第202話 レミリア海を行く
レイグラード城、皇帝の部屋。
その玉座に座っていたのは、ライゼンの姉のクジョウだった。彼女はマルディック一族の固有能力である認識の概念を操作する術を使い、皇帝ベルラード三世に成りすましたのだ。
だがどこからか話を聞きつけたのか、それを阻止するためにライゼンが現れ、そして激しい戦闘の末、2人は刺し違えた。
2人が再会したあの時点で、戦争はすでに終結しているようなものだった。だけどライゼンとクジョウは戦い、そして死んだ。一日経った今でもあまり実感が湧かず、涙だって出てきやしないのだ。
あれから帝国と戦った兵士たちは、一部戦争の後処理をする者たちの除き、皆自分たちの国に帰っていった。共和国騎兵旅団は、レイグラード港から船で。そしてアルフォンテ王国王宮騎士団は、馬の乗り陸路で。アルフォンテ王国の間者ユーカも、ミルフォードたちについていったようだ。彼女とはベルクルス公国からの短い期間だったが、それでも別れは寂しいものだ。
そして虹の反乱軍と修馬一行は、凍らずの港からリーナ・サネティ号に乗り、現在はレミリア海を航海している。
「涼し気な風もあって、いい船旅ね」
手すりにもたれかかるマリアンナは、潮風を浴びながらそう言った。
「ああ、天気が良くて何よりだ」
修馬はレイグラード城の食堂から奪った腸詰め肉をかじりながら、ぼんやりと海を眺める。
打ち寄せる白波が船底にぶつかると、ザっと音を立て、船べりまで飛沫が飛んできた。避けなかったので、髪まで濡れてしまう修馬。しょっぱかった腸詰め肉が、海水で更に塩辛くなってしまった。
「ぼーっとしているのね。帝国のことを心配しているの? 新しい指導者も現れたことだし、きっと大丈夫よ」
「……うん。まあ、そうだね」
グローディウス帝国は新たな指導者の元、国土を再構成し、国を立て直すことになった。
その指導者の名は、アッカ・グローディウス。そう、彼女は生きていたのだ。
クジョウは認識の概念を操作する術でアッカになり替わり、皇帝ベルラード三世として帝国を治めていた。
女官や近衛隊、それに宮廷魔道士などの宮仕えの側近たちも、そのことに気づいていなかったようだが、彼女の存在を知り計画を手助けする人物も存在した。それは帝国近衛団副長のリクドーと、天魔族のクリスタ・コルベ・フィッシャーマンだ。
クジョウの狙いは、戦争により世界を統一すること。伝承によると世界中で戦争が起こり人々の狂気が増幅した時、龍神オミノスは復活するということらしいので天魔族とは利害が一致する。
リクドーに関しては元々マルディック孤児院の出身ということなので、当然ライゼンの姉であるクジョウとも知った仲だったと推測出来る。
「ただわからないのは、どうしてクジョウがアッカの命を奪わなかったのかということだな。城の地下で軟禁されていたらしいが、見つかってしまうことを考えたら、生かしておくのはあまりにも危険過ぎるだろう」
マリアンナは修馬の考えていることを見透かすようにそう言ってきた。
その後リクドーから聞いた話では、クジョウは世界を統一した後また密かに入れ替わり、アッカに王位を譲るつもりだったらしい。
それだけ聞くと意味不明で、にわかに信じがたいのだが、修馬はアッカの視線で見た白昼夢を通じ、彼女の心情も少しだけ感じることが出来ていた。
「正妻の子じゃないアッカは、母親も公にされず存在も隠され、育てられてきたんでしょ? もしかするとアッカは、クジョウと先代皇帝の間に出来た子供なんじゃないのかなって思うんだ」
修馬が感じたアッカの心のうち。
白昼夢の中でクリスタやリクドーがクジョウという名を口にした時、アッカは心のどこかで無条件に安心するような気持ちを感じていた。それは修馬も幼い頃に経験したことのある、絶対的で温かい肉親の愛情。
「……成程。確かにその可能性は考えられるな」
マリアンナはその意見に特に驚くことなくそう答える。彼女も女性の立場から、何となくそれを察していたのかもしれない。
アッカの今の年齢は17歳。実際に先代の皇帝が亡くなった後に継いでいたとすると、彼女はまだ分別もつかない子供の時に皇帝に祭り上げられていたのかもしれない。
