第154話 お上り神事
杉の木立が両脇に並ぶ長い長い階段を上りきると、様々な彫刻が施された美しい社が目の前に現れた。ここが五社からなる戸隠神社の中でも一番麓にある宝光社。その社殿は戸隠神社五社の中でも最も古く、1861年に創建されたものなのだという。
社殿の中で宮司によるお清めを受けた修馬と伊集院は、守屋伊織先導の元、『神道』という中社に続く古道をゆっくりとした速度で歩いていた。本日は8月11日、山の日。夏の暑さの盛りだが、木々に囲まれている神道は日光が適度に遮断され、涼し気なそよ風が流れている。
ここは遊歩道にもなっているので、観光客らしき歩行者と時々すれ違うことがあった。彼らはこちらを見ると、丁寧に頭を下げて礼儀正しく通り過ぎていく。前を歩く伊織が綺麗な柄の描かれた長細い旗を掲げているので、何かの儀式を行っていることは理解出来るのであろう。
「修馬の遅れが祭りの進行に影響しないといいけどな」
隣を歩く伊集院が言った。こいつは男のくせに、いつまでもねちねちとうるさい奴だ。
「しょうがないだろ。知らなかったんだから……」
「知らなくても今日は大事な儀式の日なんだから、普通余裕を持って早く来るもんだ。お前、鋼鉄の武人を倒したからって調子に乗ってるんのか?」
これも一応神事の最中だというのに、無駄口ばかり叩く伊集院。だが長細い旗を大事そうに抱える伊織は、怒るでもなく青々とした森の木々に目を向けた。
「鋼鉄の武人? きっとそれは、初代守屋光宗『贋作』で討ち倒したのでしょうねぇ」
「贋作……。ははは、そうですね」
実際には銃器や手榴弾で倒していたのだが、本当のことを言えば流石に温和な伊織も怒り出し、そして失望するだろう。このお方は、刀に関して人一倍深いこだわりを持つ人物なのだ。
「そういえば、『天之羽々斬』のことなんですが……」
初代守屋光宗『贋作』の名を聞きあることを思い出した修馬は、神妙な姿で前を歩く伊織に話しかけた。
「なんでしょうか?」
「実は向こうの世界でその……、天之羽々斬の複製品があったんです」
異世界での天之羽々斬の複製品。その銘は、『黄昏の十字剣』といった。貝吹のバロックという老戦士が所有していた直剣だ。
「そうですか。もう一つの世界でも我々守屋家の一族のように、天之羽々斬を蘇らせようとしていたのですね」
「はい。ですがそこで見た複製の剣は、初代守屋光宗『贋作』とは似ても似つかない形状をしていました。刀というよりは、西洋のソードのような……」
それを聞くと、伊織も何か思うことがあったのか小さく頷いた。辺りにはアブラゼミたちがジリジリと鳴き声を奏でている。
「それは興味深いですね。異世界の天之羽々斬のお話、詳しく教えてください」
山道を進みながら、修馬は異世界で見た黄昏の十字剣について語った。その形状が直剣であること、魔玉石と言う魔法の石の力で力を発揮すること。そしてその属性が、光の力であったこと。
「成程、魔法の力……。形状が異なることはわかっていましたが、これは困りました」
伊織は天を仰ぐ。
「形が違うことは知ってたんですか?」
「反りがあって片刃の刀剣、所謂日本刀と称されるものは、平安末期に造られたと言われています。神代の剣であるなら直剣なのが普通。恐らく高祖父は、殺傷力を上げるために敢えて日本刀の形状にしたのだと思います」
「そうか。元の形を優先するか、それとも殺傷力を優先するか……、どっちが正しいんだろう?」
修馬はそう質問したのだが、伊織は辿り着いた分岐路を前に、自らが掲げる旗を見上げ呆然としていた。
「どうかしましたか?」
「……風が消えました」
「風?」
確かに伊織の持つ旗は全く揺らめいていない。だがそれは大したことではないだろう。変わったことがあるとすれば、先ほどまでは歩行者と何度かすれ違っていたのが、ここに来て人の気配がまるでなくなってしまったことくらいだ。
「どういうことですか?」
そう聞くが伊織の顔色は優れない。しっとりと唇と閉じ、辺りを見渡している。
「確かに神道を歩くのは久しぶりなのですが、まさか道に迷うとは思ってもいませんでした」
伊織の口から告げられる意外な言葉。分岐点はここが初めてで、それまでは一本道だったはず。
「このY字路、どっちに行くかわからないんですか?」
「ええ。狐にでも化かされてるんでしょうか?」
冗談のようにそういうが、伊織の目は笑っていない。だがその一方で、伊集院は能天気な顔で大きくあくびをした。
「知らない道? 俺は見覚えがあるけどなぁ。多分こっちだ」
