第200話 皇帝ベルラード三世
先程までの戦争が幻であったかのように、ひっそりと静まり返っているレイグラード城内。
争いが終わったのだから静かなのは当然なのだが、その時修馬は酷い焦燥感に苛まれていた。これから行われる皇帝との謁見。これが果たして無事に済むかどうか、気がかりだったからだ。
帝国近衛団副長リクドーの後をついていき中央の大階段を上ると、幾つかの絵画が飾られた廊下が曲線を描くように左右両方向に伸びていた。
「この絵は全部、ローズの描いた作品だよ」
後ろを歩くココが、呟くようにそう言ってきた。
「へぇ、これがか……」
薄暗いタッチで描かれた不気味さが漂うその絵画。ローゼンドールの描いた絵を見るのはこれが初めてだが、描き手の狂気が伝わってくるこの作品は、彼女が描いたと言われれば簡単に納得するような品物だった。おどろおどろしい絵なのに、何故か深く見入ってしまう。
そして弧を描く廊下を左に進んでいくと、リクドーは裸の人間たちが争う様子が描かれた絵画の前で立ち止まった。その横にある扉こそが、皇帝のいる部屋のようだ。
修馬の頭の中に過ぎる皇帝の姿。
ここに至るまでに何度か見た白昼夢のような幻の内容が本当の話だとすると、現在の皇帝はアッカのはずであった。白昼夢の中ではまだ幼い印象があったが、あれは恐らく過去の出来事。今はどの程度成長しているのだろうか?
「陛下、連れて参りました」
頭を下げ、その扉の中に入っていくリクドー。修馬も同じように頭を下げ、部屋の中へと進入した。
そこは壁一面を覆い隠すような巨大なオルガンが背後にある、壮麗たる空間。
その中央の玉座に腰を下ろしているのは、歌劇で使われるような白い仮面を着けた細身の女性だった。表情こそ伺えないが、思い描いていたよりも大人で、しっかりとした威厳も感じることが出来る。彼女こそが話に聞いていた『劇仮面の皇帝』。
そして皇帝の両隣には、女官が1人づつ立っている。黒い装束を身に纏った地味な女と、灰色の装束を身に纏った褐色の肌の女。
黒装束の女には何の問題もなかったのだが、灰色の装束の女を目の当たりにした時、修馬の全身に薄っすらと鳥肌が立った。その女は、天魔族四枷のクリスタ・コルベ・フィッシャーマンだったからだ。
「……てめー、生きてやがったのか」
と言ったのは伊集院。彼は親の仇とでも接するように睨みつけている。
「言ったでしょ。またどこかで会いましょう……って」
クリスタはそう言って「ふふふ」と笑う。
厄介な女だが、その相手をするつもりはない。今、我々が用があるのは、皇帝ベルラード三世、ただ1人。
「ベルラード陛下、俺たちはあなたに降伏の要求をしにきた。近衛団団長も倒したし、暗黒魔導重機も破壊した。もう帝国に勝ち目はありません」
修馬は出来るだけ端的に、今の状況とこちらの求めてることを伝えた。正面に座る皇帝は、椅子の手すりに右肘を乗せると、少しだけ体をしな垂れかけた。
「まさかあの『剣聖』を討ち倒す者が居ようとは。流石は黄昏の住人。勇者の再来……、ということですね」
気品が漂う澄んだ声色で皇帝は言う。
しかし修馬たちが聞きたいのは、そんな言葉ではない。
如何にして降伏させるように事を運べばよいか道筋を考えていると、突然横にいたココが、皇帝に向かって「ねぇ、ねぇ」と幼児のように声を掛けた。
「あなたは本当にベルラード三世なの? その仮面を外して見せてよ」
一瞬で静まり返り、冷たい空気に支配される室内。
だがすぐに地味な女官が激高し、顔に見合わぬ大きな声を上げ出した。
「何という無礼なことをっ!! 陛下は幼い頃の内乱で火傷を負い、その傷を隠すために仮面を着けていらっしゃるのですよ! なのにそれを人前で外せだなんて……」
泣きそうな程に怒りを表す地味な女官に対し、皇帝はそれを制するように手で抑えるような仕草をした。
「よろしいですよ、小さな魔道士。あなたたちがそう願うと言うのなら、この仮面、外して差し上げましょう」
仮面の顎部分を持ち、ゆっくりと顔から外していく皇帝。
今にも泣きそうな顔をしていた女官も、唖然としながらその様を見ている。
徐々に見えてくる、皇帝の透き通るような白い肌。
そしてその仮面の下から現れたのは、雪のように真っ白な肌をした能面顔の女だった。聞いていた火傷の痕などは、どこを探しても見当たらない。
「えっ……、あ、あなたは、誰なのですか?」
それを目の当たりにした地味な女官が、真っ青な顔で驚いている。それはつまりどういうことなのか?
