第24話 特訓の成果
結局のところエフィンの村に戻ることを決断した修馬。よく考えたら俺、一文無しだしね。戦鬼との遭遇だけは気をつけつつ、東へと歩を進める。この薬の代金の差額分だけは、きっちりハインに請求しなければならない。
そして警戒の甲斐もあって無事村の近くまで辿り着くことができたのだが、その頃にはすっかり日が傾き始めていた。西の空に浮かぶ薄い雲が広く茜色に染まっている。
魔物とのエンカウントは避けられたが、思っていた以上に時間がかかってしまった。修馬は疲れていたが、そのまま急ぎ足で酒場に向かって歩いた。ハインの具合はどうだろうか?
不安な気持ちで酒場に辿り着くと、井戸の前の広い敷地で半裸のハインが1人で筋トレ的なことを淡々と行っていた。
「おいっ! 遅いぞ、シューマ!」
「ええぇ……」
元気なハインの姿を見て、不満げなため息が思わず漏れる。良く考えれば半日くらい時間が経っているのだから、二日酔いだったらさすがに回復するだろう。
「お前、涼風の双剣を使えばすぐに行って帰ってこれたはずだぞ。自慢の武器召喚術とやらはどうしたんだ?」
「ああ。あの双剣、使い方が難しくてさぁ。危ないから、結局普通に歩いてきたよ」
逆走し湖に落ちたことを思い出すと、ぶるぶると身震いがした。おかげで魔物からは逃げられたので結果オーライではあったのだが。
「やれやれ、まあ仕方ないか。そう言えば俺もあの双剣を使いこなすまでには、かなりの時間がかかったからな。ところでモケモケ草は買ってきたのか?」
もう必要ないだろうに、手を伸ばしてくるハイン。とりあえず差額分は請求しなくてはならないので、修馬は麻袋の中から茶色い小瓶と預かっていた小さな巾着を取り出した。
「ん? なんだそれは?」
ハインは目を細めその瓶を見つめると、手にとって再度まじまじと確認した。
「これもしかして、パナケアの薬か? こんな高価な物、よく買えたな! 俺の渡した財布には幾らも入ってなかったはずだぞ」
「うん。銀貨が1枚しか入ってなかったから、残りは立て替えておいたよ」
修馬がそう言うと、ハインのアゴでも外れたかのようにゆっくりと口を開いた。
「ちょっと待て。俺はモケモケ草を買ってきてくれと頼んだのに、何でパナケアの薬を買ってくるんだ? まあ、銀貨1枚ではモケモケ草も買えなかったであろうことは置いといてだ……」
「いや、よろず屋でモケモケ草って言ったら、有無を言わずにそれが出てきたんだよ」
事実をありのまま話す。うさんくさい店だとは思っていたが、やはり騙されたのだろうか?
困り顔を浮かべるハインは小瓶を振りながら、中の丸薬を眺めた。
「しかし、パナケアの薬と言えば相当高価な薬だぞ。一体幾らで買ったんだ?」
「350ベリカで売ってくれたよ」
ここも正直に伝えたのだが、それを聞いたハインは「うえぇぇぇぇえっ!!」と声を上げた。
「350っ!! 嘘だろ! 普通に買ったら1瓶1000ベリカは下らないはずだぞ。お前、どんなえげつない値切り方したんだよ!?」
どんなと言われても正直困る。むしろぼったくられてるのかと思っていたくらいだ。
「差額の300ベリカは払ってくれる?」
遠慮がちに聞いてみる修馬。ハインはズボンのポケットに手を入れると、数枚の硬貨を取り出した。良く見えないがくすんだ色をしているので金貨でも銀貨でもない銅貨のようだ。ハインはその硬貨を確認すると、そのままポケットに戻した。
「いいか、俺は貧乏だから金を払うことはできないが、代わりにこの薬をお前にくれてやる。いざとなったらこれを金持ちにでも売りつければいい。パナケアの薬なら1000ベリカ、いや2000ベリカでも欲しがる奴はいるはずだ」
ハインはそう言って、小瓶を渡してきた。350ベリカの薬が2000ベリカで売れるなら素晴らしい錬金術だが、果たしてこの薬は本物なのだろうか? 真偽を確かめる方法もないので、修馬は諦めて小瓶を麻袋の中にしまった。
「良し、じゃあこの話は終わりだ。鍛練の続きでもしよう。シューマも一緒にやるか?」
「鍛練って、体鍛えること? 今はいいよぉ」
バンフォンの町まで往復してきた修馬は、一気に顔を曇らせる。溢れ出るだるさと嫌悪感。むしろ急いで帝都レイグラードへ向かわなければならないところだが、今日のところはとりあえずこの村で休みたい。
「あっ、いいこと思いついた! 鍛練より、シューマに涼風の双剣の使い方を教えてやろう。これ使いこなせるとすげー便利なんだぞ!」
「えー、涼風の双剣の使い方ぁ?」
