第157話 ベルクルス公国
2頭の馬にひかれた大型の幌馬車が荒れた街道を駆けていく。
幌付きの荷台に乗っている修馬たち一行は、かれこれ丸3日間馬車に揺られていた。内戦が終わったストリーク国から帝国に行くため、その中間地点であるベルクルス公国に向けて北へ進んでいるのだ。
「また、雨が降って来たみたいだな……」
がたつく車内で伊集院が呟く。確かに激しい車輪の回る音に紛れて、雨粒が頭上の幌をポツポツと叩いている。数日前の大雨の影響で路面のコンディションが未だに悪くあまり速度が出せずにいたのだが、これ以上馬車の走りに影響が出るような天気になるのは勘弁願いたい。
軽く疼く左ひじを抱え込んだ修馬は、うな垂れながら自然とため息を漏らした。あの内戦の事を思い出すたびに、気持ちがどうしても憂鬱になっていくようだ。
「……何だ、あの女の子のことまだ気にしてんのか?」
伊集院が声をかけてくる。その女の子とは勿論、ストリーク国の内戦で帝国獣魔兵に襲われていたところを助けたモナという少女のことだ。
「当たり前だろ。あの子との約束を守ることが出来なかったんだからな」
今一度息をついた修馬は、首を上げ雨の打つ幌に目を向けた。数日前、雨の中戦った真紅の重装兵ゼノンとの決戦。その時修馬は、モナの祖父であるバロックの命を助けることが出来なかったのだ。
その後、モナにバロックが死んだという事実を伝えなければいけなかったことは、何ともやるせなく、大きな罪悪感に苛まれた。
沢山泣かれたし、沢山暴言も吐かれた。それはそうだ。本当に辛いのは彼女の方なのだから。
「けど良かったじゃないか。あのライゼンって野郎が、女の子を孤児院に連れてってくれたんだろ」
そう。伊集院の言う通り、たった1人の肉親であったバロックを失ったモナは、ライゼンが自らが運営してるマルディック孤児院に引き取られていったのだ。あの男が孤児院を営んでいたことは、修馬にとってせめてもの救いであった。生きてさえいれば、いつかは良いことがある。今はそう思って、彼女の今後の幸せを願うしかない。
重い空気で静まる車内。だがその時、御者を務めている共和国騎兵旅団のカイル・アリアットが、小さく振り返り声をかけてきた。
「シューマ殿、恐らくこの辺りが国の境目です。もうすぐベルクルスの国境の村に到着致しますよ!」
それを聞き、やっとかと安堵した様子を示す伊集院とココ。だがマリアンナは表情も変えずに、いつも通り背筋を伸ばしている。
「ベルクルス公国……、また来ることになるとは思わなかったな」
「マリアンナはベルクルスに来たことがあるの?」
首を捻り、ココが聞いた。
「ええ。数年前ベルクルス公国の首都ベルディスクで『頂上会議』が行われた時に、王の護衛で一度だけ……」
口を濁すように語るマリアンナ。頂上会議とは何だろうか?
「ああ、平和な世界を永続するための頂上会議か……。けど結局会議は大きく決裂し、世界情勢はその後一層不安定になってしまったんだよねぇ」
「主催国がベルクルス公国でしたからね。今考えれば当然の結果だったのかもしれません」
「そうだねー」
2人の話を聞くに、頂上会議とは各国の首脳が集まるサミット会議のようなもののようだ。しかし主催国がベルクルス公国だから話が決裂したというところはよく理解出来ない。
「ベルクルス公国ってのは、軍事産業で富を得ている国だろ? そんなところで世界平和の会議をするとか、冗談みたいな話だな」
どこか得意げにそう語る伊集院。彼はこの世界の情勢を、多少把握している様子。
「全く笑えない冗談だ。当時はそんなベルクルス公国で平和の話し合いを行うから意味があるという風潮だったからな。まあ、共和国と帝国の間を取り持てる国が他にはなかったというのも事実だが……」
難しい表情で口を結ぶマリアンナ。彼女の出身であるアルフォンテ王国も、帝国とは戦争になりかけている状態だったので、色々と複雑なのかもしれない。
「けどそんな一方で、この辺りの土地には『争いを起こす者は鬼に喰われる』っていう言葉もあるんだよ。ベルクルス公国が建国する以前からある言い伝えみたいだけどねぇ」
ココはどこか嬉しそうにそう言ったが、修馬はその言葉を聞くと自然と身震いがしてきた。何かと因縁のある戦鬼のことを思い出すからだ。今の実力があれば、余裕で倒せる相手なのだろうが、どうにも苦手意識が先行してしまう。
