第150話 惨劇の古戦場
すっかりと日も落ちて、細い月が浮かぶ夜空の下を、修馬は涼風の双剣を駆使して全力で駆けていく。
今は走っているのは、『黒鉄の古戦場』と呼ばれる大きな丘。エクセイルに向かう時は下の坑道内を通ってきたのでわからなかったが、かつては鉄鉱石を採掘していた鉱山だったということで、所々に石材で造られた高炉や櫓の跡が見受けられた。
かなりの広さがあると思われるこの鉱山。過去には戦場にもなっていたということで戦をするには都合の良い場所だろうが、この闇夜の戦いでは乱戦になる恐れがあると思われる。同士討ちを避けるような陣形で戦わなければならない。
そして薄く雑草が生える斜面を一気に駆け上がると、すり鉢状に削られた大きな窪地が眼下に広がった。夜の闇に目を凝らす修馬。窪地の下では3つの軍隊が間を空けて睨み合っている。ぎりぎり間に合ったということで良いだろう。
とはいえ焦りを感じた修馬は、削られ急勾配になっている斜面を落下するように駆け下りた。目指すのは、下弦の月が描かれた旗を持つ騎兵旅団の最後尾。
砂を巻き上げて崖を下りている修馬に気づいた騎兵旅団の団員たちは、示し合わせていたかのように人が1人通れるほどの道を空けてくれた。
速度を緩めつつその間を真っすぐに抜けていくと、最前列にシャンディ准将とレディアン女王がやや困惑した様子で佇んでいた。
「来たか、シューマ!」
「……すみません、遅れました」
修馬は言い、そして前に目を向けた。右手にいる赤い上弦の月が描かれた旗を掲げる東軍と、左手にいる共和国の援軍が今にもぶつかろうとしているのだが、両者は睨み合ったまま一定の距離を空けている。これはどういう状況なのか?
「いや、私たちも今しがたここに着いたところだ。……戦は始まる寸前だったが、突然その中央にあの奇妙な男が現れ、そして両軍の兵士数名をいとも簡単に打ち倒したのだ」
悩ましい顔で扇を口に当てるレディアン。修馬は改めて、戦いの中心地を見た。そこには戦場のど真ん中であるにも関わらず、1人の男がヤンキー座りをして両軍を威嚇していた。サイドヘアーを編み込んだ洒落者の男。
「シューマも見覚えがあるだろう。石の森にいた、あの『奇術師』がここに現れたのだ」
シャンディに言われたが、修馬もその時にはすでに気づいていた。そこでしゃがんで威嚇しているのが、ライゼン・モレア・マルディックであることを。
「あいつ、何してんだこんなとこで!?」
修馬が声を上げると、それに気づいたライゼンがこちらを見てに少しだけほくそ笑み、再び眉間に皺を寄せた。本気で何をしているのか理解出来ない。
「よくも我が軍の兵士をいたぶってくれたな! お前は我が軍の切り札、『鋼鉄の武人』が骨も残らぬほどにすり潰してやるが、その前に我らに手を出してきた理由を言ってみろ!」
若干小物感漂うが、身なりだけは上等な衣服を着ている小男が甲高い声で啖呵を切った。ライゼンは汚物でも見るような目を向け、口を曲げた。
「あのなぁ、俺はどっちの軍の味方でもねぇんだよ」
「馬鹿め、そんなことはわかっている!」
地声が甲高いのか、更に声が上擦る小男。ライゼンの周りには両軍の兵士が多数転がっているので、どちらの味方でもないのは自明だろう。
「あやつが我が愚弟、ラッザムだ。私の裏をかいたつもりだろうが、予想外の出来事に相当苛ついているようだな」
レディアンはあざ笑うわけでも蔑むわけでもなく、淡々とそう言った。それは家族とも、憎むべき相手とも取れないような言い方だった。最早、ただの1人の敵として見ているのかもしれない。
「そしてその後ろに控えているのが、あの鋼鉄の武人、マウル・ギルドルース。奴の攻撃だけは充分に気を付けろ」
続けてシャンディが言うので、修馬はラッザムの後ろに目をやった。エクセイルで戦った重装兵団と異なり、こちらの隊は軽装の兵士しかいないようだが、1人だけやたらと横幅のある武骨な鎧を着ている者がいた。その鎧は、ホッフェルの工房で見た油絵の鎧と同様のものだった。あれこそが鋼鉄の武人が装備しているという『覇者の物の具』。
「この東西の内戦に関係の無い者が、何故ここに居て、我らの邪魔をするというのか!?」
ラッザムの甲高い声に反応し、ライゼンはゆっくりと立ち上がった。彼の腕の中には、1匹の猫が抱かれている。
「何でここに居るのかって? それは逃げ遅れた猫がここにいたからさ。自分たちの手で殺戮を繰り返す人間より、よほど尊い命だ」
「猫だと……、ふざけやがって。てめえは平和主義者か!?」
「ふんっ! そんな高尚な考えの持ち主じゃない。腹が立てば怒るし、むかつく野郎は当然ぶん殴るっ!!」
そう言い終わるか否や、暗闇に姿を消すライゼン。そして次の瞬間、ラッザムの目の前に姿を現したかと思うと、おもむろにその横っ面を素手で殴り飛ばした。西部劇のアレのように、軽く地面を転がっていくラッザム。流石は認識を消すことが出来る奇術師だ。別段、ラッザムに恨みがあったわけではないが、何となくすっきりした。
再び両軍に睨みを効かすライゼン。
「だがお前らはどうだ? 本当に怒っているから、相手と戦っているのか? それとも国に扇動されるままに人を殺めてる、くだらない連中なのか?」
王を殴られても尚、東軍兵士は動く様子を見せない。ライゼンを恐れているのか、それとも単にラッザム王が慕われていないのか?
