第178話 船出
首都ベルディスクの北に位置する大きな港には、実に様々な帆船が停泊していた。貿易で使用する大型の船もあれば、地元の漁師のものと思われる小型の漁船もある。
そんな港の一番端にある岸壁の切れ目には、虹の反乱軍の船、リーナ・サネッティ号が停泊していた。
母なる聖戦との戦いに協力してくれれば、帝国まで連れて行ってくれるというのが、アーシャと交わした約束だった。今は出航の準備のため、皆手分けして積み荷を運んでいる。たった1人を覗いては。
「労働階級の人間は大変だな。汗をかいて日銭を稼ぐなど、僕にはとても考えられない……」
一番眺めの良い船尾で木箱の上に座り優雅に寛いでいるのは、ゴスロリ風衣装を身に纏うローゼンドールだ。ガーランドの城は跡形もなく破壊されたというのに、貴族様は相変わらず良いご身分の様子。
真水の入った重い樽を甲板に下した修馬は、肩で息をしながら船尾に目を向けた。
「お前も少しは手伝えよ、ローゼンドール!! 暇なんだろ!」
「ふざけるな。画材よりも重いものを持ったことがない僕が、何で貴様ら如きの手伝いをしなくてはいけないのか? ねぇ、ココ様」
ローゼンドールが首を上げると、帆柱の横棒の上にココがちょっこり座り、のどかに潮風を浴びていた。何とさぼり魔は1人ではなく、2人もいたのだ。
「まあ良いじゃないか、シューマ。ローゼンドール嬢のおかげで、我々はドゴールを討つことが出来たのだ。自分たちのことは自分たちで行おう」
あの重い樽を2つ担ぎ、悠々と修馬の横を歩いていくアーシャ。彼女にそう言われては仕方がないので、置いていた樽を担ぎ直しローゼンドールのいる船尾まで持っていく。するとその位置からは、ベルディスクの城下町を一望することが出来た。
処刑台だった円形広場は、地下水路が破壊されたことにより9割が水に浸かり、大きな泉になってしまっていた。その奥のガーランドの城に至っては、そのほとんどが瓦礫と化してしまっている。反乱軍と母なる聖戦の戦いもそうだが、やはり大鬼が暴れたことによる被害が甚大だ。
「どんな気分だよ? ローゼンドール。本当にここまで破壊する必要があったのか?」
修馬が聞くと、ローゼンドールは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「僕は物心がついてから今までの間、ずっとこの城をぶっ壊したかった。これでようやくガーランド家の呪縛から解放されるよ。清々しい気分だわ」
昨日修馬たちが想像した通り、あの大鬼は彼女が造り出した魔法生物で、無数の異形が重なり合って形を成していたものだった。破壊の一部始終を目撃していた反乱軍のアルカ・コルヴェルによると、大鬼は城をあらかた壊すと一体一体全てばらばらになり、地面の底に潜っていったそうだ。大量に蠢く虫のようで、それはそれは気持ち悪かったらしい。
「とはいえ、この国はどうなる? 復興していくのは簡単じゃないぞ」
「そんなこと僕が知るか! 大体あの髭男爵がやたら張り切ってるから、心配する必要はないだろ」
「髭男爵?」
どこかで聞いたことのあるような単語だなと思いつつも首を捻らせると、修馬の横を木箱を持ったジーグラスが駆け足で通り過ぎ、ローゼンドールの傍らに跪いた。
「ローゼンドールさん!! 木箱はここに運べば良いですか!?」
「うむ。全部ここに持ってくればよい。割れものだから慎重に持ってくるのだぞ」
「はい! 喜んで!!」
そして急いで船から階段を下り、駆け足で港へ戻っていくジーグラス。髭男爵とは立派な口髭を持つ彼のことのようだ。しかし何故、ローゼンドールの下僕のようになっているのだろう。彼の先祖がこの姿を見たら、きっと嘆き悲しむことであろう。
「ジーグラスに国の復興を任せるつもりか?」
確かにジーグラスは、かつてこの地にあったというアズベルト王国、王家の末裔。だが、農家の生まれで今は傭兵家業をしている彼は、それを望んでいるのだろうか?
「僕たちガーランド家の人間がやるより、よほど健全だ。あの豚大公でも国を統べることが出来たのだから、髭男爵でも出来なくはないだろう」
珍しく薄く笑みを浮かべるローゼンドール。言われてみれば、彼女の言う通りかもしれない。髭男爵なら、再生が得意そう。理由はわからないが、なんとなくそんな気がする。
「ロ、ローゼンドールさん、今、俺のこと呼びましたか!?」
荷物を取るため港に戻っていたジーグラスが、ピューマのような速度で戻って来た。そして運んできた木箱をその場に下すと、甲板の板が少しだけ下に沈んだ。あの中身は相当重いはずだが、何というスピードだ。
「呼んでなどいない……。というか鬱陶しいから、あまり僕に近づくな」
「そんなこと言わないでよ。俺たちはもう、結婚の契りを交わしたじゃないですか!」
ジーグラスのその言葉を聞き、修馬は口を大きく開いて顎を前に突き出した。は? 結婚の約束って、どういうことですか?