内乱で崩壊しかけている国を立て直し、他国の侵略からも負けない超大国を造り上げる。クジョウにはそんな狙いがあったのだろうか? 死んでしまった今となっては、それを確認する術は残ってない。
またも船が白波が弾いた。海の飛沫を避けた修馬は、残りの腸詰め肉を口の中に放り込んだ。帝国の料理は相変わらずまずいが、この船の食料に比べれば幾らかましだろう。
「けど同じ天魔族なのに、クリスタ以外はハインもヴィンフリートもサッシャでさえも、全員クジョウの術に気づいてなかったってのは意外だったね」
修馬が言うと、船尾の方から伊集院が酒瓶を持ってこちらにやってきた。
「あいつらは個人主義なんだよ。重要なことでも必要でないと思ったら、仲間にも話さないからな」
伊集院に酒瓶を渡されたので、受け取る修馬。船では飲み水代わりの葡萄酒だ。
半端に閉まったコルクを開けると、瓶のまま口の中に流し込んだ。塩っ辛い腸詰め肉と葡萄酒の相性は、決して悪くない。
「けど、サッシャは怒ってるみたいだったじゃないか?」
「ああ、そうだな。温厚そうな顔してるけど、あいつは怒らせると怖いタイプだ」
ライゼンとクジョウが亡くなり悲嘆に暮れる修馬たちの元に、軟禁されていたアッカを連れてやってきたのはサッシャだった。
アッカ自身はどこまで理解していたのかわからないが、亡くなったクジョウを目の当たりにした時、自らその仮面を外し、大きな火傷の痕を露わにし、そして涙ながらにその場にいる全ての者たちに謝罪した。
その時は状況もよくわからず、謝罪されても誰が誰に怒りをぶつければいいのかわからなかったが、そんな中で唯一怒りを覚えているのはサッシャだった。
クリスタに詰め寄り、どうして皇帝が入れ替わっていたことを隠していたのかと攻め立てた。我々を騙していたことは、魔王ギー様を欺くことと同義なのだと。
だがクリスタは、涼しい顔のまま薄っすら微笑みこう語った。
「あなたは黄昏の世界から、オミノスを連れ戻すことが出来たのですか?」と。彼女によると、龍神オミノスをこの世界から取り逃がしたのはサッシャの責任らしい。
サッシャは怒りを抑えるように大きく息を吸い、そして静かに吐き出した。
「龍神オミノスはシューマたちが倒しますよ」
「サッシャ殿は面白いことを仰る。オミノスを討伐することは、言わば天魔族の悲願。それを人間の手に委ねようとは、それこそ我が主に対する反逆行為なのでは?」
「それをお決めになるのは他でもない、魔王ギー様です。ギー様が仰るのでしたら、私は如何なる罰も受けましょう」
「……ふふふふふ、我らが主は心優しき御方。それでも今回の失敗を知れば、深くお悲しみになることでしょうね。心中察するに余りあります」
クリスタはそう言うと、背中に翼を出現させ、ふわり飛び上り何処かへと姿を消した。
残ったサッシャは、気持ちを入れ替えるように一つ咳をすると「シューマ、辺境の海域ヴェストニアにある『竜の虚ろ島』に来てください。そこに我らの居城があります」と言ってきた。
そして色々助言をくれるサッシャ。
現実世界で戦っている玉藻前が、龍神オミノスとの戦闘で役に立つということ。玉藻前は闇と炎の二重属性。そして龍神オミノスもまた、光と闇の二重属性なのだという。
討伐するには黄昏の世界にある光属性の『天之羽々斬』と、黎明の世界にある闇属性の『アグネアの槍』という2つの武器が必要になる。
そのアグネアの槍を所持しているのは、魔王ギー。なので修馬たちは、竜の虚ろ島とやらにある魔王の城に行かなくてはいけないのだ。そしてそこには当然、友理那が幽閉されている。
辺境の海域ヴェストニアに行くには、レミリア海を南に進み、ユーレマイス共和国がある大陸を挟んで反対側の海に出る必要がある。
今修馬たちが目指しているのは、ユーレマイス共和国の首都、千年都市ウィルセント。ヴェストニアは波が荒く船便がある海域ではないらしいので、そこからの道のりは着いてから考えることにしよう。
大きな仕事をやり終えた後だが、まだまだやらなければいけないことがたくさんあるようだ。
葡萄酒を半分ほど飲んだ修馬は瓶を伊集院に返し、波で濡れた甲板をゆっくりと後にした。
―――第34章に続く。