第182話 上位魔法
険しい山道を辿っていた修馬たちだったが、ある地点まで行くと唐突に足元がなだらかになってきた。そして木立の並ぶ道の先には、ぽっかりと日の光が差し込む広い空間がある。
「これは立派な大樹ですね……」
感慨深そうにサッシャは言う。
その道を抜けたところには、幹回りが10メートルはあろうかという1本の大木が生えていた。樹洞と思われる大きな穴のすぐ上から幹が2つに分かれており、広く枝葉を伸ばしている。
「いかにも御神木って感じがする」
修馬は蔓の巻き付く幹を見上げ、そしてその傍らに建てられたお堂に目を向けた。どうやらここが『大欅の祠』のようだ。
ようやく辿り着いた達成感で疲労も吹き飛びそうになったその時、お堂の中から双子の妹、茜が肩で風を切って現れた。
「おらーっ!! 来んのがおせーぞ!」
腰に手を当てて、まるで道場破りのように威風堂々と睨みを効かせてくる茜。彼女の声を聞いたら消えかけていた疲れが一気に逆流し、溜まった乳酸で膝が崩れかけそうになった。
「ここは神域だろ? そんな大きい声で怒鳴るなよ。そもそも、こんな険しい山道だって聞いてなかったし」
「言い訳すんな、このカナヅチ野郎!」
茜はそう言って近づくと、修馬の腰の辺りを握った拳で殴ってきた。コミュニケーションの一環というよりは、ただの暴力だ。
「すみません。私が倒れているところを助けていただいたもので、少し時間を取らせてしまいました」
申し訳なさそうにサッシャが言うと、一瞬呆気に取られた茜だったが、すぐに我に返り低い位置から見上げるように威嚇してきた。
「誰だ、お前はっ!?」
「サッシャ・フォレスターと申します。シューマの友達です」
サッシャは失った右腕を左手で押さえながら、深くお辞儀する。
「友達!? 本当か? こいつクソ巻き女の仲間だろ!」
茜の言うクソ巻き女とは、以前戦った天魔族のヘリオス・ガリア・ブルッケンのことだ。中々感が鋭い幼児。
サッシャが顔を下げ「……くくくっ」と漏らすと、茜は有無を言わさずレーザービームのような水術を放ってきた。
しかし左腕を伸ばしたサッシャは、その攻撃を手のひらで受け止め、全て飲み込んでしまう。
「恐れ入りましたね。幼いながらここまでの水術を使いこなす人間がいるとは……。もう少し、あなたの術を拝見してもよろしいですか?」
「どうなってんだテメーはっ!! ていうか服がズタボロだし、片腕はどうした!?」
そのタイミングで右腕の欠損に気づく茜。それを躊躇なく聞いてくるのも流石だが、そんなことで動じるサッシャでもない。
「まあ、腕のことはいいじゃないですか。可愛らしいお嬢ちゃんだ。今一度、あなたの水術を私に浴びせてみてください」
「……子供だと思って馬鹿にしやがって、茜の本気を見せてやる!」
「是非、全力でお願いします」
「クソがっ!! 喰らえ、『鉄砲水』!!」
茜の指先から、弾丸のような水滴が勢いよく放たれる。そしてサッシャの胸部を貫いたようにも見えたが、彼はそのまま平然とした様子で立っていた。
「ほう。一見すると小さな水の粒ですが、その実、体を貫くほどの殺傷力があります。これは凄い」
「何、感心してんだ! 本当の本気はここからだからな!」
茜の目の前に、無数の小さな水泡が浮かび上がる。そして水泡が針のように細くなったかと思うと、矢のように襲い掛かっていった。サッシャの瞳孔がぐっと広がる。
「精霊よ、その凍える息吹で全てを白く染め上げ給え……。『銀世界』!」
感じたことのない程の異常な冷気が、辺りを白く凍らせる。茜の放った針のような水術も、サッシャの目の前で全て凍りつき、そして地面に落下した。わなわなと震える茜。修馬たちも、寒さと魔法の強さに暫し呆然としていた。
「……一体何を騒いでいるのですか、あなたたち。ここは神域ですよ」
そう言ってお堂から出てきたのは、双子の姉の葵。彼女は白く靄が漂うこの状況を見て、珍しく眉間に皺を寄せていた。
「葵、やばい奴が来た。助けてくれ……」
「茜が私に助力を求めるとは珍しいですね。そんなに強いお方なのですか?」
真っすぐに視線を向ける葵。サッシャは驚いたように目を開きつつも、口角が少しだけ上がっていた。
「またも強力な術者のお出まし……ですか。こちらの世界の住人には、驚かされるばかりだ」
「成程、理解しました。あなたは友理那さんやアイルさんの住む世界から来た方なのですね。これ以上我が妹に手を出すようなら、私が許しませんよ」
曇っていた表情を戻し、静かに静電気を放出する葵。無表情で怒る人ほど怖いものはない。
「手を出すなんてとんでもない。私は彼女の水術に惚れこんでしまいました。どうでしょう? もし良ければ、私の元で水術の修行をしてみませんか?」
笑顔を湛え、サッシャは言う。だがそれに対し、茜は敵意むき出しの顔で歯を食いしばった。
「うるせーっ!! 氷術を使えるからって偉そうにすんな! 茜だってお前くらいの歳になったら余裕で使えるんだからな!」
「いえいえ。私の歳と言わず、こつを覚えればすぐにでも使えるようになりますよ。あなたにはその才能がありますから」
茜の明らかな拒絶をものともしない、サッシャの鋼の心臓。意外とメンタルが強いらしい。
「ところで、氷術の方が水術より上なの?」
その辺りがよくわかっていない修馬が伊集院に尋ねると、彼は「そりゃあそうだろ」とどこか呆れたように答えた。
伊集院の説明によると、四大属性には全て上位魔法があり、火属性は爆発属性、風属性は雷属性、地属性は星属性。そして水属性は氷属性という上位魔法があるのだという。そしてこれらは、かなり位の高い魔道士でないと使いこなすことは出来ないとのことだ。
「茜に術を教えてくれるのですか? では、良い方なのですね」
「おい、簡単に騙され過ぎだぞ葵! こいつはクソ巻き女の仲間なんだからな!」
「ああ。確か、ヘリオスとかいう方の……。しかし、そちらの方は敵意がなさそうですし、教わったら良いじゃないですか。守屋家には、氷術を教えられる人がいませんから」
あくまでサッシャの味方をする葵。だがどうしても受け入れがたいのか、茜は小さな体を震わせながら、必死に首を横に振り続けた。
「そいつはキモいから、嫌だーっ!!」
未だ白く冷える祠の前。茜の全力の拒否が山彦となり、哀し気に響き渡った。