修馬が白昼夢で見た過去の出来事が正しいとすれば、現皇帝に即位しているのはアッカのはず。
だがこの能面顔の女は、アッカの面影は多少あるものの、本人ではないように思えた。そもそも内乱の時に負った火傷の痕が、この女にはない。
「あんたは、アッカじゃないのか?」
修馬が聞くと、能面顔の女は微かに右の眉が動いた。その名を知っていたことが意外だったのだろう。不可思議な現象で知ることになったが、本来であればその名を知ることはなかった。
だが修馬の仲間でも、伊集院はその名を耳にしたことがあったようだ。
「アッカってのは、確かベルラード三世の幼名だろ? 俺も一時期は帝国の幹部と繋がりがあったから、聞いたことがある。現皇帝は元々正妻の子ではなかったから出生後も公にはされなかったけど、内乱で前皇帝ベルラード二世と王妃、そしてその息子であるリアム王子が亡くなり、幼いながら皇帝の座に就かれたのだと」
伊集院の言うベルラード三世即位の経緯は、修馬が見た白昼夢の内容とほぼ一致していた。
ならばこの女は一体何者なのか? そしてアッカは生きているのだろうか?
「……そいつの名は、クジョウだよ」
突然背後から声が聞こえてくる。驚いて振り返ると、そこには洒落た格好をした大男が立っていた。
「ラ、ライゼン……か。こんなところに、一体何をしに来た?」
どこからどうやってやって来たのかはわからないが、そこにはあのライゼン・モレア・マルディックが立っていた。
神出鬼没に現れるこの男にはいつも驚かされるが、彼はこちらのことなど目もくれず、能面顔の女と真っすぐに向き合った。
「クジョウ。帝国にいるだろうということは聞いていたが、まさか皇帝の玉座に座っているとは思わなかったぞ」
「ふむ。ライゼンよ……、よくここまで辿り着いたな」
クジョウと呼ばれる能面顔のこの女、ライゼンがそう呼ぶことで思い出したが、クジョウというのは彼が捜していた姉の名前であった。そして修馬の見た白昼夢の中で、クリスタやリクドーがその名を度々口にしていたことも同時に思い出す。
「俺たちマルディック家一族には、認識の概念を操作する能力がある。クジョウ、お前はそれを使って、皇帝となり替わっていたんだな?」
「その通りだ。わたくしもライゼン程ではないが、人の認識を幾らか操ることが出来る。仮面を被っていれば、他人と入れ替わることなど難しいことではない」
表情も無くクジョウは言った。
しかし入れ替わっていたことを明らかにしたのに、それに驚ているのは地味な女官だけ。クリスタとリクドーは、それを知っていたかのように黙り込んでいる。
そんなリクドーに、ふと顔を動かしたライゼンが視線を合わせた。
「ロクドウか……。まさかマルディック孤児院を出ていったお前まで、帝国にいることは思わなかったがな……」
「お久しぶりです、ライゼンさん。ちなみに今はロクドウではなく、帝国風の名でリクドーと名乗っています」
「あ? なんだそいつは? 孤児で名前も無かったお前に、俺様が折角つけてやった名前だぞ。まさかそれが、気に入らなかったとでも言うのか?」
脅すように上から睨みつけるライゼン。リクドーも体が大きい方だが、更に大きいライゼンに凄まれ完全に委縮してしまっている。
「いや、そういうつもりでは……」
「じゃあ、どういうつもりだよ!!」
問答無用に腹を殴りつけるライゼン。嗚咽を漏らしながら地面にうずくまるリクドーを見下ろすライゼンは、顔を上げると再びクジョウと向き合った。
