第212話 星降りの大祭
「綺麗だなぁ、アイル」
今思っていたであろう素直な気持ちを、そのまま口から出すココ。
彼の目の前に立っているのは、純白のドレスのような祭服を纏う星魔導師のアイル・ラッフルズ。頭に銀色のティアラをつけた彼女はしとやかに俯き、小さく口角を上げた。
「師匠にお褒めいただけるなんて、何時ぶりでしょうか? 晴れの姿をお見せすることが出来て、至極光栄です」
アイルは錫杖に似た幾つかの金属の輪がついた杖を手にしているのだが、それを胸に押し当てるようにして両手を重ねた。上部についた金属の輪がぶつかりあい、キンと儚げな音を立てる。
「それにシューマさんたちも来ていただいてありがとうございます。大蛇神楽の時にも言いましたが、今度は私が乱舞をお見せしますからね」
それは現実世界で友理那と珠緒の舞いを見ている時に、修馬とアイルが交わした約束。「舞いはしませんが乱舞はご覧いただける」というのは、その時彼女が言ったことだ。一見矛盾しているようなその言葉だが、その真意がようやくここで確認することが出来る。
日は沈み、時刻は夜を迎えた。
祭りの始まりが近づいた街の様子はとても賑やかで、道路は多くの人たちで埋め尽くされ活気で満ちていた。否が応でも期待が高まってくる。
その後、星降りの大祭を執り行う立場のアイルは馬車に乗り、開催地である『夢見鳥の丘』と呼ばれる場所に向かっていった。見学する修馬たちは一般客同様、ウィルセントの市街地から歩いてその場所へと向かう。
木々に挟まれた薄暗い上り坂を多くの人たちが列をなして歩いていく。道の両側には篝火が焚かれ、、バチバチと音を立てていた。
「星降りの大祭か……。帝国でユーレマイス共和国の話をするのは何となく控えなくちゃいけない風潮だったけど、その祭りの名は何度か耳にしたな。この世界の人間にとってそれほど重要な祭りだということなのか?」
列に沿ってゆっくりと歩きながら、伊集院は言う。
「それは少し間違った認識だと思われる。始まりこそウィルセントだったかもしれぬが、星降りの大祭は世界各地に伝播し、今では多くの国で行われている祭りなのだ。それこそ帝国でも似た祭りがあるはず」
マリアンナがそう答えると、伊集院はそうなのか? とも言いたげな表情で修馬の顔を覗き込んできた。しかし当然そんなこと知るはずもないので、修馬は同じように口を閉じたままココの顔を覗き込んだ。
「星降りの大祭はねぇ、夜空に大流星群が流れる節日に行われるんだけど、その大流星群自体は世界中至る所で観測出来る現象なんだ。それこそ、僕が住んでいた魔霞み山でもね。だから多くの地域に伝わっていったわけだけど、ここウィルセントでの星降りの大祭はその美しさが別格なんだそうだよ。実際に見るのは僕も初めてだから、とっても楽しみなんだぁ」
ココはまるで幼児のように、祭りに胸をときめかせていた。
修馬も今日ばかりは楽しもうと、同様に期待に胸が膨らませ空を見上げた。まだ流星は確認出来ないが、漆黒の夜空には満天の星が煌めいている。
やがて歩いていくと道が広くなり、両脇の篝火もそこで途切れた。
薄闇の中、木立の並ぶ坂を黙々と歩いていく。しばらくそのまま進んでいくと、開催地である夢見鳥の丘が近いのか、視界が開けた所へと抜け出た。
丈の低い木々があちこちに生える、夜空が一望出来る場所。そこに辿り着いた修馬たちは、皆一様に感嘆の声を上げた。
目の前に広がる星空とは別に、丘に群生する短い木々の中に無数に光る何かが確認出来たのだ。
その光は青白く、鼓動するように光度を強弱させ、そして微かに揺らめいていた。
「マリアンナ、あの光っているのが多分『ショウリョウアゲハ』だよ」
後ろにいるココに言われ、マリアンナは驚くように振り返った。
「あれが本物のショウリョウアゲハ……。ココ様、何故蝶があのように光っているのですか?」
「不思議でしょ? ショウリョウアゲハは世界で唯一魔法を使うことが出来る昆虫なんだ。一生に一度だけ夏の終わりの節日の晩に胴体を発光させ、求愛活動をするんだそうだよ」
ココがそう言うと、マリアンナは改めて木々にとまるショウリョウアゲハの光を見つめた。修馬と伊集院も合わせてその奇異な光景に集中する。夜空の星々と地上の青白い光が重なり、まるで自分たちが広大な宇宙に包まれてしまっているような感覚に陥った。
上も下もわからなくなるような、得も言われぬ浮遊感。雑音がなくなり、そして重力すらもどこかに消えてしまった。
広い宇宙空間を、たった1人で彷徨っているみたいだ……。
暫し不思議な没入感に浸っていると、今度はどこからかキーンと美しく鳴る金属音が聞こえてきた。これは恐らく丘の頂上にいるアイルの持つ錫杖の音。
何かが始まる。
