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この異世界はラノベよりも奇なり  作者: 折笠かおる
―――終章―――
239/239

第238話 短い夏のエピローグ

 ベランダに吊るした風鈴が、チリンと控え目に音を立てた。


 修馬は虚ろげな表情で窓の外を眺める。

 澄んだ青空には巨大な入道雲が浮かび、近くの木々からは蝉の鳴き声が響いていた。

 風鈴と蝉しぐれ、それと高校野球のサイレンの音は日本を代表する夏の音だ。


 終わりの近い夏を惜しむかのように聴覚に集中する修馬だったが、目の前に座る男が「あーっ。あーっ」と珍妙な声を発し始め、すぐに現実に引き戻されてしまった。


 そこにいるのは伊集院たすく

 彼は扇風機の羽が自分に向く度に「あーっ」と言って、声を振動させるたわむれ事をしている。ある意味これも、夏特有の音と言えるかもしれない。


「何、遊んでんだよ。くだらないことしてないで、少しは課題に手をつけたらどうだ?」

「ああ? それを言ったらそっちもそうだろ。外の景色見ながら、ぼーっとしやがって……。大体、あんな化けもんと戦った翌々日に、真面目に勉強する気なんて起こるわけがないんだ」


 シャープペンシルを投げ出した伊集院は、座布団を後ろにずらし狭い部屋の壁に寄りかかる。やる気スイッチ的なものがあるとするならば、きっとブレーカーから落ちてしまっているのだろう。


 現在修馬と伊集院は、修馬の家の自室で小さなローテーブルを挟んで夏休みの課題に取り組んでいた。長野の夏休みは他所に比べて短いというのに、大冒険をしてしまっていたツケがここにきて重く圧し掛かってきているのだ。

 予定通りなら明後日から二学期が始まってしまう。それまでにどうにかこの課題を終了させなければいけない。


「そう言えば、市内の学校は始業式が来週にずれるかもしれないっていう噂があるけど……」

 修馬が言うと、伊集院は前に身を乗り出しテーブルの上に両腕を乗せた。


「もうそれに期待するしかないな。遭難したモッチーは無事だったから良かったものの、学校の方は窓ガラスが割れまくって大変らしいし、市街地のインフラなんかも壊滅的だから普通にずらした方が良さそうだもんなぁ」


「まあ、そうだよね」

 素直に同意する修馬。

 すると蝉の鳴き声が止み、どこからか救急車の音が聞こえてきた。


 緊急車両のサイレンを聞くと、あの時の緊張感がにわかに蘇ってくる。

 揺れ動くように届いてくる電子音に意識を傾けながら、修馬は禍蛇まがへびによって破壊された市内の町並みを思い出した。


 復旧が困難なほどに崩れてしまった長野駅と善光寺。駅前のエリアでは多くの建物が倒壊または炎上し、道路には瓦礫で溢れ、電柱などはことごとく倒れてしまっていた。悪夢のような壊滅的被害。


 しかしそれから一夜明けると、禍蛇の存在は市民の意識からすっかり消えてしまっており、それによる被害や一連の出来事は、大型竜巻と地震による複合型の自然災害ということに過去の新聞から人々の記憶に至るまで全てすり替わってしまっていたのだ。


 それが何故なのかは、修馬たちにもわからない。

 もしかするとタケミナカタやオモイノカネが人々の記憶を操作し、現実的な話に無理やり変換させたという可能性は考えられる。


 修馬と伊集院、それと守屋家の人たちだけは禍蛇との戦いの記憶が残っているのだが、もしかするとこれもいずれは忘れてしまうのかもしれない。異世界での冒険も、友理那たちとの思い出も……。


 高い音を立てて走っていた救急車が、低い音に変化しどこか遠くに走り去っていく。

 そして蝉の鳴き声が戻ってくると、それに合わせるように扉がノックされ修馬の母親が部屋の中に入ってきた。彼女は両手で四角いお盆を持っており、そこには木桶と幾つかのガラスの器が乗っている。


