第26話 ルーフトップガール
長野県信濃吉田高校。それが修馬の通っている高校の名前だ。
木が鬱蒼と茂る校門を抜け、校内へと侵入する。そして耳鳴りが聞こえてくるほど静かな校舎を躊躇なく進み、突き当たりにある階段を上っていった。特に友梨那の居場所に当ては無かったのだが、目指す場所はとりあえず決まっていた。それは彼女と初めて対面した、校舎の屋上だ。
階段室に辿り着く修馬。夏休みだというのに、扉に付けられた南京錠が開放されている。これはビンゴか? 己の推理に確証を得たように錆びた扉を開け放つと、視線の先にポニーテールの女生徒が佇んでいた。やはり、鈴木友梨那はここにいたのだ。
「良かった。見つかった」
そう言うと、校舎の下を眺めていた友梨那がちらりとこちらを向き、そしてまた校舎の下に視線を戻した。
何を見ているのだろうと思い、側に近づく修馬。そこから見えるのは、体育館と屋外プール。彼女が見ているのは、どうもプールで泳いでいる水泳部の練習光景のようだ。
「皆、泳ぐの上手ね」
彼女は言った。感覚的には3日ぶりに聞く友梨那の声。何故だか、遠い過去の言葉が耳の奥で蘇るような感覚を覚えた。
「そりゃあそうでしょ。だって水泳部だもん」
水泳部員たちは休むことなく、延々50メートルプールを往復している。
「修馬も泳ぐの上手なの?」
「お、俺? そうだな、まあ普通かな」
幼い頃、スイミングスクールに通っていたことがあるので実際はとても自身があるのだが、不必要にハードルを上げないスタンス。「球技は苦手だが、泳ぎはまかせろ!」と見得を張りたい気持ちもなくはないのだが、今は凄くどうでもいい。
「そんなことより、友梨那は今どこにいるのさ?」
そう聞くと友梨那はこちらの顔を見つめ、風で乱れた前髪をさっと手櫛で整えた。
「……学校の屋上」
その言葉に対し、二の句が継げない修馬。確かにそうなのだが、そういうことじゃないのだ。
「その様子だとバンフォンの町に着いたみたいね」
友梨那はそう言うと、いたずらな笑みを浮かべた。この女、意外とSっ気が強い。
「着いたよ。色々あってまたエフィンの村に戻ったけど」
「そうなの? けどマリアンナの伝言は伝わってるのね」
「まあね」
マリアンナからの伝言は「訳あって3日待てなくなった。千年都市ウィルセントに向かうつもりなので、機会があればどこかで合流しよう」みたいな内容だったはず。
「ごめんなさい。アルフォンテ王国の追手が近くまで来ていて、どうしてもバンフォンを離れなくてはいけなかったの。修馬1人で帝都レイグラードまで来れそう?」
そう。今、友梨那が言った通り、千年都市ウィルセントに向かうには帝都レイグラードを経由しなければならないのだ。
「そのレイグラードって、バンフォンからどのくらいかかるの?」
「さあ、よくわからないけど、多分、馬の脚で1週間くらいじゃないかしら?」
「馬で1週間……」
そうか。友梨那とマリアンナは白馬に乗って移動しているのだ。しかし大丈夫。こっちには涼風の双剣という、駿馬の如く走れる心強い武具がある。
「まあ、良いアイテムをゲットしたから大丈夫だと思う。けど、それよりもう1つ聞きたいことがあるんだ。友梨那は俺より先に、異世界と現実世界を行き来してるって言ってたけど、転移ってどういうタイミングでしてるの?」
修馬は始めそれが1日置きだと思っていたのだが、前回、異世界に転移した時は2日間異世界にいてこちらの世界に戻ることが出来なかった。我々は一体、どういうきっかけで転移を繰り返しているのだろう?
「さあ、その法則はわからないわ。1日で転移する日もあれば、5日間転移されない日もある。今回は2日間向こうの世界にいたかな。修馬もそう?」
「うん。俺も2日間異世界で過ごした。その前は1日だけだったけど」
「私も一緒。じゃあもしかしたら、私たち2人は同じタイミングで転移してるのかもしれないわね」
彼女も詳しくは理解していないようで、曖昧にそう結論付ける。しかしそれがわかったところで、何の解決にもなってはいない。
「とりあえずこっちの世界では情報を共有したいから、連絡先教えて貰っていい?」
ポケットからスマートフォンを取りだした修馬は、勇気を振り絞ってそう言った。しかし友梨那は身動きも取らずにただ一言「やだ」と答えた。
はっきりと断ってくれた方が傷つかないと言う人がいるが、そんなものは嘘っぱちだ。ストレートに言われた方が心が傷つく。ハートブレイク。これが甘酸っぱい青春というやつか?
「私に用があるなら屋上に来て。大体ここで下を眺めてるから」
友梨那はそう言うと、また眼下にあるプールを見つめた。水の弾く音が、空しく聞こえる。
「水泳が好きなの?」
そう聞くと、友梨那は何か思いついたように振り返った。
「うん。時々侵入して泳いでるよ。修馬も一緒に泳ぐ?」
「えっ!?」
驚きと共に赤面してしまう修馬。泳ぐと聞いただけで、斎戒の泉で水浴びしている友梨那のことを思い出してしまった。思春期の想像力は侮れない。
「お、泳ぐっていっても、普段は水泳部が使ってるでしょ」
「普段はね。けど夜は誰も使ってないよ」
「夜にプール!? まじで?」
口を大きく開け、驚きの大きさをアピールする修馬。しかし友梨那には、何故かそれが通じない。
「何で驚いてるの?」
「いやだって、夜の学校って何か怖そうじゃない?」
「そうかな?」
何を言っても暖簾に腕押し。このタヌキ顔、もしかして本当に狸で俺のことを騙しているのではないだろうか?
「だって、学校の怪談とかよくあるでしょ。夜になると人体模型が徘徊しだすとか」
「転校してきたばっかりだから怪談は知らないけど、確かに夜になると怖いゲームをしてる子たちはいるね」
眉をひそめながら友梨那は言う。その怖いゲームとは一体?
「何それ?」
修馬が尋ねると、友梨那はL字になった校舎の反対側に目をやり、小さく息をついた。
「夜に来てみればわかるわ」