顔色が曇ったまま聞き返す修馬。しかし待てよ。友梨那たちを追いかけるには、この駿馬の如く走ることができるという双剣が非常に役立つのではないだろうか? そう思いつくと共に体の疲れが一気に吹き飛んだ。これは人体の神秘。
「教えてほしい! ハイン先生、よろしくお願いします!」
そう言ってやると、ハインはにやにやと嬉しそうな顔を浮かべ、腰に帯びた2本の双剣を鞘から抜いた。
「よしよし。それでは教えてあげよう。まずこの双剣を扱う上で重要なことは逆手で持つということだ。順手で持つとどうなるかと言うと……」
「風が吹きだした時に後退しちゃうんでしょ?」
「その通り。切っ先を前に向けてしまうと、風を出力させた時後退せざるをえなくなる。まあ、当然のことだ。しかしこれを逆手に持っていれば……」
ハインは双剣を逆手に持ったまま腕を下げると剣の先端から風を出力させ、前の道に向かって強く地面を蹴った。
噴出する風の力であっという間に道を横断したハインは、少し体を浮かせたかと思うと、両腕を横に伸ばしコマのように己の体を回転させた。そして右手にある大木の枝をばっさり斬り落とすと、風の出力を押さえつつ静かに地面に着地した。
「とまあ、こんな芸当もできるようになるのさ」
きめ顔で振り返るハイン。だが、かっこつけるだけの技であることは確かだ。
「凄い、キレッキレだね」
無意識に拍手をしてしまう修馬。
「そりゃあ、キレがあるってことでいいのか? まあ、練習すればシューマもできるようになるかもしれないし、ならないかもしれない」
「練習したら使いこなせるわけじゃないの?」
修馬の質問に、ハインは静かに頷いた。
「ある程度の努力は必要だろう。だが一番大事なのは適性だ。これがないと俺ぐらい使いこなすのは難しいと思う。まあ、それでも走ることくらいはできるだろうから、そこから教えてやろう。とりあえず涼風の双剣を召喚してみろ」
そう言われ、修馬は両手を胸の高さに持ち上げた。緑色の刀身をした2本の短剣を思い浮かべる。すると頭の中でイメージした通り双剣は逆手持ちの状態で出現した。成程、この剣はこちらの方が握りやすい気がする。
「いいか、風を出力するときは始めは少量で、徐々に大きくしていくんだ。見てろ」
ハインは見本を見せるように道を駆けだした。力は抑えているようだが、それでも自転車くらいの速度は出ている。
「速く走るコツは、双剣を水平に保ちつつ体は前傾姿勢になることだ。少しでも体勢を崩すと……」
言葉の途中でハインの体が宙に浮いた。そして空中で一回転すると、何度かの捻りを入れて華麗に着地した。
「……体を宙に持っていかれるから気をつけろ」
気をつけろと言われてもどうしたものか? とりあえず剣を水平にすれば良いのだな。
井戸の前の広い空き地は原っぱになっているのだが、修馬はそこを軽く駆けるつもりで風を出力した。気をつけよう、ペダル踏み過ぎ、事故の元。
そんなわけで案の定、風を強く出し過ぎた修馬は思い切りその場で浮き上がると、一回転して背中から地面に落下した。痛恨の一撃。
「あちゃー。加減しろって言っただろ。けどこういうのは、失敗を繰り返して成長するもんだ。頑張れ、シューマ!」
熱いエールを送ってくるハイン。だが上手くなる前に、怪我して動けなくなりそうな気もする。
「もしも骨折とかしたらどうしよう?」
この異世界に病院があるのか心配になりそう聞いたのだが、ハインは「そん時はパナケアの薬でも飲めばいいだろ」と言って大きくあくびをした。一瞬納得しかけたが、いくら万能薬とはいえ丸薬で骨折は治らないだろう。
そんなこんなで、ハインの指導の元、練習に励む修馬。すっかり日も暮れ辺りは真っ暗になったが、それでも2人は特訓を続けていた。
「すげー! 上手く走れるようになったよっ!」
学校の校庭程の原っぱをぐるぐると走り回っている修馬。多少体が左右にふらつくが、ある程度思い通りに走れるようになった。これは俺にセンスがあったということでいいだろうか?
「良し、だいぶ上達したじゃないか。俺の域にまだまだ達していないが、今日のところはここまでにしよう」
修馬と同じくらい走ったハインは、すっかりアルコールが抜けたのか気持ち良さそうな顔で額の汗を拭った。
「ありがとう、ハイン。これで旅が随分楽になるよ」
「そうだろう。けど、いい汗かいたから喉が渇いたな。また名物の麦酒でも飲みに行くか!」
昨日飲み過ぎて二日酔いになったにも関わらず、ハインは性懲りもなくそんなことを言ってくる。碌に金も持ってないくせに。
修馬は疲れた肩を落としつつため息を漏らし、そして大きく声を上げた。
「ダメ! 絶対っ!!」
―――第6章に続く。