「あなたたち、このところ仲が良いのね。祐くん、素麺好きでしょ。良かったら食べていってね」

 そう言ってテーブルの上に置かれる大きな木桶。そこには氷水と共に、4人家族で食べるくらいの大量の素麺が入っていた。


「えっ、良いんですか!? いただきまーす!」

 背筋を伸ばしガッツポーズをとる伊集院。

 本当に素麺だけしか出てきてないのだが、まるで寿司桶でも出てきたかのような大きなリアクションだ。


 そしてその量を見ただけで食欲が満たされてしまっていた修馬をよそに、伊集院は早速箸を握り冷えた素麺をすすりだす。彼は食に対して、非常にアグレッシブで貪欲なのだ。


「そういえばあなたたち、最近お墓参り行ってないでしょ」

 部屋からの去り際、母親が不意にそんなことを言ってきた。少量の素麺をつゆに潜らせた修馬は、怪訝な表情で小さく首を捻る。


 確かにお盆の時期ではあるが、墓参りには行っていない。

 正直今年はそれどころではなかったし、それに伊集院に対して何故自分の母親がそんなことを言うというのも意味がわからなかった。

 修馬と伊集院は幼馴染だが親戚ではないし、当然ご先祖様が同じなどということはない。


「墓参りって、一体誰の?」


 修馬が細い麺をすすりながらそう聞くと、母親はどこか呆れているかのような顔で「全く薄情な子ね……。誰のって、ゆりちゃんのお墓参りに決まってるでしょ!」と言い大きなため息をついて、部屋を後にしていった。


「……ゆ、ゆりちゃん?」

 素麺を飲み下し、そう口にする修馬。

 その瞬間、頭の片隅に埋もれていた幼かった頃の記憶が一気にフラッシュバックしてきた。


 幼馴染と一緒に公園の遊具で遊んだ記憶。

 家で騒ぎながら共にテレビゲームをした記憶。

 皆で駄菓子を食べながら帰り道を歩いた記憶。

 山の中にある朽ちかけた石段を上り、その上にある神社まで競争した記憶。


 いつも一緒にいた幼馴染は3人。修馬と伊集院の他に、もうひとり女の子がいた。


 その子の名前は、鈴本ゆり香。

 今ならその顔やよく着ていた洋服、喋り方や口癖まではっきりと思い出せるのに、何故なのか今に至るまでその記憶だけがすっぽり抜け落ちてしまっていたのだ。


「……あれ? 何で俺は、ゆり香のことを忘れてたんだ?」

 うろたえた様子の伊集院がそう呟く。

 やはりこの男も今の今まで、ゆり香のことを忘れていたようだ。


 修馬と伊集院とゆり香の3人は、同じ町内に生まれ共に幼少期を過ごした仲だった。しかし1つだけ年齢が上のゆり香は小学四年生に進級すると同時に何らかの病に罹り、半年もしない内に亡くなってしまったのだ。


 それはまだ幼かった修馬にとって受け入れがたい事実であったであろうが、記憶そのものから抹消していいようなことではなかったはず。勿論それは、伊集院にとっても同じことだ。


「……なあ。友梨那って、もしかしてゆり香だったのかな?」


 修馬の記憶の中にいる幼かったゆり香の姿が、友梨那の美しい容姿と重なる気がする。ただの偶然に過ぎないのかもしれないが。


「そんな馬鹿な話があるか。ユリナ・ヴィヴィアンティーヌは異世界の住人なのに」

「うん。そうだよな……」


 異世界の住人であるユリナ・ヴィヴィアンティーヌが、現実世界で亡くなった鈴本ゆり香の生まれ変わりであるという可能性。

 それは何らかのバイアスがかかり、脳内で都合よく物事を置き換えただけの馬鹿げた仮説に過ぎないのかもしれない。


 どことなく気まずさを感じ、会話が止まる2人。

 互いに目線も合わさずに黙々と素麺を食べていると、突然伊集院が「あっ」と声を漏らした。


「そういえば、大蛇神楽おろちかぐら神道かんみちを歩いた時に、途中で迷いってのがあったよな?」

「迷い……、ああ」


 その出来事についてはよく覚えている。

 大蛇神楽の前に行ったお上り神事で神道かんみちと呼ばれる山道を歩いたのだが、そこで道に迷ってしまい、その後案内役である伊織すらも知らない不思議な廃神社へと辿り着いたのだ。


