第223話 負の感情
「精神を干渉する? そんな魔法があるのか?」
「僕も知らないけどね。何となくそんな気がしたんだ」
修馬の後ろで、伊集院とココがそんな話をしている。
「いや、魔法とは違う。相手の心と同調し、こちらから特定の感情を送り込んでいるだけ。それほど難しいことではない……。次は悲しみの感情を与えるとしよう」
魔王がそう言って両腕を広げると、城の中であるにも関わらず強い風が旋回しだした。
「『暴風の間』……」
先程の冷気が残る広い室内に、冷たい風が吹きすさぶ。
その時、修馬の目から大粒の涙がぽろぽろと零れだした。清水が湧き出るように、悲しい感情が脳内に溢れていく。
これまで体験した戦争で亡くなった兵士たちの無念な思い、その家族の悔やむ気持ち。そして修馬自身が感じた戦うことの無情さ。知らずに避けてきた嫌な思い、敢えて知ろうとしなかった辛い思い。その全てが体の中を満たし支配していく。
「うわあああぁぁぁっ!!!」
修馬は気でも触れたかのように、手にした天之羽々斬を出鱈目に振った。しかしそんな攻撃が魔王に通用するはずもなく、また一方的に攻撃を受け続けることになる。
過呼吸のように息が荒くなり、涙も止まらない。吹き荒れる風によって皮膚が斬り裂かれながらその渦中にいる修馬は、深い悲しみに打ちひしがれながらも必死に剣を振った。
「悲嘆に苦しめ。そして絶望しろ。弱き人間に生まれたことに……」
風に乗り素早く動きながら、攻撃を仕掛ける魔王。修馬の目には、それが無数の亡者が襲い掛かってきているように見えていた。
「くそっ!! くそっ!! くそっ!! くそっ!!」
斬っても斬っても、起き上がってくる亡者たち。
何故お前は生きている?
何故お前は死んでいないのか?
そんな声が地の底から聞こえてきてくるようだ。
「あまりの悲しみに、幻でも見ているようだな。戦いに集中しないと、そなたの命も危うくなるぞ」
疾風の如く駆け、刃のように鋭く殴りつける魔王。修馬の腕は自らの血で真っ赤に染まっていった。
このままでは本当にやられてしまう。
だがそんな状況にも関わらず、修馬の脳裏にはとある言葉が思い浮かんでいた。
「 悲しみを否定するな 」
これは何だ? どこかで聞いた言葉か?
いや、恐らく初めて聞く言葉。
「 悲しみを克服したいのなら、まずはそれを受け入れろ 」
その言葉がよぎると同時にぼんやりと浮かんできたのは、不遜な顔をしたライゼン。これはあいつが言っているのか?
帝都レイグラードの城内で姉であるクジョウと刺し違え、命を落としたライゼン。ろくでもない男だったが、その死はやはり悲しいものだった。
彼と共に暮らしていたマルディック孤児院の子供たちも、その気持ちは同じだったであろう。
しかし、死んでしまった人間は生き返らない。流れてしまった時間を戻すことなど誰にもできないのだ。
だから星屑の大祭のような儀式で人は祈り、そして供養をする。
そう。ライゼンの言葉通り、悲しみを否定することはできないのだ。仮にそれをしてしまえば、人はその先に進むことができなくなるのだから。
「……わかったよ、ライゼン! 亡者共よ、成仏してくれ。涼風の双剣『風葬』!!」
涙を拭った修馬は、空間を引き裂くように両腕を大きく振るう。
それによって起きた風が、広間に渦巻いていた強風を一瞬でかき消し相殺した。部屋の中に再び静寂が訪れる。
風に乗って移動していた魔王は、少しだけ眉をひそめるとゆっくりとその動きを止めた。
「悲しみを克服したか……」
修馬の目に、もう涙は残っていなかった。
強い決意を込めた目で睨みつけると、腕を伸ばし涼風の双剣の切っ先を真っすぐに向けた。
「魔王ギー。お前は絶対に俺が倒す!」
「面白いな……。しかし、これは耐えられまい。『重圧の間』」
何かを持ち上げるように片腕を上げる魔王。すると床の下から地響きが鳴り出した。
水平に伸ばしていた腕が勝手に下に落ちる。
風が止んだ広間に、今度はとてつもない重力がのしかかったのだ。地属性魔法で重力を操作しているようだ。
「体が異常に重いぞ……」
ホッフェルの靴を履いている修馬だったが、強力な重力のせいで満足に歩くことができなくなっていた。
そして動けない原因は重力だけではないように思えた。重石のような感情が、強く心の上に圧し掛かっている。魔王の奴め、今度は何の精神攻撃を仕掛けたのか?
「その心の負荷に耐えられるか? 黄昏の世界の人間よ」
魔王はその時、武器召喚術で一本の槍を呼び出した。一見普通の鉄槍のようだが、あれこそが天魔族に伝わるという『アグネアの槍』か?
槍で薙ぐように攻撃してくる魔王。
重い重力のせいで避けるのが困難なため、修馬は白獅子の盾と王宮騎士団の剣を召喚し、どうにかそれを凌いだ。
この剣と盾は自律防御が備わっているので、本来なら持っているだけでも攻撃を防いでくれるのだが、何故か今は正常に機能してくれない。これは心に圧し掛かる重圧のせいだと思われる。
もしかすると現実世界では、すでに自分は死んでしまっているのではないか?
仮に生きているとしても、禍蛇を倒すことなど不可能ではないか?
そんな思いが矢継ぎ早に襲い掛かってくる。これはつまり、不安の感情だ。
酷い胸騒ぎで頭がいっぱいになり、視野が極端に狭くなってしまっている。幾ら自律防御が備わっているとはいえ、修馬が感知していない攻撃は防ぐことが難しい。
そして不安な気持ちが胸を圧迫し、呼吸すらもままならない。このままではすぐに身体的な限界を迎えてしまうだろう。
それならばと王宮騎士団の剣を捨てる修馬。
そして空いた右手には、アメリカ製のサブマシンガン、イングラムM10を召喚した。
引き金を引くと同時に連続して吐き出される弾丸。
それを腹に受けた魔王は、驚いたようにその動きを止めた。
効いたか!?
まともに銃弾を浴びた魔王だったが、弾痕から血を流す間もなくあっという間に傷は塞がり、全ての弾丸は体の外に排出された。
「それは黄昏の世界の武器か……、驚いたな。しかしこの程度の小さな傷では、すぐに治ってしまうのだ」
完治した腹を手で払う魔王。彼の言う通り、そこには傷の痕すら残っていない。
受け入れがたい事実に目を背け、修馬は今一度マシンガンの引き金を引いた。
先ほどよりも大量に掃射するも、今度は何故か皮膚の皮一枚すら貫くことができない。弾かれた銃弾は全て落下し、虚しく地面を転がった。
「残念だったな。その攻撃はすでに耐性がついている。これ以上は無意味。しかし、一度でも我に傷を負わせたことは誉めてやっても良いだろう」
魔王が両腕を広げると、2人を囲むように炎の壁が円状に広がっていった。薄闇に広間が赤々と染め上がっていく。
「それではこれで終わりにしよう。灼熱の炎と共に、怒りの炎を燃え上がらせてみよ……。『煉獄の間』!」