第2話 大きな木の下で
森を出た修馬は今、女戦士が投げ寄こした大きな布を腰に巻き、草むらをのそのそと歩いている。素っ裸よりは遥かにましなのだが、早くどこかで服を手に入れなくてはいけない。これは火急の問題。元の世界に戻ることよりも重要な最優先事項だ。
足長おじさんとか、赤ひげ先生とか、時空のおっさんみたいな人が助けてくれるような展開にならないだろうか? 頭に浮かぶのは、何故か中年男性ばかり。まあ、また女だと、こんな格好をしているため、さっきみたいに話がややこしくなりそうだから男の方が都合が良いのかもしれない。
そんなことを考えながらだらだら歩を進めているのだが、辺りには人っ子1人いやしない。とにかく見渡す限りの草、草、草。遠くの緑に、近くの緑。生憎視力は良い方なので、そんな民間療法もあまり意味を成さなかったりもする。
南に行けば城下町があると言っていたが、一体、どれほどの距離があるのだろうか? あまり遠くても面倒だが、近すぎても困る。せめて町に辿り着く前には、この格好をどうにかしたいものだ。
時間にして30分くらいだろうか。足の裏に痛みを感じ始めたその時、遠くに大きな木が1本、生えているのを発見した。慣れない素足での移動に疲れていたところなので、あの木の下で少し休憩しようと思い至る。
非常に枝ぶりの良い木だ。左右対称で大きさも申し分ない。どこぞのテレビコマーシャルで使えそうな木である。何だか気になってしまう大きな木に吸い寄せられるよう歩いていくと、その木陰に何か黒い物体が存在することに気付いた。これはふしぎ発見!
それが何であるかは深く考えないまま無防備に近づいて行くと、黒い物体は突然もぞもぞと小刻みに揺れ動いた。良く見るとそれは何と、黒い毛で覆われた野生生物だった。
見知らぬ土地の生き物に一瞬足がすくむ。小熊程の大きさだが果たして獰猛な生き物なのだろうか?
警戒をしつつ横に回り込み顔を確認する。小刻みに動いているのは食事をしているからのようだ。こちらの気配をまるで感じない程にがっついているのだが、一体何を食べているのだろう? 草や木の実を食べているのなら比較的安全な生き物だろうが、何となく漂う生臭い臭い。肉に喰らいついている雰囲気は、どうしても隠しきれない。
更に正面に回り込む。その黒い毛の生き物の口元には案の定、血まみれの小動物が横たわっていた。
「うわっ!!」
堪らず声を上げる。生き物の死骸を見てしまったからではない。その黒い毛の生き物の顔があまりにも異形だったからだ。
声に反応してこちらに顔を向ける異形の生物。体は小熊のようだが、目のようなものが4つあり、まるで蜘蛛のような面構えをしている。この造形は絶対に敵キャラだ。戦士がいて、モンスターがいる。ここはいわゆるロールプレイングゲームのような世界と考えて間違いないようだ。
食事を中断した異形の生物は、静かに体を動かし体勢を整えている。昆虫のような目は、怯えているのか威嚇しているのか正直理解しがたいのだが、次の瞬間、唐突に口を大きく開けると「キシャーッ!!」という耳の奥に残響する奇声を上げだした。今、理解しました。完全に臨戦態勢です。
全身に緊張が走る。最初に発生する戦闘にしてはあまりにも敵が強そうなのだが、これはバランスとして如何なものだろうか? 対抗する武器を持っていないどころか、装備品も布切れ1枚というお粗末さ。昔のRPGは竹槍1本で魔王討伐の旅に放り出されるという噂を聞いたことがあるが、そのゲームを作った人間は実際に自分がそんな目にあったらどう思うか考えてみてほしい。その時、修馬はそう思った。
「こんなケダモノで負けイベントってことはないよな?」
よくわからない独り言を呟きながらゆっくりと後退する。異形の生物の口を見ると、そこから大量の粘液が滴っている。俺ってば、もしかしてご馳走に見えてるのかも。
本能的に視線を外さないほうが良いだろうと悟った修馬は、背中を見せぬようゆっくりと後ずさった。しかしその異形の生物も、こちらと同じ速度でついてきている。いや、心なしかその距離は徐々に縮まっているような気もしないでもない。
これはまずい状況だ。隙を見て一気に逃げるしかないか……。逃げ道を確認するためちらりと背後に目を向けると、少し離れたところに何と人の姿があった。白いワンピースを着た金髪の小さな女の子。
こんな時に第2村人と遭遇? いや、先程の泉で2人の人間に会っているので、実際は第3村人だ。まあ、そんなことはどうでもいい。とりあえずいかついおっさんでも一緒にいればよかったのだが、そこにいるのは幼い女の子ただ1人。助けを請いたいところだが、どう見てもこっちが助けなくてはいけない立場。だがそんな意思とは裏腹に、修馬は後退する足を止めることはできなかった。それはそうだ。俺だってまだ大人じゃない。
頼む逃げてくれ。声には出せないがそんな思いで今一度女の子に目を向ける。金髪碧眼のその女児はこちらを指差すと、子供特有の鼻にかかった声で「あ、物乞いだ!」と声を発した。
も、物乞い? 布切れ1枚のこの格好を見たらそう思われても仕方がないが、今はそんな言葉で傷ついている場合ではなかった。修馬は異形の生物を指し、何とか危機的状況を伝えようと試みる。
「あれ、土蜘蛛もいる。何で?」
女の子は首を捻る。しかし何でと聞かれてもそれはわからない。こっちが聞きたいくらいだ。
しかし、女の子のおかげでとりあえずあの異形の生物の名前は判明した。土蜘蛛というらしい。獣のような体を持っているが、やはりあれは蜘蛛の化け物だ。虫が相手だというのなら、普通の人間でも戦うことができるだろうか?
