第33話 白衣の天使か悪魔
流れの消えていた風穴の中に、今、一陣の風が吹き抜けている。涼風の双剣を使い、風を起こしながら駆けているせいだ。
ゴオオオオォッ! という重低音が洞窟内に響く。起爆の恐れがあるコウモリ型の土塊は未だに2匹とも修馬の後を追ってきていた。あれからうまく逃げ切り、ここを抜けられることができるだろうか? ここを抜けるとその先に町があると、ハインは言っていた。今は何とか無事そこに辿り着けることを祈るばかりだ。
先に進むにつれ洞窟内の通路が徐々に広がっていく。こうして走るには広い方が都合が良かったが、少しだけ油断が生まれたせいか、修馬はちょっとした段差に躓いてしまい、派手に地面を転がってしまった。
「あっ、いってっ!!!」
装備していた綿織物の鎧が地面に擦れ熱を発する。うつぶせに倒れた修馬は、口の中に入った砂を何度も地面に吐き出した。最低の気分だ。そして後ろからやってきた2匹のコウモリ型の土塊がゆっくりとした速度で降下してくる。
視線を動かしそれを観察する修馬。すると後を追うか、周りを旋回しているだけだったその土塊が、修馬の顔の横にボトリと落下してきた。冷や汗と共に嫌な予感が浮かび上がる。タケミナカタは言っていた。刺激を与えると、その土塊は起爆する。
ようやく自分の状況を飲み込んだ修馬は、体を大きくうねらせエビのように横に跳ねた。
「うわっ!!」
頭部を腕で押さえ、地を転がる修馬。だが、幸いにもコウモリ型の土塊は起爆することなく、そのまま地面の中に溶けるように沈んでいってしまった。
「……クリスタとかいう女の、魔法有効距離から外れたということか?」
よくはわからないが、爆死する危機からは逃れることができたようだ。痛む足を押さえ、そこから立ち上がる修馬。
手にしている双剣を地面に投げ捨て、腰のベルトに掛けていたランタンを前に掲げる。視線の先に微かな光のようなものが確認できた。どうやら出口は近い。
ほっとした気持ちでしずしずと歩を進めていく。先の方からは水の流れる音が聞こえてきた。近くに川でもあるのかもしれない。
真っ暗な洞窟の入口から白い日の光が斜めに差しこんでいる。眩くも神々しい光の帯。
修馬はランタンの火を消し、その光の溢れる外の世界に歩み出た。白い光に包まれ薄く目を閉じる。そして慣れてきた目を静かに開けると、夕暮れの近い空と涼しげに流れる渓流が目に映った。
「何とか助かったか……」
ここでようやく命が助かったことを実感する修馬。生きてて本当によかったのだが、残してきたハインは大丈夫だろうか?
風穴内にある白竜の間にいたクリスタ・コルベ・フィッシャーマンと名乗るその女は、自ら天魔族だと言っていた。大魔導師ココ曰く、天魔族は魔族の頂点に立つやばい種族。今更自分が戻ったところで何の助けにもならないだろう。
それにしてもハインとクリスタは知った仲のようだったが、あれはどういうことなのだろう? ハインもやはり、クリスタやサッシャと同じ天魔族だということなのだろうか? だったら尚更、戻らない方が得策かもしれない。
修馬は風穴の外の景色を見つめ、無言で左足をさすった。骨までは折れてないようだが、思いの外歩行が困難だ。町まではどのくらいの距離があるのだろう? とりあえず目の前を流れる渓流の脇を流れに沿って下っていく。町は川の側に造られるはずだということを信じて。
緩やかに流れる川と同じくらいの速度でゆっくりと歩いていく。初めてきたところ、ましてや異世界であるにも関わらず、何故か懐かしさのようなものが蘇ってきた。たなびく雲と夕暮れの河原。
夕日によってセピア色に染まる景色を歩いていると、やがて遠くに見える林の向こう側に塔の先端部分のようなものが見えてきた。ハインの言っていた町であるかどうかはわからないが、人のいる集落があることは間違いないだろう。
塔のある方角を目指し川から離れる修馬。すると、林の反対側にはすでに幾つかの小さな建物が立ち並んでいた。待望の町だ。左足が痛むことも忘れ早足に歩いていく。
そこは比較的小さな町だった。高い塔を持つ大きな建物がある以外は、こじんまりとした家がちらほらとある程度。まあいい、今日のところはこの町で宿を取ろう。その大きな建物が宿屋であることを期待しつつ、いそいそと歩を進める。
町の中心にはちょっとした広場があり、塔を持つ高い建物はその前に建っていた。煉瓦造りの格調高い建造物。これはもしかすると物凄く高級な宿屋なのではないだろうか?
中央にある、不必要に大きな扉を恭しく開ける修馬。中には高い吹き抜けのロビーがあり、豪華な螺旋階段が2つ対照的に設置されていた。宮殿のような華やかな内装。
「あの、本日はもう終わってますが……」
横から急に声をかけられる。振り返るとそこには白衣を着た女性が立っていた。
「すみません。泊りたかったんですが、もういっぱいなんですか?」
「泊り? 入院希望?」
「えっ、入院!?」
そこでようやく修馬は気付いた。ここは宿屋ではなく病院なのだということを。
白衣の女はじろじろと修馬の左足を眺める。
「成程。足を負傷したのですね。私でよければ早速診てあげましょう」
ここがロビーであるにも関わらず、女は診察的なことを開始する。目的である宿屋ではなかったが、逆にこれはラッキーな出来事だったのか?
白衣の女は修馬のズボンの裾をめくり足を具合を確かめた。膝の横をノックでもするように、コンコンと叩く。ちょっとだけ痛い。
「あー、骨折してるね。痛いでしょう」白衣の女は表情も変えずに言う。
「骨折っ!?」
普通に歩いて来れたので骨が折れているとは思わなかった。だが、そう聞いた瞬間、何故だが急に足が痛み出してきた。これが人体の不思議というやつか。
「よく1人で歩いて来れたね。神経がどうかしてるのかしら?」
再び膝横をノックする女と、それに対し過剰に反応してしまう修馬。とんだ藪医者に来てしまったようだ。これは超アンラッキー。
「あのお、お姉さんはお医者さんなんですか?」
「いえ。今の時間、先生は外来診療に出ているから、特別に私が診てあげます。まあ、先生が診るより100倍ましだから」
そう言って強引に奥に連れて行かれてしまう修馬。逃げだそうにもすでに左足は痛みで動かせない。
そして診療室的なところで小さなベッドの上に寝かされる修馬。正にまな板の上の鯉状態。白衣の女が少しだけ口角を上げると、そこから残酷な治療が始まってしまった。
麻酔もなしに折れている足をこねくり回す白衣の女。痛いからか何なのかよくわからないが「あーっ!! あーっ!!」という妙な声が喉の奥から自然に出てきてしまう。
そして散々いじくりまわされたあげく、白衣の女が「ふんっ!」と声を上げると、修馬の左足に地獄のような激痛が走った。
「ラーッ!!!」
目が飛び出るかと思うほどの痛みが発生した後、修馬の目は暗転し、そして深い眠りにつくように意識を失ってしまった。
―――第8章に続く。