初めて体験する祭りだが、修馬は直感的にそう感じた。
「あ……っ」
皆の声が一斉に漏れる。
透き通るように繊細な金属音と共に、夜空に星が一粒零れた。
緑色の軌跡を残し、流れゆく星。その星が目に焼き付く間もなく、また次の星が流れる。そしてまた一つ、また一つと次々に。
これが大流星群。
緑色に光り輝く星が夜空のキャンバスに流れていくと、その流星と通じ合うように、木々にとまったショウリョウアゲハたちがゆっくりと羽ばたきだした。
発光しながら舞い上がるショウリョウアゲハ。その数は数千、あるいは数万匹くらいいるのかもしれない。
薄く青い羽に光が透けて、真っ暗な中でも蝶の姿がはっきりと捕らえることが出来た。
地上から舞い上がる、青白き光のショウリョウアゲハ。そして夜空を放射状に走る、緑色の流星。
その光景を目の当たりにした修馬は瞳孔が大きく開き、全身の毛がそそけ立った。異世界でこんなことを言うのは的外れなのかもしれないが、本当にこの世のものとは思えない幻想的な風景だった。
「シューマ、知ってる? 星降りの大祭は今年亡くなった人たちを弔うための祭祀なんだよ」
周りの人たちの邪魔にならない程の小さな声でココが言ってくる。そのことはタケミナカタから聞いて知っていたのだが、修馬はまるで初めて聞いたかのように「そうなのかぁ」と呟いた。
「この空に舞い上がるショウリョウアゲハを、亡くなった魂に見立てているのかな?」
「そうだよ。そして落ちてくる流星が新しい魂。童話『黄昏世界のシュマ』の中では、こちらの世界で亡くなった魂が舞い上がり月を経由して、黄昏の世界で新たに生まれる。黄昏の世界で亡くなった魂もまた、月を経由して流星となりこっちの世界に降りてくるんだ」
「そうか……、輪廻転生という概念がこちらの世界にもあるんだな……」
今年亡くなった命。
東西のストリーク国で行った帝国と共和国の代理戦争から数えると、多くの人間が命を落としただろう。何の犠牲もなく戦争を終わらせることなど出来ると思っていたわけでは無いが、それは余りにも大きすぎる代償であった。
不意に目の奥から涙が溢れてくる修馬。自分の不甲斐なさで多くの命を失ってしまった。もしも本当に向こうの世界で生まれ変われるのならば、次こそはどうか平穏な人生を過ごして貰いたい。
胸の前で両手を合わせる修馬。
祈るように瞼を閉じそして開くと、涙でぼやける視界の先で数メートル前を飛ぶショウリョウアゲハがひと際強く発光した。その光によって一瞬だけ照らされる観客の横顔。それを目にした途端、修馬の涙が一気に目の奥に引いていった。
「ラ、ライゼン……?」
両目を激しく擦る修馬。たった今その目に映ったのは、帝国で死んだはずのライゼンで間違いなかった。
「ちょっと、待って! どこにいくのシューマ!?」
背後から聞こえてくるココの声。その時修馬は、無意識に丘を駆けだしていた。
人ごみを縫うように前に走る。時折青く光る明かりの中に、ライゼンの姿が浮かんでは消えていった。
「待ってくれ、ライゼン!! 俺はあんたに聞きたいことがあるんだっ!」
青白きライゼンの姿を追い、夢見鳥の丘を駆け上っていく。
そしてようやく指先が届いたかと思うと、ライゼンはにやりと笑った後、無数のショウリョウアゲハの塊となり、一斉に空に向かって散っていってしまった。
目の奥に残る青い光の残像。
修馬は余りの出来事に絶句し、呆然としてしまった。今のは何だ? 幻影か何かだったのだろうか。
「あら? どうかなさいましたか、シューマさん」
その声で我に返ると、丁度目の前に白い祭服をまとったアイルが佇んでいた。
口をぱくぱくさせるだけで何も答えられずにいる修馬に、アイルはただ優しく微笑みかける。
「星降りの大祭は魂の旅路を祈願する祭祀。その魂を象徴する蝶の乱舞、シューマさんもご覧いただけたようですね」
動揺と走ってきたことで、呼吸が乱れている修馬。息を飲み一旦気持ちを落ち着かせると、流れる星と空に舞うショウリョウアゲハを今一度見上げた。
成程。乱舞とは、この数多に舞う蝶のことを言っていたようだ。
心音が静まってくると、再び修馬の目に涙が溢れてきた。
「……あれが、あの蝶が亡くなった人の魂なんだよね」
「そうです。そして降り注ぐ流星が新たな魂。人は誰しもいつかは死んでしまいます。しかし亡くなったとしても、その魂は果てなく繰り返すのです。だから今は祈りましょう。亡くなった多くの人の魂が、無事に新しい命へと生まれ変われますように……」
アイルの持つ錫杖が、キーン、キーンと凛々しい音を立てる。
夜空に流れる星はいつまでも終わらなかったが、空を舞う無数のショウリョウアゲハは天高くまで飛んでいくとやがて見えなくなり、そして夜の闇に消えていった。