そんなことを話しながら馬車を走らせていくと、走行音に交じり何処からか怪しげな音が微かに聞こえ始めてきた。自然と会話が止み、互いの顔を確認する4人。やがてその音は「ボォォォッ、ボォォォッ」と、はっきり修馬たちの耳に聞こえるようになってきた。
耳を傾けながら鼻をひくつかせるマリアンナ。
「……何やら生臭い。これは雨と共に地面に出てきた、牛蛙の鳴き声だろう」
「ウシガエル?」
確かに縄張りを主張している時のウシガエルの鳴き声に似ている気もするが、それよりもこの音はもっと邪悪なものの呻き声のような薄気味悪さがあった。何か悪いことが起きなければよいのだが。
ただ悪い予感というものは、往々にしてよく当たるものだ。
これまで順調に走っていた馬車だったが、突然前を走る馬が耳障りな奇声を上げると、大きな衝撃と共に幌付きの荷台ががくんと停車した。その勢い車内は斜めに傾いてしまう。
「痛っ!! どうしたんだ、カイル!」
「大変です! 賊が現れました!」
「賊っ!?」
体勢を立て直し、停まっている車内の後方から幌を開け飛び出していく修馬たち。ぽつぽつと小雨が降る中、幌馬車の周りには数十名の賊が目を光らせて身構えていた。
「この者たちは恐らく、『母なる聖戦』一味です!」
声を上ずらせ、御者のカイルは言う。
「母なる? それは何だ!?」
修馬のその質問に答えたのはマリアンナだった。
「ベルクルス公国が後ろ盾になっている、厄介な悪党どもだ」
「国家が後ろ盾の悪党……?。成程、それは厄介だ。どうする?」
この国に関しては出来れば穏便に通過し、そのまま帝国まで行きたいところだが、そうも言ってはいられない雰囲気。
「まあ、丁度いいじゃないか」
持っている杖で肩を叩きながら、慌てもせずに伊集院が言った。
「一体何が丁度いいんだ?」
「だから、大蛇神楽で高まった能力を試す絶好の機会だって言ってるんだよ」
現実世界で行った大蛇神楽。あの儀式により、タケミナカタの力がかなり高まっているということだった。以前なら異世界では現実世界の武器は通常召喚出来なかったが、果たして可能になっただろうか?
遠くから放たれてきた数本の矢を、修馬の持つ白獅子の盾が独りでに動き、連続で弾き返す。
「そうだな、それも一理ある。だったらここは俺に任せてくれ。……出でよ、『S&WチーフスペシャルLadySmith』!」
黒光りする小型のリボルバーが2丁、修馬の両手に出現した。難なく召喚成功。大蛇神楽で下手な踊りを披露した甲斐はあったようだ。
早速、2丁の拳銃が火を放つ。修馬が声を上げ連射すると、周りの賊は次々に銃弾を受け地面に倒れていった。見たか。これが俺たちの世界の武器の威力だ。
宙に浮く白獅子の盾によって自動で敵の矢を防ぎながら、修馬は2丁の銃で敵を次々に屠っていく。リボルバーは自動拳銃に比べて装弾数が明らかに少ないが、修馬にとってそれはあまり関係なかった。弾が切れたら銃を放り投げ、また新たな銃を召喚すればよかったからだ。修馬ならではのリロード方法。
そして四方を囲んだ敵を倒し続け最後の1人の額に銃弾を浴びせると、修馬は強張った両肩をだらりと下げ大きく息をついた。女性向けの護身用拳銃とはいえ、流石に慣れない片手撃ちでの疲労感は尋常じゃない。
「こいつらの目的は何? 国家が背後にいるんだったら、ただの武装強盗ではないよな」
修馬は自らが撃ち殺した死体に目を向ける。もうこちらの世界では、人を殺めることに抵抗を感じなくなっているみたいだ。それも仕方はない。
「か、彼らは国境を警備していたのかもしれない」
少し緊張した様子でマリアンナは言う。あまりにも簡単に大勢の命を奪ったため、騎士である彼女も引いてしまっているようだ。
「国が後ろ盾になっているとはいえ、悪党どもが国境の警備をするのか? おかしな話だ」
「国を守るためじゃない。我々を襲う理由があるのだ。母なる聖戦は、あの軍師アスコー・ガーランドが所属している組織だからな」
マリアンナは言った。軍師アスコー。それはストリーク国の内戦を引き起こした張本人であり、土壇場で戦場から逃げられてしまった修馬たちにとっての忌むべき相手。
「じゃあこいつらは、軍師アスコーが俺たちを始末するために送ってきた刺客ってこと?」
修馬が聞くと、マリアンナは目尻を小さく震わせながら、じっと北の方角を見つめた。
「わからない……。わからないが、帝国までの道のり、簡単にこの国を素通りすることは出来ないのかもしれないな」