「軍師アスコーが見当たらないが……」
横にいるレディアンが、独り言のように呟いた。彼女の弟であるラッザムをそそのかし、国を二分させた張本人だという軍師アスコー。この場にいるはずのその男が、どこにも見当たらないのだという。指揮する軍師がいないせいで、東軍の兵士も動けないのかもしれない。
両軍の動きがないのを確認すると、ライゼンは近くにある痩せた木の元に移動し、静かに腰を屈めた。
「ほらよ。この茶トラがお前の言ってたミィちゃんだろ?」
木陰に隠れていた人物に、猫を渡すライゼン。その相手はなんと、修馬がエクセイルの外れの集落で捜していたモナであった。彼女はにっこりと笑うと、茶トラの猫をぎゅっと抱きしめた。
「……うん。ありがとう、おじちゃん」
「お、おじっ、……まあいい。大事な家族なら、しっかり捕まえとけよ」
モナの頭に手を触れ、神経を張り詰まらせながらライゼンはこちらに歩いてくる。とりあえずモナの無事が確認出来たので、修馬はほっと一安心した。だが、気を緩めていい状況ではない。
「悪いが、この子供を頼む」
ライゼンは最前列にいるレディアンにモナを託した。
始めは虚を突かれたように目を開いたレディアンだったが、視線の高さをモナに合わせると、自国の幼い民が無事であることを喜び、そして優しく抱きしめた。
「よしよし。もう、大丈夫だ。こっちに来なさい」
ライゼンはレディアンが隊の後方に下がっていくのを見届け、近くにいるシャンディと向かい合った。
「ここからは極力戦意を抑えろ。戦う気持ちが強い奴は、俺の術の虜になるぞ」
突然発せられる、預言者のようなライゼンの言葉。
だが彼のその真意を聞く間もなく、両軍の兵士がようやく思い出したかのようにライゼンに向かって次々襲い掛かってきた。
この状況で戦意を抑えろと言われても、どうしても無理がある。
迎え撃つように体制を整える修馬。だが何か様子がおかしい。攻め込んできた両軍の兵士が全員すぐに動きを止め、わなわなと小刻みに震え出したのだ。何か恐ろしい化け物でも見てしまったかのような。
そして目の前にいる1人の兵士の頭が真っ二つに割れ、赤い血が激しく飛び散った。そして同時に鳴り響く、この世の終わりのようなけたたましい絶叫。
返り血を浴びた全ての兵士は、皮膚がまだらに溶け、腐った果実のように頭部が首から落下していった。残された体は、浮き出た血管から血を噴出させ、何かを求めるように四つ足で這いずり回りだす。
「う、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
あまりにも恐ろしい情景に一歩下がった修馬は、腐敗した生首を踏みつけ、ずるりと尻もちをついた。恨めしそうにぎろりと睨む、腐った生首。それはどういうわけか、己の顔に瓜二つだった。
「……シューマ! シューマッ!!」
突如名を呼ばれ、はっと我に返る修馬。目の前にはココが心配そうな顔でこちらを見ていた。
息を呑み辺りを確認する。先ほど見ていた死体の山などどこにもなく、そこには血の一滴も流れていなかった。
「シューマ、今のは幻術だよ」ココが言う。
「げ、幻術……」
修馬は気持ちを整理するように、深呼吸を繰り返す。
「幻術じゃねぇ、認識を操作してるんだって言ってるだろ。戦意のある者たちに、地獄を見せてやったのさ。二度とくだらねえことをさせないためにな」
得意げに語るライゼン。彼は魔法は使えないが、認識の概念を操る能力を持っているらしい。だが修馬にとっては、幻術と認識操作の違いはよくわからないし、今は本当にそれどころじゃなかった。
未だ何もないところで身を悶えさせる両軍の兵士たち。背後に目をやると、こちらの騎兵旅団の団員も半分くらいは倒れて苦しんでいた。これは正に地獄絵図。
「……まあ、このくらいで充分だろ」
ライゼンが地面に手を触れると、苦しんでいた兵士たちが熱が引いたように静かになり、そしてぐったりと地面に崩れた。
驚異的な無差別テロ。このライゼンという男は、やはり敵に回してはいけない奴のようだ。