 そしてどういうわけか、その廃神社はかつて遊んでいた場所に酷似していた。幼い頃の修馬たちだけでは、到底来れるはずがない場所なのに。


「あの神社ねぇ。あれが何で戸隠山にあったのかはわからないけど、確かお前は幼い頃あそこで蛇に噛まれて蛇嫌いになったんだよな」

「そうそう。あの時ゆり香も一緒にいたから、格好つけて捕まえようとしたら逆に噛みつかれたんだよ」

「……そういえばそうだったなぁ」


 幼い頃の思い出を辿っていく修馬。

 神道かんみちで迷いに辿り着いた時はあやふやだったが、記憶が蘇った今ならその時の出来事を鮮明に思い出すことができる。


 あれは修馬と伊集院が小学二年生だった頃の話。

 ゆり香を加えた幼馴染3人で山の中に行き、いつもの廃神社でいつものように遊んでいたら、突然大きな杉の木の上から何とも美しい白蛇がボトリと地面に落ちてきたのだ。


 ただ美しいといってもそこは蛇。まだ幼い修馬はそれを見て震えてしまい、身動きが取れなくなってしまった。そしてそれは1つ年上のゆり香にとっても同じだった。


 だがここぞとばかりに前に出た伊集院は、怯える2人をよそに蛇の尻尾を捕まえみせたのだが、その後調子に乗って振り回していたら蛇の反撃に遭い腕をがぶりと噛まれてしまったのだ。


 毒蛇ではなかったようで大した怪我にはならなかったが、びーびーと泣く伊集院。


 そしてその後、ゆり香に絆創膏を貼って貰っている伊集院の姿を目の当たりにした修馬は、そこで生まれて初めてやきもちのような感情を抱くことになったのだ。


「ゆりちゃんを守るのは、祐でもお巡りさんでも神様でもなく、この僕だから!!」

 廃神社の片隅にて、そう誓った当時の修馬。


 しかしそんな誓いも虚しく、その後ゆり香は病に侵され命を失ってしまった。修馬と伊集院も次の学年でクラスが変わったことで疎遠になり、何となく遊ぶこともなくなってしまった。


「……あの神社って、結局どこにあったんだろうな?」


 修馬は当時の記憶に思いを巡らせる。

 記憶が蘇った今でも、あの廃神社の場所は思い出すことができなかった。

 大蛇神楽があったあの日は神道かんみちの途中で辿り着くことができたが、恐らくあの時見たものは幻の類だろう。

 あるいは昔遊んでいたその廃神社も、幻だったのかもしれない。


 修馬がいつの間にか少なくなった素麺を手繰り寄せ箸で摘まむと、伊集院は何かを思いついたようにおもむろに立ち上がった。


「なぁ、シューマイ。今からゆり香の墓参りに行くしないか?」

 わざとらしい北信地方の方言を使って、伊集院は言う。


 静まり返った室内に、再び風鈴がリンッと儚く響いた。

 夏の終わりを知らせるような涼しい風が、網戸を通って部屋の中に流れてくる。


「そうだな。行くか、祐! あの神社の場所はわからないけど、お墓の場所はわかるもんな!」


 立ち上がった2人は手つかずの課題はそのまま残し、食べ終えた食器を台所に運び玄関を出た。


 夏休みが終わる時期とはいえ、外に出ればまだまだ蒸し暑い。

 玄関前で自転車を用意する修馬は、眩しい真昼の日差しを遮るように手のひらを眉の上にかざした。


 一瞬だけ暗くなる視界。

 そして目が慣れてくると道路の奥にある逃げ水の向こう側から、こちらに向かって歩いてくる女の子の姿が映った。ハイウエストのキュロットパンツに、涼し気な白いカットソーを着た知った顔の女性。それは守屋珠緒だった。