逃げてほしいと願った女の子も、未だにその場から動かない。恐らく恐怖に震えているのだろう。やはりここは、俺が戦うしかないようだ。
どうにかこうにか己を鼓舞し化け物と戦う決意をした修馬は、力強く振り返り、そしてファイティングポーズをとった。
「幼い少女を危険な目に合わせることはできない! さあ、化け物、来るならこい。俺が相手してや……、あれ?」
修馬は数回瞬きを繰り返す。対峙している土蜘蛛と呼ばれていた化け物は、何故か目の前で巨大な光の玉に包まれてしまっていた。
「えっ、何これ?」
状況が掴めない修馬。その一方、落ち着いた様子の女の子は、念仏でも唱えるような調子で低い声を上げた。
「悪しき獣よ。聖なる光に抱かれ、闇に還りなさい」
光の玉から放射状に光が漏れだすと、中の土蜘蛛はどす黒く炭化していった。もがきながら小さく奇声を上げる土蜘蛛。やがて光が溢れきると、大量の灰がその場に残った。これは間違いなく、光属性の魔法的なやつだ。さすがはRPGの世界。
「きょ、強制勝ちイベントだったか……」
修馬は女の子に目を向ける。しかし彼女は、何を言っているのかわからないとばかりに首を大きく傾げた。金髪のロングヘアーが柔らかくふわりと揺れる。
「あ、こんな格好だけど、俺は物乞いじゃないからね」
「じゃあ、追いはぎにあった人だ!」女の子は指を差して言う。
「追いはぎ? ま、まあ、そんなとこかな……」
追いはぎって金品はおろか、身ぐるみまで剥がしていくっていう強盗のことだよな? モンスターはおろか、そんな奴らまで存在するとは、全く恐ろしい世界に転送されてしまったものだ。これからの行く末を案じた修馬は、大きく溜息をつく。
「このご時世に追いはぎにあうとは、稀有なお方ね」
女の子はしゃがみ込むと地面に置いてある木桶を手に取り、子供らしからぬ口調でそう言ってきた。
「それ、意味わかって言ってるの?」
そう尋ねると、女の子は首を横に振った。
「この間物乞いの人が家に来た時に、ばあちゃんがそう言ってた」
「俺は物乞いじゃないからね」
修馬は反論したが、女の子は聞いているのかいないのか、持っている木桶をガンガンッと地面に叩きつけた。
「急にどうした?」
「桶のタガが外れちゃったの」
女の子がその木桶を差し出してくるので、修馬は仕方なくそれを受け取った。確かに3つある金属の輪の内、1番下の輪が外れてしまっている。
しかしこれは、素手で直るものなのだろうか?
とりあえず渡されたからには修理する振りだけでもしなければいけない。修馬は外れた金属の輪を押さえ、木桶を地面に叩きつけた。何度かやっている内に、金属の輪はしっかりと固定された。これで直ったのか?
「直ったよ」
木桶を渡すと女の子は特に表情も変えずに「ありがとう」と礼を言って例の大きな木に近づいて行った。拓人もその後を追っていく。前を行く女の子は大木の木陰で屈むと、そこで何かをすくった。近づいてみると、その後ろには澄んだ小川が流れていた。先程の泉から流れている川だろうか?
「水を汲みに来たの?」
「うん、そう。はい、コレ」
女の子は質問に頷き、そして水のいっぱい入った木桶を2つ持つように促してきた。そうすることが、さも当然であるかのように。
木桶には淵に縄が結ばれていたので、修馬はそれを両手で2つ持ち腰を上げた。かなり重いがどこまで運べば良いのだろう?
「これ持っていくのは良いけど、兄ちゃん今、服が無くて困ってるんだよね」
「そんなの見ればわかるよ」
女の子は正論を言いながら歩き出した。修馬も仕方なくその後を追う。
「この水、どこまで運ぶの?」
「私とばあちゃんが住んでる山小屋。この間の物乞いも水を運んだ」
何も持たない女の子は、スキップのような軽やかな足取りで前に向かって歩いて行く。
「だから物乞いじゃないって」
「何だ、服はいらないのか?」
そう言われて初めて気付いた。俺がしている行為は物乞いなのか?
「いや、違う違う。水を運んだ対価として服を貰おうとしているから、俺は物乞いじゃないの」
「ふーん。じゃあ、この間の物乞いみたいに、ばあちゃんの飯は食っていかないんだな?」女の子は振り返りそう聞いてくる。
「何、ばあちゃんの飯?」
飯と聞いたら自然とお腹が鳴った。こう見えて、朝飯はしっかり食べるタイプの人間だ。お腹がすくとイライラするからな。
「食うよ飯。けど、お金持ってないよ。物乞いだからね!」
修馬はプライドを捨てそれを認めた。全ては空腹を満たすために。