第233話 崩壊する町
国道406号線と市道長野大通りの交差点目掛けて飛んでいく禍蛇。攻撃を受けて気が立っているのか、その速度が先程よりも速くなっている気がする。見失わぬよう、伊集院も必死に喰らいついていく。
「くわばらくわばら。やっとあの雷術使いから離れられたか……」
急にふてくされた顔で左隣に出現するタケミナカタ。この神様が現れると、逆に緊張感がそがれてしまう。
「ああ。邪魔だけはするなよ、タケミナカタ」
「邪魔をするとは失礼な。折角お前たちの手助けをしてやろうと思って現れたというのに」
「本当か?」
「無論。彼奴め、今度は六の星に向かっているようじゃな」
六の星を担っているのは長野駅。確かに禍蛇はその方向に向かっている。
「なあ、タケミナカタ。禍蛇は何で、星に向かっているんだ?」
結界内を飛び回っている禍蛇。だがやみくもに移動しているわけではなく、先程から星のある場所を順に巡っている。これには何か理由があると思い尋ねたのだが、タケミナカタは首を傾げそして目線を遠くに反らした。これはとぼけているというより、本当に知らない反応だ。
「それは至極簡単なお話。禍蛇は結界の破壊を目論んでいるからですよ。それにはまず、星を破壊する必要がありますからね」
修馬の右側に、突如として現れるオモイノカネ。彼は湯船にでも浸かっているかのようにリラックスした状態で宙に座り、「テケテケテケ」と笑っている。
「結界を破壊するため……? それで術者を狙っているってのか?」
禍蛇は結界を認識しており、その上で破壊しようとしているというのだ。それは知識として知っているというのか、はたまた本能で理解しているのか?
「急いだほうがよろしいですよ。人間には見えない結界ですが、我の目にはしかと映っています。崩れかけているその姿が。破壊されてしまうのは、最早時間の問題です」
オモイノカネに煽られ、更に飛ぶ速度を増す伊集院。
しかし先程の4人同時攻撃も決定打に欠けるとなると、倒す道筋がいよいよわからなくなってくる。
「それでは健闘を祈る!」
「テケテケテケッ! 御武運を」
そう言って、両脇にいた2柱の神様は姿を消した。
ありがとうございます、神様……。
幾つかのヒントと力を授けてくれたタケミナカタとオモイノカネに心の中で礼を言うと、前方を泳ぐ禍蛇が高度を落とし始めた。
そして超低空飛行に移行し、長野大通りに侵入する禍蛇。
通り沿いに並ぶ建物を、ゴリゴリと削りながら駅に向かって突き進んでいく。物凄い音と共に、大量の火花が大通りに飛び散った。
市役所前を抜け緩いカーブを蛇行しながら進む禍蛇は、そのまま正面にある仏閣型が特徴の長野駅の駅舎に突っ込んでいった。
駅前広場に轟く爆音。その破壊音はしばらく続いたが、やがて禍蛇は天井を突き破るように駅上部から飛び出してきた。
あまりにも酷い惨状を目の当たりにし、修馬と伊集院は一度バスロータリーに着地した。
禍蛇はその後も、駅舎に潜るように突っ込み内部から破壊し続ける。何やら随分凶暴化してしまったようだ。
「困りましたね。長野駅の駅舎には、この結界において重要な術を施してあるのですが……」
声が聞こえて来たので振り向くと、そこには険しい表情の守屋伊織が立っていた。彼は結界を守るように腕を天に伸ばし、力を注いでいる。
「伊織さん、重要な術って何ですか?」
修馬が聞くと、伊織は破壊されている駅舎に目を向け、そしてゆっくりと結界術の概要を語り出した。
「この結界は6つの星によって形成されているのですが、その近くにある大きな建物を星の支柱にしているのです。特にその中でも一の星である善光寺と、六の星の長野駅には大黒柱とも言える特別な術が施されているので、その2つの建物が破壊されるようなことがあれば、術者がどうであれ結界は崩れ去ってしまうでしょう」
「だったら今すぐに止めないと……」
