第25話 神のいない世界
目覚めのまどろみの中、見なれた天井が視界に映り込んだ。すると思考が渦のように回転し、一気にテンションが上がっていく。
「おおっ、現実の世界だ!」
タオルケットをめくり上げ体を起こす修馬。もしかしたらもう現実世界には戻って来れないのではないかと不安な気持ちを密かに募らせていたので、目覚めた瞬間に得も言えない程の嬉しさがこみ上げてきた。この世の中は生きてるだけで素晴らしい。
今のその幸せを噛みしめるように、修馬はもう一度ベッドに横たわる。柔らかい布団の中でもう一度眠りにつこう。
いや駄目だ。寝たらまた異世界に転移しちゃうかもしれじゃないか。修馬は再び身を起こした。何だか朝から忙しい。
そしてベッドから降りた修馬は、非常に大事なことを思い出した。
そうだ、友梨那だ。彼女に会って色々聞かなくてはいけないことがある。何故、バンフォンで待つことが出来なくなったのか? 異世界での今現在いる場所はどこか? 彼女たちが目指す、『千年都市』ウィルセントとは……?
早々に着替えを済ませ、部屋の扉に手をかける修馬。その時、右手首に刻まれた赤い刻印が目に映った。これは隠しておかないと面倒なことになりそうだ。
一度1階に下り救急箱の中から包帯を取り出すと、修馬は再び自分の部屋に戻った。
ベッドの横に腰掛け、刻印を隠すように手首に包帯を巻きつける。するとその時、修馬の頭の中にある疑問が浮かんだ。
しかしちょっと待て、俺はどこで友梨那と会うつもりなんだ?
「やばい。あいつん家、どこにあるのか知らねえ……」
はっきり言おう。俺は馬鹿だ。
「ナカタさん! いや、タケミナカタ!」
藁にもすがる思いでその名を呼ぶ。すると学習デスクの上に、ハンドボールサイズの黒い玉が出現した。
「そう、良くぞ覚えたな。儂は剛毅木訥、金科玉条の軍神、建御名方神である」
仰々しく登場するタケミナカタの台詞を無視するように、修馬は質問を被せる。
「タケミナカタ、あの女、鈴木友梨那に会いたんだけど、どこに住んでるかわかるか?」
「むむ、鈴木友梨那とな? あの茶色い髪の娘っ子じゃな。よく覚えておるぞ」
「どこに住んでるかはわかるのか?」
「そんなことはわからん」
「何だよ、役に立たない神様だな!」
声を上げ、そして意気消沈する修馬。前回あった時に連絡先を交換するべきだったのだろうが、相手が女子ともなると中々ハードルが高い。いけてないグループに所属している人間なんて、所詮そんなもんだ。
しかし部屋に籠っていても仕方がないので、とりあえず修馬は包帯を巻き終えると家から出て通っている高校を目指した。学校に行けば、何か手掛かりがあるかもしれない。
「神と言っても全知全能ではないと言ったであろう。儂が出来ることと言ったら主に、武具を召喚することくらいじゃからな」
道すがら、左肩の上に乗ったタケミナカタがそう主張をしてくる。役に立たないと言われたことに傷ついているのだろうか?
「いいよ、武器さえちゃんと召喚できるなら。そうだ、あの涼風の双剣を使えば、早く学校に着けるよね」
修馬の提案にタケミナカタは難色を示す。
「あの双剣の能力は悪目立ちするぞ」
「いや、悪目立ちしてるのは今のこの状態だよ。肩にハンドボール乗せてる変な奴だと思われるから、学校に着くまで姿隠してくれない?」
今は人がほとんどいない道を歩いているので良いのだが、そのうち誰かと遭遇しかねない。
「それに関しては心配無用である。儂の姿を確認出来るのは今のところ、お主と茶髪の娘っ子だけじゃ。他の人間には儂の姿も声も聞こえないはず。つまりお主は、肩にハンドボールを乗せた変な奴ではなく、大きな声で独り言を言ってる変な奴に見られているはずじゃ」
結局、変な奴に見られてるのかよ! そうつっこみたかったが、変な奴に見られたくはないので胸の奥で言葉を押し殺した。何とも面倒な神様に守護されてしまったものだ。
「それとさっきの話の続きじゃが、今の儂の力では、異界の武具は召喚出来ぬと思われる」
「……そうなの?」
タケミナカタの言葉に修馬は小声で聞き返す。そして物は試しと、更に小さな声で涼風の双剣の召喚を試みてみた。しかし結果はタケミナカタの言う通り失敗に終わった。成程、現実世界で昨日、流水の剣も、王宮騎士団の剣も、振鼓の杖も召喚出来なかったのはそういう理由だったかららしい。
「それで金属バットが召喚されたのか……」
「直前に金棒を素振りしている姿を見ておったので、頭の片隅にイメージが残っておったのじゃろう。しかしまた逆もしかりで、こちらの世界の武具を異界に召喚することは今のところ出来そうもないので、充分気をつけるのじゃ」
タケミナカタはそう告げると、小さく跳び上がり修馬の頭の上に着地した。重さで首が縦に揺れる。この神様は、本当に他人の目から見えないのだろうか?
「神様とは言え、色々不便なんだな」
「本来の力が戻れば出来ぬことではないのじゃがな。そもそも貴様らが祭祀を行わなくなったがゆえに、儂の力が低下しておるのじゃ」
「時代の流れだよ」
そう呟くと、タケミナカタは寂しそうに背中を向けた。
「神のいない世界は不幸と取るか、それとも神を必要としない世界が幸福なのと取るか……。まあ、それを決めるのはお前たち次第だ。儂らはどちらでも構わぬ」
それだけ言うと、タケミナカタは頭の上からすっと姿を消した。
頭が軽くなった修馬は晴れた夏の空を見上げ、その眩しさに目を細めた。
「神のいない世界かぁ……」
難しいことは良くわからないとばかりに頭を左右に振ると、修馬は早足で学校へ向かった。