第172話 王家の血筋
「ローゼンドールッ!?」
修馬がその名を口にしたが、鉄格子の向こう側にいるローゼンドールは、目を細めたまま表情もなくただ睨んでいる。修馬の言葉に反応したのは、その右横にいる恰幅の良い男の方だった。
「ほう、流石は世界的な芸術家。国外の民にも、顔と名前が知れているようだな」
「僕は有名になりたくて芸術家になったわけじゃないわ。こんな下賤の輩に顔が知られているのは、むしろ不快でしかない。大公、あんたのように暗殺を恐れて表舞台に一切出なければ、顔を知られなくて済むかもしれないかもしれないわね」
いつものように反抗的な受け答えをするローゼンドール。大公と呼ばれた恰幅の良い男はそれを聞き、忌々しそうに顔を歪めた。
そして顔を歪めているのは、その恰幅の良い男だけではなかった。修馬の横にいるジーグラスもまた、唖然としながら顔を引きつらせている。
「お、お前がベルクルス大公、ドゴール・ガーランドなのか……?」
恰幅の良い男はひしゃげた顔を戻すと、また「ぶはははは」と無理やり笑い始めた。
「如何にも。三豪家、ガーランド家当主、ドゴール・ガーランドとはこの私のことだ。アズベルト家の末裔からすれば、さぞかし私のことが憎いだろう?」
そう煽られたジーグラスだったが、彼は奥歯を噛みしめたまま何も言わない。だが修馬は、その時になりようやく思い出した。そのアズベルト家という家柄について。
ベルクルス公国建国以前にこの土地にあり、ガーランド家によって滅ぼされた国。それがアズベルト王国という名の国だったはず。つまりこのドゴール・ガーランドの言葉が正しいとすれば、ジーグラスは過去にあった国の王族の末裔ということのようだ。文豪のようだと思っていた彼の立派な口髭も、今となればそれよりももっと高貴なものに感じられる。
「……しかし偶然とはいえ、アズベルト家の生き残りを捕らえたのは見事なことだ。黒鳥どもには充分な褒美をくれてやる」
ドゴールが言うと、左に立つ痩せた男は「光栄にございます」と言い小さく頭を下げた。
「ぶははっ、構わぬ。この世を動かすのは常に金だ。黒鳥の報告によると、こいつらの仲間がまだいるらしいな。捕らえた者には、今以上の報酬を約束すると雷鳥にも伝えろ。わかったな?」
「かしこまりました」
再び首だけで頭を下げる痩せた男。それでもドゴールは満足そうに笑って、鉄格子の近くに歩み寄って来た。
「一体何のつもりで首都ベルディスクに乗り込んできたのかは知らないが、お前たちは処刑され、その後、ローズの死体を保存する技術で私の所蔵品になってもらう。死して尚、芸術作品に生まれ変われることを光栄に思え。ぶははははっ!」
そう言って笑ったまま、ドゴールは来た道を悠然と戻っていった。ローゼンドール、そしてもう1人の痩せた男もその後に続き帰っていく。牢獄の中に再び静寂が訪れ、水滴の落ちる音が微かに響いた。
「……ジーグラス、お前は王族の末裔だったのか?」
少し時間をおいてそう尋ねると、ジーグラスは指先で口髭を整えつつ、申し訳なさそうに小さく笑った。
「さてな。俺は百姓の生まれで、今は傭兵稼業だ。国を乗っ取ったガーランド家に恨みなんてないと思っていたが……、あいつら3人を見ていたら、何だか段々とアズベルト家の血が騒ぎだしたような気がするよ」
王族の末裔であることを認めるジーグラス。しかしローゼンドール・ツァラもガーランド家の血族であるはずだが、もう1人の男もそうなのだろうか?
「それにしても、あの一緒にいた痩せた男もガーランド家の血筋なのか?」
「ああ。あいつが軍師として知られる、アスコー・ガーランドらしい。俺たちがこの牢屋に入れられる時にもあいつがいて、その時、黒鳥の1人がその名を呼んでいたから間違いないはず」
「アスコー・ガーランド? あいつがか?」
それは東西ストリーク国の内戦で逃げられた、修馬たちにとって因縁の相手だ。
「それよりお前はさっき、あの奇人ローゼンドール・ツァラを知ってるようだったな。もしかして、あの女と顔見知りだったりするのか?」
ジーグラスにそう言われ、軽く口ごもる修馬。知り合いと言えばそうなのだが、軟禁されている時に助けてくれるような関係性ではない。事実、先程も助けてくれるようなそぶりはなかった。
「うーん。知ってはいるんだけど、味方ってわけでもなくて、死体をもてあそぶ悪い奴だけど、そこまでろくでもない奴じゃないような気がするっていうか……」
要領を得ない返答しか出来ない修馬。彼女の人間性について説明するは難しいが、一言で言えば世間で呼ばれているように『奇人』というのが、最も正しい答えなのだろう。
「そうか、まあいい。いずれにせよ、ここから脱出しなければ俺たちは処刑されちまうってわけだ。どうしたものかな?」
そう。ジーグラスの言う通り、ドゴール・ガーランドは明日処刑を行うと言っていた。そしてその死体は、ローゼンドールによって芸術作品にされてしまうらしい。修馬自身は死んでも生き返るが、とはいえ以前伊集院がされたような『動く死体』の一部になるのは御免被りたい。
修馬は鉄格子の向こう側を気にしながら、両手に大きな武器を召喚した。それはアメリカ製のポンプアクション式ショットガン、『レミントンM870』だ。以前観たハリー軍曹の動画で、彼は鍵のかかったドアは散弾銃を使ってぶち破っていた。この錠前も、もしかしたら破壊出来るかもしれない。
「そういえばあいつらが言ってた最新武器って言葉で思い出したんだけど、俺は鍵をぶち壊すほどの銃器を持っていたんだよ。ちょっと危ないから、ジーグラスは後ろに下がっててくれ」
そう促すと、修馬は鉄格子の内側から、錠前に銃口を向けレミントンM870をしっかり構えた。
ダンッ!!