「……クジョウ。お前、一体何を考えてやがる。ロクドウをたぶらかして、帝国を乗っ取って、最終的に何をするつもりなんだ?」
「それは簡単なこと。わたくしが望んでいるのは、この広い世界を統一すること。アルフォンテ王国もユーレマイス共和国も、全て帝国の属国とし、一つの巨大な国家を造り上げるのだ」
無感情な顔をしたクジョウの口から語られたのは、あまりにも壮大な野望だった。彼女の夢は、つまり世界征服。危険過ぎる思想の人物だ。
「俺たち姉弟の子供のころの夢は、大きな家族を作ることだったはずじゃないのか?」
「無論、あの頃の夢に偽りはない。わたくしのやっていることは、その夢の延長線にあることである」
「正気の沙汰とは思えない。そんな馬鹿げた野望は、この俺が打ち砕いてやるよ」
ライゼンは腰に帯びた短刀を引き抜いた。そして実の姉であるクジョウにその刃を向ける。
だがその時、うずくまっていたリクドーが体を震わせながら立ち上がった。
「うう……っ。ラ、ライゼンさん……。あなたがいくら強いとはいえ、今のクジョウ様に勝つことは出来ません」
「ああ? 何でだ? 確かにクジョウは、俺にはない魔法の才能がある。だがそれを入れても、勝負は互角。いや、今なら俺の方が確実に力を上げたはずだ」
戦闘態勢を取るライゼン。対するクジョウは玉座から立ち上がると、己の右目を黄色く光らせた。
「ふふふ、それはどうかしら。クジョウ女史の力は、あなたの想像を遥かに上回るわ」
煽るように呟くクリスタ。だがライゼンは、そんなことは気にも留めない。
「お前らが言ってんのは、金色に変化する『魔眼』の力のことか? クジョウの魔眼は生まれつき。当然俺だって知っている。マルディック家の人間は魔法が不得手だが、クジョウは魔眼のおかげで魔法が使えるんだからな」
魔眼とは瞳に魔力を宿している特性を指す言葉だが、その能力には種類が二通りある。
一つは『凡人の魔眼』とも言われる、後天的魔眼。赫灼の魔眼と謳っていた帝国憲兵団フィルレイン・オズワルドが持っていたもので、目に魔玉石を埋め込むことで、魔眼に似た能力を獲得するもの。
そしてもう一つは、生まれながら光る瞳を持つ、先天的魔眼。両方とも魔力の底上げをする効力があるのだが、先天的な魔眼の力は凡人の魔眼とは比べ物にならない程なのだという。
そんな先天的魔眼を持つクジョウの体が、火花で包まれた。まるで彼女の体が放電しているかのように。
「わたくしの真なる力は、所謂魔眼によるものではない。それはこの体に流れる、天魔族の血」
「天魔族だと? そんなものは、無いに等しいくらい薄い血筋。現に俺たちは翼も無ければ、角だって生えちゃいない」
クジョウの言葉を、ライゼンは真っ向から否定する。
以前、話に聞いたところによると、ライゼンには天魔族、それと勇者モレアの血が流れているということだった。それは当然、彼の姉であるクジョウも同様であるはず。
「そうでもない。天魔族の血は、想像以上に色濃く残るらしい。ライゼンよ、この姿を見るがいい」
クジョウの魔眼が激しく光りを放つ。
そして体が大きく脈打つと、背中から蝙蝠のような羽が現れ、額からは鬼のような2本の角が生えてきた。これは完全に、邪号が暴かれた時の天魔族の姿。
「な、なんで……だ? 俺たち一族は魔族化しないはずじゃあ……」
変貌した姉の姿を見て、驚愕するライゼン。
「常識を、己の知識を疑うんだ。お前にもわたくしと同じ、この血が流れているのだからな」
ゆっくり翼を動かすクジョウ。怪しく光る瞳からは、蛍光色のオーラが不気味に漂っていた。