第16話 漆黒の玉
アルフォンテ王国王女、ユリナ・ヴィヴィアンティーヌが行方不明になったという一報が入り、王国は200人を超える大捜索隊を編成し捜索を開始した。アルコの大滝を起点に、真下の森から川を下り近隣の町まで。昼夜問わずの捜索で隊員たちの疲労も限界に近づいていたのだが、朝方になりようやく気を失っている王女の発見に至った。
だが実はそれが、王女と瓜二つだという異世界に転移したばかりの鈴木友梨那だったのだ。
王女として王宮に連れて帰られた友梨那は、生きていくのに都合が良いので、そのまま自分のことをアルフォンテ王国の王女だと騙るようになったのだという。
友梨那の話は、おおよそこんな感じだった。
「おかしな話でしょ? だって私は黒髪ですらないんだから……」
友梨那はそう言って、栗色の髪を手でとかした。仄かなシャンプーの香りが、2人の周りにふわりと広がる。
「けど、何でまた魔霞み山なんて危険なことに行ったんだ? 王女なら、基本的に城の中にいるもんだろ?」
修馬が尋ねると、友梨那は嘆息をつき肩を落とした。
「捜索隊によって王宮に連れて来られてはみたものの、すぐに偽物だとばれて、私は城の地下牢の中に閉じ込められてしまったのよ」
「……それは大変だな」
修馬自身も王宮騎士団に捕らえられそうになったので、話は共感することができる。知らない世界で監禁されてしまうなんて普通に生活している人間から考えたら、想像を絶する恐怖だろう。少々強引に日常生活で例えるなら、クラスの女子にエッチな検索の履歴を誤って見られてしまうような圧倒的な絶望感だ。いや、それはいくらなんでも強引過ぎるか?
「けどそんな中、1人だけ私の言うことを信じてくれた人がいたの」
「ほう」
絶望という名の谷に咲いた、たった1輪の希望。「オマーン国際空港で検索しようとしたら打ち間違えちゃったんだよ」という、しょうもない嘘を全力で信じてくれるくらい、ピュアな心の持ち主なのだろう。
「それが斎戒の泉で出会った時、一緒にいたマリアンナよ」
「マリアンナ? ああ、あの金髪の女戦士か……」
露出度の高い鎧を着た彼女の姿を思い出す修馬。しかし待て、マリアンナという名前にも聞き覚えがある気がする。これもまた、城下町レングラータで聞いた名前だ。
「マリアンナってもしかして、王宮騎士団の団員だったりするのか?」
「そうよ、よく知ってるわね。マリアンナ・グラヴィエは王宮騎士団の副長。彼女のおかげで私は地下牢から逃げることができたのよ」
友梨那のその言葉ではっきり思い出した。あの山小屋でアシュリーの祖母から頂いた紹介状に書かれていた宛名。それが、マリアンナ・グラヴィエだった。あの時王宮騎士団の団長は、副長マリアンナ・グラヴィエは昨晩、罪人を連れてここから脱走してしまったと言っていた。つまり王女と偽った友梨那と、その友梨那の言葉を信じ救出したマリアンナは王宮騎士団から追われる身となり、国境でもある魔霞み山まで逃亡していたということのようだ。
「成程、話の流れは大体わかった。ただ1つ根本的な質問があるんだ……」
修馬は目の前にいる彼女に視線を向ける。友梨那はきょとんとした表情で、こちらを見据えた。目尻が下がった典型的なタヌキ顔。超可愛いけど、今はそれどころではない。
見つめられた友梨那は、化粧っけのない薄い唇で小さく「何?」と聞いてきた。
肺の中の空気を吐き出し、そして吸い込む修馬。深呼吸するとリラックスして集中力が増す効果がある。それを狙ってやったわけではないが、修馬は無意識に呼吸を整えた。
「俺らって、こっちの世界と向こうの世界を行き来してるんだよね?」
「そうね。眠った時や意識を失った際に、別の世界で目を覚ます時があるみたい」
