを改良したオリジナルの降霊術。妖怪の話は正直半信半疑だったけど、まさか本当に化け物が現れるとは思わなかった……」
そうだ、思い出した。あの時他の女生徒たちは気絶していたのだが守屋だけは意識があり、戦鬼のことも、はっきりと目視していたのだ。この世にいるはずがない異形の生物。
「変な話かもしれないけど、友梨那も広瀬くんもあの化け物が何なのか知ってるんでしょ?」
真実を暴こうとするジャーナリストのように、守屋は語気を強める。あの化け物たちが異世界の魔物だというならば、
確かに修馬はそれを知っていることになる。だがわかっているとはいえ、自分と友梨那が現実世界と異世界を行き来し、異世界の魔物も2人と同じように現実世界に現れるようになったと言っても、すぐに信じては貰えないだろう。そもそもどうしてそうなってしまったのかもよくわからないわけだから。
修馬と友梨那が困ったように口をつぐむと、守屋は少し哀しげに俯き、そして今一度こちらに視線を向けた。
「広瀬くんが宿してる守護霊……、いや、守護神って本当に建御名方神なのですか?」
「た、タケッ!?」
修馬自身もはっきりと覚えていないタケミナカタの正式名称をすらすらと言われ、逆にこっちの舌がもつれてしまう。タケミナカタって、そんなにメジャーな神様なのか?
「守屋さんはタケミナカタのこと知ってるの?」
「大国主神の御子神で、諏訪大社の主祭神……」
守屋は呪文でも言うように静かに呟く。しかしそれに対し修馬はうまく返答することができない。タケミナカタって、諏訪の神さまだったのか。しかし同じ県内とはいえ、何故長野市に? 長野市と諏訪市ではだいぶ距離がある。
「そう。儂は剛毅木訥、金科玉条の軍神、建御名方神である!」
噂をしていると、修馬の右肩の上にハンドボールサイズのタケミナカタがいつもの調子で出現してしまった。
「儂のことを知っているとは見上げた娘じゃ。褒めてとらすぞ」
上から目線のタケミナカタに、守屋は恭しく頭を下げる。何、この神様コント? というか、タケミナカタの姿は俺と友梨那にしか見えなかったはずでは?
「珠緒も、タケミナカタのことが見えてるのね」
友梨那がそう聞くと、守屋は目に涙を浮かべこくりと頷いた。何の涙なのかは正直見当もつかない。
「このような尊い存在を目の辺りに出来るとは、思いもしませんでした」
守屋は涙を拭い目に力を込め、そしてタケミナカタに向かって手をかざした。
「恐み畏みも白す……」
その細く白い指の手のひらが薄い光を宿すと、ハンドボールサイズのタケミナカタは全身に眩い衣を纏った。そして修馬の肩からひょいと飛び降り、そのまま人型の姿へと形を変化させていく。
「うむ、あの振鼓の杖とかいう世にも恐ろしい武器のせいで一時的に力が弱まっていたが、これで少しは安定してきた。感謝するぞ」
何時になく素直に礼を言う人型のタケミナカタ。まるで守屋の力によって、タケミナカタが元の姿に戻れたかのように見えたが、これは一体? 修馬が武器を召喚出来るように、友梨那が光術を使えるように、彼女にも何か不思議な力があるというのだろうか? その答えは本人の口から、直接語られた。
「守屋家は元々、神職の家系なんです。私の家は分家なのですが、そういった力が多少なりとも宿っているみたいで、人には見えないものも見えたりするんです」
守屋の言葉を聞くと、タケミナカタは感慨深そうに二度程頷いた。
「道理で道理で。あの守屋家の娘っ子であったか。そなたのおかげでおよそ千年振りにこの姿に戻れたわけだが、今は少し疲れてしまった。儂はこれから眠りに着くのでいずれ会おう。失礼」
身勝手なことを言って、泡のように姿を消してしまうタケミナカタ。残された修馬と友梨那と守屋の3人は言葉もなく互いの顔を見つめ合った。辺りには蝉の声が競うように鳴り響いている。
守屋は1人ゆっくりと歩を進めると、何かを思いついたようにぴたりと立ち止まった。
「建御名方神が現れるようになったのって、もしかして最近のこと?」
「うん。そうだけど……」
修馬は正直に答える。タケミナカタのことをはっきり認識したのは夏休みに入ってからだ。
「こうして魔物が現れるようになったことと、建御名方神が降臨してきたことには何か因果関係があるような気がするの」
守屋は言う。確かにタイミング的にそれは同じ時期。そう考えるのは至極自然な流れだろう。そして、修馬や友梨那が異世界に転送されるようになったのもまた同時期である。
守屋はその場でくるりと振り返り、迷いのない真っすぐな視線をこちらに向けた。
「私、戸隠にある父の実家に行ってみる。あそこに行けば今回のことについて少しはわかると思うの」
―――第9章に続く。