第31話 風のない風穴
バンフォンの町を出て、修馬とハインは陽の光も届かない深い森の中を歩いていた。こんなにも木が密集している所では、涼風の双剣を使っての高速移動は危険極まりない。
「ハイン、ここ合ってるの?」
道なき道。もとい。道なき崖を登るハインの後ろ姿を見て、修馬は大袈裟に溜息をついた。こんな山登りは聞いてない。
「うーん。多分合ってるはず」
ハインは辺りを見渡すと、斜めに生えている木の枝を掴み、ひょいと崖の上に跳び移った。チンパンジーのように身軽な男だ。
「不確定な情報で歩かされるのは嫌だなぁ」
ネガティブな発言を繰り返しながらハインの後を追う修馬。我々が今向かっているのは、バンフォンの町から一番近い場所にある風穴。風穴の入口は町の中以外にも複数存在しているらしい。風が通り抜けているのだから当然と言えば当然だ。
段差の上にいるハインは修馬のために手を伸ばしてくれる。そんな助けを借りながら小さな崖を登ると、ハインは遠くを見るような目で静かに言葉を漏らした。
「風の気配が全く感じられないな」
「風の気配?」
「うん。普段なら風穴から噴き出る風の気配がいやがおうにもするはずなんだが、今はそれが全く感じられない」
ハインがそう言うので、修馬はよくよく風の音に耳を傾ける。木々の梢を揺らす風の音は聞こえるが、それはハインの言う風の気配とは異なるのだろうか?
「しかしまあ、何度も来ているところだし方角的にはあっているはず。心配は不要だ」
ハインはそう言い切り、そのまま森の奥へと突き進む。大丈夫であろうか? 凄く心配だ。
「あっ、あった。ここだ」
「えっ!?」
急いでハインに追いつくと、目の前に人1人入れるサイズの穴がぽっかりとあいていた。こちらの心配をよそに、思いのほかあっさり見つけてしまった。
釈然としない思いで中を覗きこむ修馬。風穴と言うが、やはり風は感じられない。
「風はないね」
「そうだな。穴の中から風が吹いてないことと、魔物が出るようになったこととは恐らく因果関係がある」
意味深な声色を使いハインは言う。
「どういうこと?」
「中に行けばわかるさ」
そう言って背負っていたバッグからランタンを出すと灯りを点け、狭い穴の中に入っていった。後に続く修馬。
ごつごつとした岩肌の狭い洞窟を身を屈めながら進む。天井が低くて頭をぶつけそうだ。
真っ暗な通路に、ランタンのオレンジ色の灯りがぼんやり写る。こんなところで魔物に遭遇したらパニックを起こして気絶してしまいそうだ。募らせてしまう無駄な不安。
「どこまで歩くの?」
「地底湖のある『白龍の間』までだ」
前を見据えたままハインは言う。
「白龍?」
「ああ、周りを囲む鍾乳石が、まるで白い龍が渦を巻いているかのように見える大広間だ。圧巻だぞ」
「へー」
如何にも興味の無さそうな返事が思わず漏れた。別に鍾乳石に興味がないわけではないが、それ以上に魔物との遭遇を危惧しているため、そんな返しになってしまったのだ。
一度咳払いをした修馬は、仕切り直すように「白い龍か……」と呟いた。だがやはり蛇足感は否めない。
だが今のところ、魔物はおろか蛇やコウモリなどの洞窟に住む生物すらもその姿を見せなかった。緩まる緊張感。しかし暗くて気付かないだけで、実際は毒虫がうようよしていたらどうしよう? ふと見上げると天井一面にびっしりとカマドウマの大群がっ!? なんてこともあるかもしれない。
しばらく歩いていると段々と通路が広くなっていき、そしてその道の先の上部から薄明かりが漏れていることに気付いた。地上が見えてきたのだろうか?
「あそこ出口?」
「いや、この先は地底湖のはず……。そんなわけがない」
広くなった道を少し早歩きで先に進むハイン。その後をついていくと、光を受け青く光る地底湖の姿が徐々に見えてきた。そして同時にその薄明かりの正体も。
「これは……」
天井を見上げると、ぽっかりとあいた丸く大きな穴が地上に通じていた。地下深くの湖にも微かに陽の光が降り注ぐ。
「何だよこれ!? よりによって地底湖の真上にでっかい穴あけやがって。絶対許さねぇ!」
「穴をあけた? これって元からあるものじゃないの?」
よく見ると地底湖の周りには地上で生えていたであろう木々が、根っこむき出しの状態で幾つも転がっていた。この状況から、近い時期に崩落したものだということが見てとれる。
「これ、人為的に開けたのか!? 魔物の仕業?」
修馬がそう聞くと、ハインはいつになく厳しい表情で周囲を睨みつけた。
「魔物? まあ、魔物には違いねぇ。隠れてないで出てこい! 居るんだろ、クリスタッ!!」
洞窟内に響くハインの声。しかしそれに対する返事はない。だが、ハインの声の響きに紛れてどこからが不気味な笑い声が反響してきた。クリスタとは一体誰なのか?
「隠れてなんていないわ。ずっとここにいるじゃないの」
不意に背後から声が聞こえてくる。慌てたように肩を大きく揺らし振り返ると、そこには褐色の肌を持つ若い女が鍾乳石の上に悠然と腰掛けていた。