友梨那はそう言う。確かに、異世界で流水の剣の暴走によって溺れ意識を失った後や、ココの屋敷で眠った後に、こちらの世界に戻ってくることができた。修馬は何となく感づいていたその法則に、ようやく確信を持つことができた。
「根本的な質問ってそれなの?」
「いや。それを踏まえて聞きたいんだけど、そもそも何で俺らは2つの世界を行き交うようになったんだろう?」
修馬がそう質問すると、そこで会話が途切れてしまった。再び教室の中に静寂が訪れる。外で降っていた雨もいつの間にか止んでおり、雲の切れ間から日の光が漏れだしていた。
「そんなのわかるわけないじゃない」
しばしの後、そう呟いて窓の方に体を向ける友梨那。美人は後ろ姿もまた美しかったりする。
「雨、止んだね」
「雨はいつか止むものよ」
友梨那は眩しい日の光を遮るように、手のひらを顔の前に掲げた。南西の方角、雨雲の途切れた先から夏の日差しが降り注ぎ、遠くに霞む山の手前に大きな虹が掛かっているのが見える。雨の後にだけ現れる、淡く美しい天からの贈り物。
「私たちにわからないようなことは、神様にでも聞くのがいいんじゃない?」
振り返った友梨那が、無邪気な笑顔でそう言ってきた。
「か、神様?」
思わぬ言葉に、修馬の頭の中が疑問符でいっぱいになる。
「私、この間、天照大御神の話を聞いたの」
友梨那の言う天照大御神とは、日本の神話における八百万の神の中で、最も尊いとされる太陽神である。日本各地に幾つもの伝承が残されており、修馬の住むここ長野にもそのような話はあった。
「天岩戸の話? それならこの辺では有名だよ。ここから北にある戸隠山には天岩戸の伝説が残ってるからね」
天岩戸の伝説はざっくり言うと、太陽神である天照大御神が、弟の狼藉に立腹し岩戸の中に引きこもってしまい、世界が闇に閉ざされるという話である。親戚のおじちゃんのように、転校生に地元の伝承を教えてあげる俺。超有能。
「ふーん。そうなの、タケミナカタ?」
友梨那が誰かに向けてそう言うと、窓も空いてない教室の中に突然つむじ風が巻き起こった。教卓の上に置きっぱなしになっていたプリント数枚が、バタバタと旋回しだす。
警戒する修馬。また魔物の出現か!?
しかし教室には何も現れない。やがて風が治まり、舞っていたプリントがはらはらと床に落ちていくと、急に耳元から野太い男性の声が聞こえてきた。
「儂のことを呼んだようじゃな」
「うわっ!!」
反射的に体を反らせて、声のする方に首を回す修馬。右肩の上に、謎の黒い球体が乗っている。吸い込まれてしまいそうな程の黒い、ソフトボールサイズの玉。
慌てて手で掃おうとしたのだが、その黒い玉は実体がないようで、何度掃おうとも触れることができない。これは幽霊系の魔物に違いない。
「悪霊退散! 悪霊退散!」
手を合わせ必死に懇願する修馬。すると黒い玉は修馬の右肩から飛び上がり、近くの机の上に乗り移った。
「悪霊とは片腹痛い。無識な小僧にはわかるまいが、儂は神であるぞ」
黒い玉が縦に一回転しハンドボールサイズに膨れ上がると、その中心に2つの白い目と横に細長い口が現れた。「カカカカカッ」と小刻みに笑う。
「しゃ、喋った!? 魔物なのにっ!?」
目を見開き、瞳孔が膨れ上がる修馬。黒い玉は口を閉じると、修馬の顔面目掛けて思い切り体当たりしてきた。さっきまで実体がなかったのに、ドッジボールが当たったような感触と痛み。顔面セーフ。いや、むしろ顔面アウトだ。
「全く持って話の通じぬ小僧よ」
膨れたりしぼんだりしている黒い玉を、友梨那が優しく撫でている。
「この黒い玉は、修馬のことを加護してくれているタケミナカタっていう神様なのよ」
「タケミナカタ……?」
成程、この黒いのがココの言っていた落ちぶれた神様のようだ。異世界での言葉を思い出した修馬は、痛む眉間にそっと手を触れた。