疲労を滲ませつつも、伊集院がゆらりと一歩前に出る。だがそんな彼を、伊織は術を使ったまま呼び止めた。
「待ってください、伊集院くん。申し訳ありませんが少しの間だけ、僕と結界術の維持を代わって貰ってもいいですか?」
面食らったように首をすくめる伊集院。
「えっ!? けど、どうやれば……?」
「簡単ですよ。両腕を上げて、天に向かって霊力を注げばいいだけです」
伊織の説明に、伊集院は半信半疑のまま腕を伸ばす。
すると何かがのしかかって来たかのように腕が震え、顔が微かに紅潮し始めた。
「やばい……。めちゃくちゃ魔力が吸い取られる!?」
「流石は伊集院くん、それで大丈夫です。申し訳ありませんが、しばしの間お願いします」
あまり要領を得てない様子の伊集院だったが、伊織は完全に術を任せそして肩を下した。
深く息を吸い込み集中力を高めている。その時になって気づいたのだが、伊織は腰に日本刀を帯びていた。それは恐らく、初代守屋光宗『贋作』。
「先ほどこちらから、空で戦うお2人の姿を拝見していました。しかしどうやら修馬くんは、闇術を上手く使いこなしていないようですね。参考になるかはわかりませんが、僕の技を一度ご覧になってください」
腰を落とし柄を握る伊織。煤が舞うように、彼の周囲にどす黒い霊気が漂い出した。
「……禁術『影差し』!!」
居合抜きの如き構えで柄を握り、そして天に向かって刀を振り抜く。
すると弧を描いた黒い斬撃が空に向かって飛んでいき、宙を飛ぶ禍蛇の皮膚を広範囲に引き裂いた。
キラキラと輝きながら舞い落ちる光の鱗。
武器自体が闇属性であるアグネアの槍を使っても外皮に小さな穴を空けることが精いっぱいだったというのに、伊織は属性を持たぬ初代守屋光宗『贋作』で、胴回りの半分の外皮を斬り裂いて見せた。圧倒的なセンスの差に愕然とする修馬。
伊織は刀を鞘に納めると、平衡感覚を失ったかのようにふらふらと左右に揺れ、そしてその場に跪いた。修馬は慌てて、その側に駆け寄る。
「すみません。少し無理をしてしまいましたが、ご覧いただけましたか?」
「はい。凄い技でした。それこそ、俺の技とは比べ物にならないくらい」
手を差し伸べる修馬。伊織はその手を掴み立ち上がると、険しい顔で夜空を見上げた。禍蛇は皮膚を修復しながら北西の方角に移動している。
「僕は体質的に闇術が苦手で、使用することは控えていました。ですが、闇術だからといって悪いものだとは限りません。光と闇は常に表裏一体。天之羽々斬を扱う者であるなら、闇の術にも長けている必要があるのかもしれないです」
「では、どうすればいいのでしょうか?」
修馬がそう質問すると伊織はそっと顔を下げ、視線を真っすぐに合わせてきた。
「技術的なところは今更どうしようもないですが、見たところ修馬くんはまだ闇の力を受け入れられていないような気がしています。そこを補えるのであればあるいは……」
確かに修馬は異世界の旅で闇の力にあまり良い印象を持っていなかった。『悪魔の雷』しかり『暗黒魔導重機』しかり。闇堕ちの杖などは持った瞬間、嘔吐してしまったほどだ。伊織は闇術が苦手と言ったが、修馬にとってはアレルギーと言っても過言ではなかった。
「闇の力を受け入れる?」
「そうです。僕もそうなのですが、我々は天之羽々斬の再現を優先するあまり、光の力にこだわり過ぎてしまっていたように思われます。しかし禍蛇との戦いには闇の力も必要になってくる。光とは相反する力である、闇を受け入れられるかどうか。修馬くんの器量の大きさが試される時です」
伊織はそう言うと、伊集院と結界維持の術を交代した。伊集院はしんどうそうに前屈みになり、大きく息をつく。
「ありがとうございます、伊織さん! 今の自分に足りないものは理解しました。次で必ずとどめを刺します!」
修馬は横で呆然としている伊集院の尻を叩き、そして彼の背中に飛び乗る。
禍蛇が飛んでいったのは北西の方角。2人は最後の力を振り絞り、全力でそれを追っていった。