急に先頭に立った伊集院は、分岐路を左に曲がりずんずんと進んでいく。修馬と伊織は顔を見合わせて首を捻った後、すぐにその後を追った。
「こっちだっていうけど、お前、神道通ったことあるのか?」
「さあ? どうだったかな」
「だったら何でわかるんだよ!?」
至極まっとうなことを言う修馬。だが伊集院自身もよくわからないのか、ちょっと苛ついたように鼻を鳴らした。
「けどほら、建物が見えてきただろ」
前に立つ伊集院は、正面を指差した。木々に隠れていて良く見えないが、確かにその先には木造の建造物が存在している。
「い、伊織さん、あの建物知ってます?」
修馬が聞くが、伊織は難しい顔のままその場に立ち止まっていた。
「……わかりません。宝光社と中社の間には火之御子社があるのですが、そこに通じる道を間違うはずはありません」
「けど多分、あれは神社のはずだよ。行ってみよう」
「えっ!? ちょっと、待ってください!」
進むのを躊躇する伊織だったが、前を行く伊集院は慣れた足取りで木の根を避けながら建物の方に駆けて行った。修馬も何故か、小走りでその後を追っていく。
木々のトンネルを抜けると、森の中の小さく開けた空間に出た。空気が澄んで心地よい場所。そしてその中央には、朽ちる寸前とも思われる古い木造の社が鎮座している。神秘的かつ、どこか懐かしいような不思議な光景。
「伊集院の言う通り、神社みたいです!」
後ろに向かって言うと、伊織は「えーっ!?」と声を上げ、ばたばたと駆けてきた。
社の正面に立つ3人。鈴紐も注連縄も無い朽ちた建物を、声もなくただしばらく見つめていた。
「諏訪神社……、だってさ」
社の正面にかけられた神額には昔風の横書きで『社神訪諏』と記されていた。諏訪神社とは、同県の諏訪湖周辺に総本社がある御柱で有名な神社。とりあえず、戸隠神社ではないようだ。
「お諏訪さま……、な、何故ここに?」
喉を震わせ驚きを隠せない様子の伊織。彼も神道の途中にこの神社があることは知らなかったようだ。しかし戸隠神社と関りの深い守屋家の当主が知らないというのは、どう考えても腑に落ちない。
「なあ、伊集院。お前、何でここに神社があることを知ってたんだよ?」
そう尋ねた時、彼は社を背にして左手にある大きな杉の木の方へと歩いていた。
「ん? ああ、なんか昔の記憶が蘇ったというか、ほら、この大木とか見覚えあるだろ?」
「あるだろって言われても、お前の頭の中のことを俺が知るわけ……」
伊集院が思い出した記憶の中身など理解出来るはずもないのだが、この御神木のような杉の大樹には確かに修馬も見覚えがあった。
「嘘だろ……。もしかしてここ、昔俺らがよく遊んでた廃神社なのか?」
そこにきて修馬もようやく記憶が蘇った。ここは小さいころに幼馴染たちと遊んだ場所だということに。しかし、何故それが戸隠山にあるのか? 同じ長野市内とは言え、子供たちだけでこんな山奥まで通っていたとは思えない。もっと近所にある小さな山の中にあったはず。
しかもそれとは別に、何か決定的に忘れてしまっていることがあるように修馬は思えた。それは一体何であろう?
「何でこんなところにあるのかはわからないが、この雰囲気は間違いないだろう。特にこの杉の大木には個人的に嫌な思い出がある。子供の頃、この木の上からでっかい蛇が落ちてきたんだ」
「蛇?」
「ああ、白い蛇だよ。流石に覚えてるだろ?」
伊集院がそう言った次の瞬間、杉の大木の上から小さな枯れ枝がこつんと落ちてきた。「うわっ!」と言って大袈裟に身を退く伊集院。
「くそ焦った! また蛇が落ちてきたかと思ったじゃねぇか」
彼は声を上擦らせこちらに引き返してくる。
「そういえば伊集院は蛇が苦手なんだっけ?」
「そうだよ! その後、がっつり腕を噛まれたからな!」
そう言って右腕を見る伊集院。噛まれた跡は残っていないが、蕁麻疹のような大きなぼつぼつが皮膚に現れていた。想像しただけでここまでになるとは、よほど嫌いなのだろう。
「伊織さん。ここは蛇が出るかもしれないから、早く中社に行こう」
「……確かにそうですね。もしかするとこれは『迷い家』と呼ばれるものかもしれません。それに関わった者は、幸福になるともそこから帰れなくなるとも言われています。まあ、触らぬ神に祟りなしとも言いますし、ここはあまり触れずに帰りましょうか」
伊織の言うことを聞き、境内を後にする3人。そこから真っすぐに歩いていくとどこかで空気感が変わり、しばらくすると遠くから祭囃子が微かに聞こえてきた。
何となく元の場所に戻れた気がした修馬は、強張った肩を下し、そしてそのまま伊織の後を追い歩を進めた。