第19話 リターンマッチ
「ナカタさん! ナカータさん!」
青々とした草以外何もない丘の下り道に、修馬の呼び声が小さくこだまする。しかし、今のところ返事はない。
「タケ……、何だっけ? あっ、タケナカさんっ!」
己を加護してくれている神様の名前を、うっかり忘れてしまうという凡ミスを犯してしまった修馬。しかし奴は名前を呼ばなければ現れることができないのだろうか? そんな設定は聞かされてない。
1人旅の心細さを紛らわすためにナカタさん(仮)を呼ぼうとしたのだが、あえなく失敗に終わってしまった。この奇妙過ぎる新生活にはマニュアル的な何かが必要だ。そう思いながら修馬は、晴れ渡る草っぱらをのそのそと歩いていった。
見上げると、青い空のところどころに綿菓子のような雲がゆっくりと流れている。山の傾斜から裾野に向かって広がる雄大な景色を眺めていると、これから始まる壮大なる冒険への期待でどきどきと胸が高鳴った。
新しい町での出会い。魔物たちとの戦い。そして、ここぞとばかりに民家の壺を叩き割る。もとい、お姫様との淡い恋物語……。
ありきたりな剣と魔法の世界を思い描く修馬であったが、実際は武器召喚術という戦士とも魔法使いともとれない謎スキルでのプレイを余儀なくされている状態。しかも、昨日は昨日でうまく使いこなすことができなかったし、あれは一体どういうことなのだろう? 現実世界だったから、少しルールが異なったのか?
不安にかられた修馬は一度立ち止まり、呼吸を整え精神を集中させた。ここにきて召喚術が使えないという事態だけは避けなくてはならない。
修馬は軽く握った左手を真っすぐ前に突き出した。
「出でよ、振鼓の杖!」
左の手の中から光が溢れだす。そしてその光が霧散するようにどこかに消えていくと、代わりに細長い何かが形を成していった。そして現れる大きなでんでん太鼓。修馬の手には、イメージした通りの振鼓の杖が握られていた。
ほっと肩を撫で下ろす。安定しない能力だが、とりあえず今日は使うことができるようだ。
修馬は目の前の雑草の生えた道に、振鼓の杖を投げ捨てた。数秒の後、音も無く杖は消え去る。麓の村、エフィンはすでに遠くに見えているが念のため、もう一度だけ術を試してみるとしよう。今度は少し難易度が高い武器だ。
「出でよ、流水の剣!」
再び手の中から光が漏れる。そして形作られていく水の剣。
「おおおおおおおおおっ」
刀身の長さが上下する剣を見て、修馬は思わず口を大きく開ける。この剣、原理はわからぬが水が形を成し剣になっている変わった武具で、魔法のような性能も兼ね備えているので個人的には好きなのだが、いかんせん扱い方が難しく使いこなすことができない。
暴れ馬のように落ち着きの無い剣を、何とか気合いで押さえ込む。いや、無理だ。剣の切っ先から大量の水が溢れ出し、近くの草むらにどぼどぼと流れ落ちる。にっちもさっちもいかない状況に右往左往していると、突然草むらの中からガサガサと音を立て何かが這い出てきた。黒い毛で覆われた小動物。
「えっ!?」
動揺に反比例して、勢いを失う流水の剣。小動物は水に濡れた体を震わせ雫を飛び散らすと、近くにいた修馬に視線を合わせてきた。その生き物は見覚えがある。以前、斎戒の泉の近くで出会った土蜘蛛という魔物だ。
高鳴りを隠せない心臓。初めての戦闘ではないが、その時と同じくらいの緊張感に覆われている。簡単に慣れるものでもないとはいえ、今とあの時とでは状況が違う。もう一度勝負だ。
表情も無くこちらの様子を窺う土蜘蛛。同じく修馬も出方を見ていたのだが、握っている流水の剣が勝手に暴走し始めた。今度は柄の部分から細い水が飛び出す。足元が濡れてしまうので反射的に柄の部分を前に向けると、飛び出した水が土蜘蛛の顔面をぐちゃぐちゃに濡らした。不快な声を上げてはいるが、実際これによるダメージはほぼ0だろう。
しかし水遊びなどしている場合ではない。使いこなせもしない流水の剣は、土蜘蛛の足元に投げ捨ててやった。固形物ではなく、液体をこぼした時のようなびちゃっという音が地面に鳴る。
良し。ここで真打ち登場だ。
「出でよ、王宮騎士団の剣!」
その台詞の後、手の中に大剣が現れる。ずっしりと重量感がある白い刀身の剣。攻守に優れたこの剣で、初陣を飾るとしようじゃないか。
湿り気のある手で剣を握りしめた。土蜘蛛は肩で息をするように「フーッ。フーッ!」と唸っている。意外と先程の水攻撃が効果があったのか? ならば今が好機。一気に片をつけてやる。
剣を下段に構え低く走り出す修馬。昨日、現実世界で言われた言葉がふと脳裏に蘇る。倒すなら一撃だ。
こちらの動きに反応して、土蜘蛛は修馬にお尻を見せる。逃げるのかと思いきや、突然尻の先から糸状の分泌物を排出してきた。慌てる修馬をよそに自律防御の付いた剣が、それを確実にガードする。何と素敵な武器なのだろう。
糸が絡まったままの剣を振り上げた修馬は、渾身の力でそれを一気に振り下ろした。
ズズズッ! という肉を裂く音の後、土蜘蛛の脇腹から青黒い体液が吹き出した。苦しげに複数の足をひきつらせているが、倒すまでには至らない。虫の生命力は、人間のそれを遥かに凌駕する。
しかし、もう勝利は見えているだろう。
そんな風に油断していると、土蜘蛛はイタチの最後っ屁とでもいうような捨て身の反撃を仕掛けてきた。
重そうな体で跳び上がり、体当たりを喰らわせてくる。しかし飛んできた土蜘蛛の眉間に、出鱈目に構えていた王宮騎士団の剣が運よくカウンター気味に突き刺さった。口から流れ出る透明な粘液。これは唾液か、それとも毒液か? もしも毒だとするのなら、喰らっていたらまずいことになっていたかもしれない。確かに友梨那が言っていたように、極力一撃で決めた方が良さそうだ。こういった、玉砕覚悟の攻撃が一番恐ろしい。
眉間に剣が刺さったまま、未だもがいている土蜘蛛。王宮騎士団の剣を引き抜くと、目から光を失った土蜘蛛は突然火が消えたように静かになり、そして地面に崩れた。ようやく息絶えたようだ。
荒い息遣いで剣を投げ捨てる修馬。短い戦闘であったが、汗の量が尋常じゃない。異世界での季節は春か夏のようだが、日本のようないやらしい暑さではないので、ここまで汗をかくことは今までなかった。
汗で濡れる両手を見つめ、修馬は初めての勝利をじっくりと噛みしめた。