第37話 晴天の霹靂
慌ただしく波立っているプールの表面を見つめ、修馬はゆっくりと呼吸を整えた。
友梨那の強力な光術が効かないとなると、ここはやはり俺の出番か?
そんな思いで一歩足を踏み出すと、いきなり水の中から小型の魔物が飛び出てきた。武器召喚が間に合わなかった修馬は、それをのけ反って避けた。
「プールの中に、化け物が現れたわよ!!」
そう言ってきたのは外でもない。プールの中にいた小型の魔物自身。
よくよく見てみると、魔物だと思っていたものは、友梨那を加護しているディバインという爬虫類型の神様だった。
「紛らわしいなっ! 大体何だよ化け物って!? お前のことじゃないのか?」
「なっ!? うつけ者っ!! わらわのどこが化け物なのよ!」
バタバタと激しく翼を羽ばたかせるディバインは、友梨那の頭の上に着地すると、ぶるぶると体を振り水滴を飛ばした。
「ふむ。確かにまだ何かがおるようじゃな」
時同じくして、タケミナカタも修馬の傍らに姿を現す。しかも前日の時のような長身、長髪の人型の姿。このサイズで急に出てこられると、正直肝を冷やす。
「何で人型なんだよっ!?」
「まあ、それはどうでもよかろう。それよりも、水風呂の中におる化け物は液状の魔物のようじゃぞ」
「液状の魔物……?」
水風呂じゃねぇよと心の中でつっこみを入れつつ、プールを覗き込む修馬。液状の魔物とは、スライムのようなものだろうか?
しかしまあ、プールの中に現れるとは都合が良い。俺の水中での機動力を思い知らしてやる。
「出でよ、涼風の双剣!」
一か八か、異世界の武器の召喚を試みる修馬。両方の手の中には見事、想定通りの武器が召喚された。タケミナカタが人型の姿をしていたので試してみたのだが、やはり彼は今日も調子が良いようだ。
そもそも格好いいところを見せるつもりだった修馬は、後先考えずに水の中に飛び込んだ。涼風の双剣の力を借りてプールの中を突き進み、そしてその勢いのまま敵を斬りつける。そういうプランだ。
しかし何故なのか飛び込んだ瞬間、修馬の中で何かおぞましい程の恐怖感が唐突に沸き起こった。未だかつてない激しい動悸。修馬は双剣を手放すと、慌てて水面から顔を上げた。
うろたえる修馬を察したのか、友梨那が目を丸くして「ど、どうしたの!?」と聞いてくる。
「お、泳げなくなった……」
「元からじゃなくて、急にっ!?」
そう。友梨那が言うように、急になのだ。修馬は幼い頃スイミングスクールに通っていたので、泳ぎには自信があった。それなのに今感じているのは、水の中に顔を浸してしまうことへの恐怖心。
これは多分あれだ。異世界で流水の剣によって作られた巨大な水泡に閉じ込められてしまった時、そして涼風の双剣の勢いで湖にダイブしてしまった時と同じ恐怖心。
つまり、この2つが絶望的なトラウマになってしまっているようなのだ。武器を召喚できる特殊能力と引き換えに、カナヅチになってしまうという聞き覚えのある設定。これは神様の力ではなく、むしろ悪魔の力なのではないだろうか?
「すぐにプールから上がって!!」
守屋が何時にない大きな声で叫び、反対側を走る。それに合わせて膨らんだ水面が守屋の方に移動し、そして竜巻のような水流が大きく立ち昇った。
「駄目だっ! 守屋も逃げろ!!」
半ば無意識に涼風の双剣を召喚させた修馬は、風の力によって勢いよくプールを飛び出し、そして体を横に回転させ竜巻を何度も斬りつけた。飛び散る水しぶき。
だが、渦状に立ち昇る水流に弾かれると、修馬はプールの端まで飛ばされ、フェンスに勢いよく激突してしまった。
「大丈夫か?」
丁度その場にいたタケミナカタが無愛想に聞いてくる。滅茶苦茶痛いけど、怪我はしていないようなので「とりあえず」とだけ答えた。
「あの魔物、実体が液状じゃから、物理攻撃は通らぬのかもしれぬなぁ」
「それはわかったよ。攻撃した時にまるで手ごたえがなかったからな!」
双剣を投げ捨て己の手を見つめる修馬。物理攻撃は通用しないし、友梨那の光術も効かない。では如何なる攻撃をすればいいのだろうか?
その時修馬は、召喚できる武器の中で、強力な魔法が備わっていそうな武器があったことを思い出した。あれを使用すればもしくは、魔導師の真似ごとくらいはできるのではないだろうか?
「そうだ、これに賭ける! 出でよ、振鼓の杖!!」
手の中に出現する大きなでんでん太鼓。大魔導師と言われているココが持っていたこの杖なら、間違いなく魔法的な何かが出来るようになるはずだ。
「なあ、タケミナカタ! この武器には何かの魔法が備わってるんじゃないのか?」
そう聞いたのだが、当のタケミナカタはいつの間にかプールの逆サイドにある更衣室の前に立っていた。しかも遠くにいてもはっきりわかる程の仏頂面で。
「儂、その武器嫌い」
「何でだよっ!! 神様のくせに差別すんな!」
だだをこねるタケミナカタに説教する修馬。まじで意味がわからないし、何か調子狂う。
「あはははははははは」
タケミナカタの代わりに、無駄に陽気なディバインが修馬の頭上を飛び、旋回している。
「良いわね、その武器。多分、稲妻の魔法を宿しているわよ」
頭の上に着地したディバインがそう教えてくれる。
「稲妻っ! マジで!?」
テンションが上がる修馬。やった、格好いい奴だ。使い方はわからないが、稲妻と聞いた瞬間、持ち手部分から静電気のようなものを微かに感じるような気がしてきた。こうなったらやってやる。雷属性魔法。
「喰らいやがれ、サンダーボルトッ!!」
適当に魔法名を叫ぶと、晴れていた上空が薄く曇り、細い閃光が天からプールの中に降り注いだ。体の芯に響く爆音を受け、後に静まるプールの水面。音には驚かされたが、一瞬だけ見えたその稲妻の大きさは想像していたものよりずっと小さいサイズだった。あれで魔物を倒すことが出来たのだろうか?
「凄い。それ、ココの魔法杖ね」
肩にバスタオルを羽織った友梨那が、こちらに歩み寄る。修馬は手を持ち上げ、杖の飾り部分に目をやった。動かした拍子に、でんでん太鼓がカロンと音を立てる。
「う、うん。けど、今ので倒せたかな?」
「気配は感じないけど、どうかな?」
そう言って辺りを窺う友梨那に対し、横でプールの中を覗き見ていた守屋は、首を振りため息をついた。
「逃げられちゃったみたい。瘴気も感じられない……」
普通に考えれば、何故守屋がこんなにも冷静でいられるのか不思議に感じるところなのだが、今の修馬は心が大きく乱れていてそんなことに考えが及ばない。ただ瘴気って何だろうと頭をひねらせるだけだった。
魔法の影響で現れていた雷雲はあっという間に消え失せ、夏の日差しが戻りと、蝉がまた競うように鳴きはじめた。プールサイドに立つ3人の生徒は何処ともなく視線を動かし、姿を消した魔物の影をいつまでも追っていた。