第203話 夏空とニュース速報
その日は朝から、東の空に大きな入道雲がどっしりと浮かんでいた。絵日記に描きたくなるような、色鮮やかな夏空。
守屋家の茶の間に冷房器具は存在しない。モーター音のうるさい古い扇風機が一応置いてあるのだが、それだけで涼しくなるはずもなく吐き出し窓は常に開放状態となっている。
扇風機の音をかき消す勢いで外から聞こえてくる、様々な種類の蝉の声。それは夏の暑さを増幅させるものだったが、時折吹く風によって鳴る風鈴の音だけは、微かに涼を感じさせてくれた。
そんな茶の間でテレビにかじりついているのは修馬と伊集院、それに友理那と珠緒。後はテレビには目もむけず冷たい麦茶を飲んでいるばあちゃんもいる。
「こちらは長野市善光寺を映すライブカメラの映像です」
男性アナウンサーが極力抑揚を抑えた声でそう読み上げると、画面が切り替わり、渦巻き状の雲が映しだされた。それは以前も長野駅上空に現れた謎の渦雲。画面を通してだと大きさはよくわからないのだが、以前のものより、規模が大きくなっているような気がする。
するとカメラが下に移動し、善光寺の屋根の上を映した。解像度が悪いためよくわからないが、そこには赤く燃える炎のようなものが揺れている。
「現在、善光寺の屋根の上に赤い物体が確認出来ます。消防の発表ではこの炎のように見える赤い物体が何であるのか、明らかになっていないようです。繰り返しお伝えします。善光寺の屋根の上にあるこの物体が何であるのか、明らかになっていないとのことです」
屋根の上で揺らめく赤い炎のようなもの。はっきりとは見えないが、あれは焔の力が蘇った玉藻前とみて間違いないだろう。
「玉藻前……。早速現れたみたいだな」
異世界では帝国との戦争を終わらせたばかりだが、現実世界では争いは終わらない。むしろ始まったばかりだ。
「さて、どうしたものでしょう……?」
手で口を押えた珠緒が言うと、麦茶を飲んでいたばあちゃんがグラスを座卓の上に置き、重い口を開いた。
「珠緒。あんたの母親の兄弟に、確か市役所職員がいただろ?」
市役所職員?
そうなのかと思い珠緒の顔を伺うと、彼女は「はい」と小さく返した。
「避難指示を出して貰えるように、おじさんに頼めば良いんですね?」
「役人が動いてくれるかはわからないが、何もしないよりはましだろうよ」
それに頷いた珠緒は、早速とその場から立ち上がった。
「不可解なことでちゃんと伝わるか自信が無いから、一度市内に下りて直接おじさんに話してみます」
戸隠山を下りるという珠緒。修馬も一緒についていくと言ったが、それはすぐに断られた。玉藻前が狙っているのは禍蛇の復活を阻む、守屋家の人たち。戸隠の戦力を薄くするわけにはいかないのだ。
これから昼にかけて、夏の暑さが本格的になる前に、珠緒は友理那と共に山を下りていった。
残った修馬たちはおにぎりで簡単に朝食を済ませつつ、状況に変化がないかテレビ画面を睨んでいる。ちなみに昨日の夜までいたアイル・ラッフルズは、この時いなくなっていた。サッシャも向こうの世界に戻っていたし、恐らく彼女も異世界に帰っていったのだろう。
だが大丈夫。こちらには天之羽々斬と流水の剣がある。自分たちだけでも玉藻前を倒せるはずだ。
そして昼過ぎまで特に進展がないのか、ニュースもその話題に触れることがなかった。集中力が途切れ、少しリラックスしていたのだが、その時突然、テレビからニュース速報の音が鳴りだした。
前傾姿勢になり、画面に釘付けになる修馬と伊集院。上部テロップには、長野県庁舎で爆発事故が発生と表記されていた。青ざめた顔で画面に見入る修馬たち。
「これって、まさか……」
すると突然画面が変わった。地上10階建ての県庁舎本館上部から、黒煙が沸き上がる映像。詳しい状況はわからないが、これも玉藻前の仕業と考えて間違いないだろう。
「長野県庁……」
一瞬、市街地に下りていった2人のことが脳裏に過ぎる。だが彼女たちが向かっているのは、市役所であった県庁ではなかった。
「禍蛇復活までは大人しくしているかと思いましたが、甘い認識でしたね。玉藻前は己の力でも、人類と文明を破壊するようです」
その時、茶の間にやってきた伊織がそう口にした。歯を食いしばり目を細め、テレビ画面を睨みつける。今にも駆け出して、助けに行きたい。そんな雰囲気だ。
「……伊織さん、俺と修馬で市内に下りますよ。このままだと、市役所も危ないかもしれない」
そんな伊織の感情を察したのか、伊集院がそう提案してきた。だが珠緒が言ったように、本丸である戸隠から離れるのはあまり得策ではない。
だが伊織は伊集院の顔を見ると不器用に笑い、そしてゆっくり頷いた。
「そうですね、わかりました。こちらはこちらでなんとかするので心配しないでください。珠緒さんと友理那さんをどうかよろしくお願いします」
そう言われ、顔を見合わせる修馬と伊集院。
「これ以上の破壊行為はさせない。……行こう、伊集院」
「ああ。玉藻前は俺たちの手で倒す!」
そして慌てるように屋敷を出ていく2人。
門柱から道路に出た修馬を、後からついてきた伊集院が後方からその両脇を抱きかかえた。
「うわっ!! 何すんだよ、気持ち悪い!」
「黙ってろ! 飛翔魔法で山を下りる。そのまま大人しくしてろ!」
そして修馬を抱きかかえた伊集院は、高く浮遊すると、そこから山の麓に向かって一直線に飛んでいった。