滴る水の音しか聞こえなかった牢獄に、大きな銃声と金属が弾ける音が鳴り響く。
「……くぅ、耳が痛ぇ。凄い威力の術だな。鍵は壊れたか?」
耳を押さえたジーグラスが聞いてくる。
「いや。へこみはしたけど、駄目だ。もう一発喰らわせてみる」
ハンドグリップを前後させ弾薬を装填する。そして引き金に指をかけたその時、何故かジーグラスはそれを無言で止めてきた。ジェスチャーの様子から、また誰かがこちらにやってくるみたいだ。
耳を澄ませてみるも、先ほどの銃声がツーンと耳に残っていて、何も聞こえはしない。
だがしばらくすると、視界の先に明かりも持たずに歩いてくる女のシルエットがぼんやりと浮かんできた。
徐々にはっきりとしてくるその輪郭。それはどうも、ローゼンドールのようだった。
「何だ、今の馬鹿でかい音は? 処刑されるのが怖くて、自棄にでもなっているのか」
一々腹の立つ言い方をしてくるローゼンドール。彼女は一体何をしに戻って来たのだろう?
「うるせー、こっちの勝手だろ。っていうか、結局お前もガーランド家の人間とつるんでるんだな。その血筋は嫌ってるんじゃなかったのか?」
「ガーランド家のことは、貴様に言われるまでもなく嫌っている。だが嫌いな奴とも付き合わなきゃいけないのが、貴族社会というもの。まあ、今はそんなことどうでもいい。従者のお前が捕まっているということは、ココ様もこの国に来ているのだろう? ココ様は無事なのか? それだけ確認しに来た」
ローゼンドールは言う。彼女は大魔導師と慕うココ・モンティクレールのことが心配で戻って来たようだ。
「ああ、この国には来てるけど、途中ではぐれたからどこにいるかはわからないが、多分無事だろう」
「そうか、ならいいわ。お前のような間の抜けた従者と違い、ココ様がドゴールのような豚大公に捕まるはずはないからな。ははは」
ローゼンドールは鉄格子に背中を向けると、更にこう続けた。
「お前たちは明日の正午、ドゴールが作り出した最新武器の威力を示すために公開で処刑される。そしてその死体は僕の手によって芸術作品になり、見せしめとして首都ベルディスクの市中に晒されるだろう。哀れなことだね」
「……助けてはくれないのかよ?」
背中を向けるローゼンドールに、修馬は問いかける。だが、彼女は振り返らない。
「この僕がお前らごときを助けると思うのか?」
「まあ、思わねぇよ」
「正解よ……。全く、今日もアルフォンテ王国の間者を処刑するとかで、僕の仕事も大忙しで困る」
ローゼンドールがそう言い残しそこから立ち去ろうとすると、牢獄の中に突然「ぶおぉぉぉ、ぶおぉぉぉ」という音が不気味に鳴り出した。
「……これは『鬼の慟哭』!」
警戒を強めるジーグラス。だがローゼンドールはそれを気にする様子もなく、闇の奥に姿を消した。鬼の慟哭と思われる怪音は更に大きくなっていく。
まさかこの牢獄の中にあの異形が現れるのか……?
嫌な予感がすると同時に、修馬たちの足元、むしろの下から土で汚れた木偶人形が這うように出現した。やはり異形だ!
「くそっ!」
こんなところで戦闘しなくてはいけないのか!?
横に目をやると、ジーグラスは鼻を摘まんで、顔を地面に伏せている。いや、そんなことでは絶対に難から逃れられない。
戦う決意を整えた修馬は、その手の中に初代守屋光宗『贋作』を召喚した。人形め、この刀の錆にしてくれる。
大きく上段に構え、いざ叩き斬ろうとしたのだが、むしろの下から出てきた異形は、修馬たちを無視し、土を掘るようにしてまた地面の中に潜り始めた。何だか様子がおかしい。
一度刀を下して様子を見守っていると、異形は鉄格子の下に人が1人、ぎりぎり通れるほどの穴を貫通させ、牢屋の外側に抜け出ていった。
その抜け穴を見て、暫し呆然とする修馬。
「……まさかお前、俺たちを助けてくれるっていうのか?」
鉄格子の向こう側にいる異形は、首の関節をカクカクカクッと小刻みに動かすと、また地面を掘るようにして潜り込み、そのままどこかに消えていった。