ローゼンドールは柄にもなく白い頬を紅潮させると、居心地悪そうに眉を八の字にした。
「黙れっ!! とっとと木箱を持ってこないと、その約束は反故にするぞ!」
「了解!! 秒で終わらせる!」
元気よく返事をし、ジーグラスは再び港へ飛んで戻っていった。突然のことに理解が追いつかない。
「……お前、ジーグラスと婚約してるのか? 本気か?」
「何か不都合でもあるのか? こんな奇人と呼ばれる僕にも、好きだと言ってくれる変人がいたのだ。所帯を持つなど考えたこともなかったが、生涯を賭けた目的を遂行した今、そんな平凡で型にはまった生活も悪くないと思えたのさ」
首を背けながらローゼンドールは言う。だが国の復興を目指す者と夫婦になることが、果たして彼女の言う通り平凡なのだろうか? 貴族の考える平凡は、世間とはかけ離れているらしい。
「ローゼンドールとジーグラスが結婚かぁ、全く想像出来ないなぁ。ジーグラスのどこが気にいったの?」
修馬が芸能レポーターばりに質問すると、ローゼンドールは額に青筋を浮かべ怒りを表した。
「よく考えたら、何でこの僕がお前のような下賤の輩と仲良く会話しなくちゃいけないんだ! 荷物を運べ労働階級! 日が暮れるだろ!!」
もう少し話を聞きたい修馬だったが、ローゼンドールの雷が落ちたので、仕方なく仕事に戻った。
そして1時間かけて積み荷が終わり、反乱軍の隊員たちは出航の準備を整え始める。修馬は仲間たちと共に、ローゼンドールとジーグラスのいる船尾に集まっていた。
「ところでローズが持ち込んだ木箱には、一体何が入ってるの?」
ココが尋ねると、ローゼンドールは嬉しそうに笑い、箱の一つを開封した。中には6本の黒い瓶が入っている。
「僕からココ様に贈る、特別な葡萄酒です。どうぞ、お納めください」
「へー、葡萄酒かぁ。僕はお酒得意じゃないけど、船出には丁度いいね」
箱の中に入った瓶を1本取り出すココ。すると酒の匂いでも嗅ぎつけたように、ベックとアーシャが船尾にやってきた。
「何だその珍しい形の酒瓶は?」
「それはもしかして、発泡性の葡萄酒か? 高級品じゃないか」
目を大きく開くアーシャに対し、ローゼンドールは上から目線で踏ん反り返った。
「貧乏人の舌には合わないかもしれないが、折角だから持ってきてやった。破壊する前にドゴールの城から奪っておいたやつだ。ただで手に入れた酒だから、全部お前たちにくれてやる」
「そうか。ありがとう、ローゼンドール嬢。じゃあ、早速これで乾杯しようじゃないか。ベック、皆を甲板の上に集めてくれ」
船出を祝しての乾杯をするために、反乱軍の隊員たちが続々と集まってくる。そしてその一角には修馬の仲間たちと、ついでにマリアンナの横にユーカもいた。彼女は我々と共に帝国に行くとのことだ。戦力は多いに越したことはない。
甲板の上で円陣のように丸くなる隊員たち。そしてそれぞれ盃という名の銅製マグカップを手に持ち、発泡性の葡萄酒を注いでいく。
乗船はしないが、ジーグラスとローゼンドールの2人も、当然円陣に加わっている。皆、共に母なる聖戦と戦った仲間だ。
「それじゃあ、乾杯しよう。……皆に聞いて欲しい。俺とローゼンドールさんはこの地で、新たな国を建国する」
「まあ、髭男爵と2人でどこまで出来るかはわからないが、壊した責任くらいは取ろう。アズベルト王国の再建だ」
ジーグラスとローゼンドールは互いの顔を見合わせ、そして盃を高く掲げた。
「俺は帝国に行って、皇帝ベルラード三世と謁見する。戦争を止めるために」
修馬がそう言って盃を掲げると、伊集院もそれに合わせてきた。
「皇帝上等だ。天魔族だってただじゃおかねぇ。クリスタは倒したが、残り3人の四枷も俺が叩きのめす!」
「その天魔族には、私も因縁がある。ユリナ様の居場所を聞き出し、必ず救出致します」
マリアンナは決意を込めて、盃を掲げた。隣のユーカも同時に盃を持った腕を伸ばす。
そして皆が盃を掲げていき、最後にココが小さな体で腕をいっぱいに伸ばすと、それを確認したアーシャがこくりと頷いた。
「それでは皆、覚悟は決まったようだな。今より我々は帝国へ向けて出航する。多くの困難が待ち構えているだろうが、怯むことはない。あたしたちは、母なる聖戦も打ち倒した! 精神を研ぎ澄ませ、武器を強く振るえ、積み重なった多くの屍を越えて行けっ! 行くぞ、虹の反乱軍っ! リーナ・サネッティ号の船出に幸あれ!!」
アーシャの口上が終わると共に、円陣を組んだ隊員たちは、皆盃に口をつけ一気に飲み干した。
―――第32章に続く。