第155話 酩酊ボーイ
お上り神事を終えた修馬と伊集院が中社に帰ってきてしばらくした後、友理那と珠緒も奥社から中社までを歩くお下り神事を済ませ中社へと戻ってきた。2人とも白衣に緋袴という衣装だ。
友理那は神事に合わせて髪色を戻したらしく、黒く長い髪を紅白の和紙で一本にまとめていて、一方の珠緒は少し伸びたおかっぱボブを赤い水引で二つに結っていた。
「お帰り。2人とも疲れてない?」
修馬が尋ねると、友理那と珠緒は長い距離を歩いてきたとは思えない程の涼しい顔で丁寧に頷いた。
「勿論。神事はこれからが本番だからね」
「広瀬くんと伊集院くんもお疲れさまでした。これから大蛇神楽に向けて祝詞を上げて貰うので、一緒についてきて来てください」
巫女装束の2人の後を、修馬と伊集院がだらだらとついていく。神事に関して何の打ち合わせも練習もしていなかったため、正直自分たちは見物するだけだと思っていたが、当日になったら色々と忙しい。少し騙された気分だ。
社務所から床の軋む渡り廊下を通り本殿へと向かう。祭囃子と蝉の声、そして集まってくれた地元の人や観光客の賑やかな声が共鳴し、境内を包み込んでいる。人々の集う夏祭りを、こんな角度から体験することになるとは思いもしなかった。
薄暗い本殿の中に入ると、黒い冠に赤い装束を着た神職が待ちかねていたように立ち上がり、中へと誘った。彼は以前守屋家の屋敷に案内してくれた宮司の方だ。名は確か藤田といったはず。
「お待ちしておりました。それではこちらに」
珠緒、友理那、修馬、伊集院の順に入っていくと、4つ用意された小さな木の台の前にそれぞれ座っていった。何とも言えない緊張感が社殿の中を支配している。
皆が座り空気が整うと、神前の藤田は民謡でも歌うように祝詞を唱え始めた。
独特の抑揚で読み上げられる、祈りの言葉。意味は全くわからなかったが、それはとても美しいもののように感じることが出来た。古より伝わる、神に奏上する詞。
そして榊の枝で作られた神具でお祓いした後、本殿の奥から珠緒たちと同じ巫女装束の葵と茜の双子姉妹がしとやかに現れた。手には土瓶のような形の朱色の酒器を持っている。
葵と茜の2人は、木の台に置かれた小皿のようなに白い盃に透明の液体を注いでいく。これは恐らくお神酒だろう。日本酒を飲むのは初めてなので期待が膨らんだが、「口をつけるだけでよいですからね」と葵が小声で釘を刺してきた。まあ、これは儀式なので、大人しく言うことを聞くようにしよう。
小さな盃を両手で持ち、軽く口をつける修馬。こくのある米の味わいが舌の上を転がって、喉の奥に流れ落ちていく。そしてゆっくり目を閉じると、鼻からすっきりとした甘い香りが仄かに抜け、心に清々しい風が吹き抜けていった。これが日本酒というものの味わいなのか。
旨い……。
余韻に浸りつつ瞼を開けると、左に座る伊集院が急に肩を突いてきた。
「修馬、大丈夫か?」
「……何がだよ? 酒なら得意な方だぞ」
囁くように言ってきたので、修馬も同じく囁き返す。
「嘘つけ。お前、さっきから体が左右に揺れてるじゃねぇか。顔も真っ赤だし」
「顔が?」
盃を台の上に戻し、両手を顔に押し当てる。頬が微熱を持ったように温かい。これは一体?
気づいた時には完全に酔いが回っていた。畳の上にゆっくりと倒れると、梁がむき出しになった古い天井が目に映った。
あれ? 俺は酒に強いはずじゃなかったのか……?
異世界で虹の反乱軍の船に乗った時は、火酒と呼ばれる酒精の高い酒を軽々飲んでいた修馬だったが、このお神酒は軽く舐めただけなのに座っていられない程にアルコールが回ってしまった。ただ、悪くはないほろ酔い気分。
もしや、こんな中途半端なタイミングで異世界に転移してしまうのではないだろうか?
そんな思いも過ぎったが、すぐにまあそれも良いかと思い直した修馬は、睡魔に誘われるままにその場でゆっくりと目を瞑った。