「おお、守屋! 丁度良かった」

 大きく手を振ってその名を呼ぶ伊集院。

 珠緒はそれに気づくと少し照れ臭そうに小さくお辞儀をし、小走りでこちらに駆け寄ってきた。


「何が丁度良かったの? 伊集院くん」

 肩に掛けていたトートバッグをゆっくりと下す珠緒。何が入っているのはわからないが、やたらと重たそうな持ち方をしている。


「うん。墓参りに行くんだ。折角だから、守屋も一緒に行こうぜ!」

「お墓参り? 誰の?」

「まあ、あれだよ。俺らの共通の知り合い……ってとこかなぁ」


 伊集院が少しだけ言葉を濁すと、珠緒は「ふーん。けどそれなら本当に丁度良かったかもしれない」と言ってトートバッグの中身を一つ取り出してみせた。


 出てきたのは細長い入れ物。開けてみるとその中には、6つのおはぎが横一列に綺麗に並んでいた。


「やった、おはぎだ! テンション上がってきた!!」

 大袈裟に喜んでみせる伊集院。

 素麺から続く怒涛の糖質ラッシュに顔が青褪めていてもおかしくない修馬だったが、その時はただ茫然と珠緒の持つおはぎの箱に目を奪われていた。


 あんこを見ていると、どうしてもあの神様のことが脳裏に浮かんでしまうのだ。

 甘いものが大好きだった、どこか俗っぽいあの神様のことを。


「……広瀬くんは、おはぎ嫌い?」

 珠緒に尋ねられ、我に返った修馬はぶるぶると首を横に振った。


「ありがとう。甘いものは大好きだよ」

 無理やり笑みを浮かべてそう答える。勿論嘘は言ってない。今は満腹中枢がそれを少しだけ邪魔しているだけだ。


「じゃあ、後で皆で食べよ。これがバッグの中にまだ2つあるから」

 トートバッグの中を覗き見る珠緒。1箱6つ入りのおはぎが、全部で3箱。つまりおはぎが18個あるらしい。


 一瞬目の前が真っ暗になりそうになるが、別にその場で全部食べ切らなくてはならないというしきたりはない。家に持って帰って、神棚にもお供えしてあげたいしね。


「そんなにいっぱいあるなら、おはぎは俺が持ってやるよ! シューマイは代わりに、守屋を自転車の後ろに乗せてやれ」

 伊集院はトートバッグを受け取るとそれを肩に掛け、自分の自転車に跨った。彼の愛車は細いタイヤが鼻につく、ドロップハンドルの高そうな自転車だ。


「え、俺が守屋さん乗せるの?」

「ああ。俺のロードバイクは1人乗りだからな!」

 当然のようにそう返してくる伊集院。

 そういうものかと思った修馬は、己のシティサイクルに目を移した。


 まあこちらの自転車なら荷台があるので2人乗りはし易いかもしれないけど、そもそも自転車の2人乗り自体が道路交通法違反だと思うのだが、ここでそれを指摘するのは野暮なのだろうか?


「それじゃあ、お先!」

 こちらはまだ準備出来ていないのに、勝手に走り出してしまう伊集院。


「あ、待て! 珠緒ちゃん、後ろに乗って!」

 急かすように言うと、珠緒は後ろの荷台に腰かけ修馬の体にしがみついた。


「頑張ってね、修馬くん」

「ああ。じゃあ、行くぞっ!」


 あちこち痛む体を気合で誤魔化しつつ、修馬はシティサイクルのペダルをゆっくりと漕ぎ出した。異世界での旅で鍛えた脚力、ここでとくと見せつけてやろう。


「墓地まで競争だ、シューマイ!」

「望むところだよ、祐!」


「くくくっ! まあ、俺のロードバイクに追いつけるとは到底思えないがな」

「言ってろよ! 魔法使いとの体力ステータスの差を思い知らせてやる!」


 そんなどうでもいいくだらないやり取りをかわしながら、2人の漕ぐ自転車は自宅の前の生活道路を競うように走り抜けていった。


 まるで幼かった、あの頃のように……。



   この異世界はラノベよりも奇なり  了




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