第163話 フォークロア
「いやあ、それにしてもアーシャが元気そうで良かったよ」
上機嫌に笑みを浮かべ修馬は言った。旅の途中で出くわした1台の幌馬車。それに乗車していたのがアーシャたち虹の反乱軍だったため、修馬たちはそれに同乗し首都ベルディスクを目指していた。
「あたしは勿論変わらず元気さ。しかしシューマは、短い期間で更に男を上げたようだな。あの時よりも随分精悍な顔つきになっている」
「ほんとに?」
己の顔に手を当てる修馬。アーシャたちと別れてから、幾度となく戦闘は繰り返してきた。少しは頼もしく成長しているのだろうか?
「言うほど精悍な顔つきか?」
「うーん、どうかな」
向かい合った席の反対側に座る伊集院とココが、こそこそと話し合っている。こういう微妙な身体の変化は、毎日一緒にいる人間には得てして伝わらないものなのだ。久しぶりに会った者だからこそ実感出来る感覚。そういうことってあるはず。
「そして良い仲間にも恵まれたようだな。そちらの2人の魔道士は、只ならぬ魔力を持っているようだ」
「お! わかるのか?」
アーシャに言われると、若干不貞腐れていた伊集院の顔が一瞬で明るくなった。単純な奴め。
「わかるとも。それに盾の傭兵殿も不思議な威厳があるし、何よりもはぐれていた仲間とも再会出来たのは良かったじゃないか」
そう言ってアーシャは、マリアンナに首を向けた。修馬とマリアンナは、帝国にあるゴルバルの町でアーシャと会っていた。あの町の検問を抜けることが出来たのは、アーシャのおかげなのだ。
「ゴルバルの町に続き、またも助けていただいて深く感謝する。ここで貴女に会わなければ、歩いて首都を目指さなくてはいけないところでした」
「堅苦しい礼を言うのは止せ、助けるのは当然のこと。シューマとは同志だからな。その仲間たちも例外ではない。なぁ、アルカ」
アーシャはそう言って、前に座る御者に目をやった。幌馬車の手綱を握っているのは虹の反乱軍所属の航海士、アルカ・コルヴェル。しかし運転に集中しているのと走行音が大きいため、彼にこちらの声は届いてないだろう。
当然返ってこないであろう言葉を待つ意味もないので、アーシャはすぐに首を戻し、修馬の顔をいぶかし気に見つめた。
「だが、ここから徒歩で首都に向かうとは酔狂な話だよ。首都ベルディスクまではかなりの距離があるぞ」
「いや、馬車は俺たちも乗ってたんだけど、ベルクルスの国境近くで賊に襲われて馬1頭と荷車をやられちゃったんだ」
修馬が説明すると、細めていたアーシャの目が急に鋭くなった。
「国境近くで賊っ!?」
「うん。『母なる聖戦』とかいう悪党らしいんだけど、アーシャはそいつら知ってる?」
少し時間を置くと、アーシャはゆっくりと全員の顔を見回しながら尻を浮かせ座り位置を直した。
「無論、知っているさ。あたしたちは奴らを打ち倒すために、このベルクルスに来たんだからな」
物騒言葉が荷台の中に響くと共に、修馬の横にあった布の塊がゴトリッと音を立てた。
何かと思い振り返ると、布の隙間から人の足が現れた。とても大きな足。
よく見てみると布の下には1人の男が横たわっていた。倒したその悪党の死体でも積んでいるのかと思い動揺したが、それは修馬も見たことのある人物だった。
「ベ、ベックか……?」
そこで横になっていたのは虹の反乱軍の船大工、ベック・エルディーニのようだった。彼はその名を呼ばれると、返事でもするように大きくいびきをかきだした。とりあえず死んではいないようだ。
「すまない。彼は少し疲れているんだ。今は寝かしてやってくれ」
「そうなんだ……」
好きなように寝て貰って構わないのだが、こんなにもがたがた揺れる馬車の中でよく眠っていられるものだ。
「ベックはこんな大きな体をしておきながら蛙が大の苦手でね。昨晩は蛙の鳴き声のせいで一睡も出来なかったらしい」
アーシャから語られるベックの意外な弱点。これは良い情報を聞いたなと思ったが、続けてアーシャが言った「あんなご馳走が食べられないとは、人生の半分くらいを損してるな」という言葉には、あまり共感することが出来なかった。
「ははは。この辺りは田園地帯だから、雨蛙なんて山ほどいるよ。蛙嫌いの来るところじゃねぇ」
地元であるジーグラスは言う。だがアーシャはそれに対し、首を横に振った。
「雨蛙じゃあないさ。彼が苦手なのは牛蛙。あのおぞましい鳴き声のせいで、かなり怯えてしまっていたよ」
「牛蛙? この辺りに牛蛙なんていねぇはずだが」
「いや、確かに近くの山の中から牛蛙に似た鳴き声が聞こえていたぞ」
互いに首を捻るジーグラスとアーシャ。だが怪しげな蛙の鳴き声は、修馬たちもベルクルス公国の国境近くで聞いていた。
「牛蛙のような鳴き声なら我々も聞きました。あの独特の低い鳴き声は他に間違いようがないはず」
マリアンナが言うと、ジーグラスは顎に手を当てて何かを考え込んだ。
「ははーん。もしかすると、そいつは『鬼の慟哭』じゃねぇのか」
「鬼の慟哭?」
それを聞いた全員が声を合わせる。意味は分からないが、あまり良い言葉には思えない。
「ああ、昔からこの辺りには、『争いを起こす者は鬼に喰われる』って言い伝えがあるんだが、その鬼が出てくる前兆として鬼の慟哭と呼ばれる不気味な怪音が聞こえてくるんだそうだ」
以前にも聞いたその言い伝え。戦鬼と因縁がある修馬は、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「その鬼ってのは戦鬼の仲間なのか?」
「詳しくは知らんが、戦鬼の親玉みたいなやつらしい。目が黄色く光って、身の丈が小さい山くらいある化け物だって話だ」
「小さい山……」
絶句する修馬。だがジーグラスは、そんなものは言い伝えだとばかりにカラカラと笑った。
「まあ遭遇したら、鼻をつまんで地面に伏せていれば難から逃れられるらしい。試してみたらどうだ?」
「そんなんで、山みたいな化け物から逃れられるのか?」
「はっはっはっ! そういう迷信だよ。お前たちの生まれた国にもあるだろ? その手の話は」
何となく釈然とせずに腕を前に組み「うーん」と唸る修馬。目の前に座る伊集院は納得したように「狐に化かされそうな時は、眉に唾をつけると騙されないって言い伝えは聞いたことがあるな」と言って大きく頷いた。
「言い伝えかぁ……」
戦鬼への恐怖から溜息が漏れる修馬。山のような化け物の真偽はわからないが、その対処法については文字通り眉唾物のようだ。