第149話 薄闇の追走
両手に持つ涼風の双剣から風を出力させ、修馬は1人、黒鉄の古戦場に向けて草原を駆けていた。レディアン女王やシャンディ准将らの本隊とは2時間近く遅れてエクセイル城を出発したため、真っ暗な道を1人静かに滑走している。
急がなくてはいけない。この合戦には両軍の兵士たちの命だけでなく、国の存亡をも掛かっているのだ。騎馬の速度を超えるつもりで、修馬は黙々と地面を蹴った。
「こぞう……」
不意に聞こえてくる不審な声。はっとして振り返ると、己の肩の上にテニスボールサイズのタケミナカタが現れていた。
「何だよ。今、急いでるから」
本当に急いでいるのでそっけなく返したが、黒い球状のタケミナカタは意にも介さない。
「小僧、どうして泣いているのだ?」
「泣いてる……?」
タケミナカタに言われるまで気づいていなかったが、修馬は暗い草原を走りながら微かに涙を滲ませていたのだ。
「今さっき葬った、バロックとかいう老人のことじゃな」
タケミナカタはそう言うと、体をひしゃげさせ静かに息をついた。
そう。修馬は黒鉄に古戦場に向かう前、1人、エクセイル城の近郊にあった墓地の片隅にバロックの遺体を葬っていたのだ。モナには必ずじいちゃんを連れて帰ると約束したのだが、それを守ることは叶わなかった。
もうすぐ彼女がいると思われる学校の建物に辿り着くが、どのように伝えれば良いだろうか。
修馬は零れそうな涙を拭いもせずに、馬の蹄でぬかるんだ地面を必死に駆けた。
「生き物として生まれた以上、いずれその命が尽きる時が来る。命の価値観など人それぞれだが、戦いの中でしか生きていくことが出来ぬと言っていたあの老人は、戦場で死ぬことが出来て幸せだったのではないか」
確かにタケミナカタが言う通り、バロックは戦いの中でしか生きていけないと言っていた。戦うことこそが生きている証なのだとも。だが修馬には、それが理解出来ない。この世に生を受たのに、戦いの中で死にたいなどと思うことがあるのだろうかと。
「……人は生まれてくることに、何か意味があるのかな?」
「今度は何だ? 自分が存在することに理由が欲しいのか?」
「いや、そうじゃない。単に知りたいだけだ。折角神様と会話が出来るなら、そういうことも聞いておきたいでしょ」
人間が生まれてきたのは、果たしてただの偶然なのか、曲げることの出来ない必然なのか、それとも我々が思いもよらないような全く別の要因があるのか?
「知的好奇心が旺盛で結構なことだ。しかし勉強でもなんでもそうだが、本当に大事なことは理解することより、思考するということ。……まあ全知全能ではない儂が教えられるのは、精々このくらいじゃな」
タケミナカタはそう言うと、神としての威厳を保つように体を少し膨らませた。上手くはぐらかされたような感じもするが、恐らく本当に知らないのだろう。今は無駄話をしているよりも、前に進まなくてはならない。
もうすぐ西軍の本陣として使用していた学校のある、エクセイル郊外に辿り着く。モナにはバロックのことをどのように伝えれば良いだろう。急がなければいけない道のりだが、どうしても足取りが重く感じてしまう。
「そう言えば小僧よ。あの老人が持っていた直剣、あれは良い出来の剣じゃったが捨ててきて良かったのか?」
タケミナカタが言ってくる。あの黄昏の十字剣は捨ててきたわけではない。バロックの墓穴の上に盛った土の上に差し、墓標の代わりにしてきたのだ。
軽く涙を拭いた修馬は、前を見据え顔を引き締めると、更に加速度を上げた。
「良いんだよあれは。折れちゃって使い物にならないだろうからな。けどあれを墓の上に差しておけば、誰の墓なのかわかりやすいだろ」
大きな目を閉じたタケミナカタは、肩の上で縦に揺れながら「ほう、ほう」と相槌を打った。
「確かにあの十字の形状は、伴天連の墓標に見えなくもないのう。ただあの直剣の形状は、天之羽々斬に酷似しておった。異なる世界でありながら、複製の完成度はこちらの方が上のようじゃな」
それを聞いた修馬は前につんのめそうになり、慌てて体勢を整えた。
「タケミナカタ、錆びてぼろぼろになる前の天之羽々斬を見たことがあるのか!?」
「無礼な。儂を誰だと思っておるのじゃ。剛毅朴訥、金科玉条の軍神、建御名方神であるぞ!」
軍神であることが、どうして天之羽々斬を見たことがあることとイコールになるのかはわからなかったが、聞けば天之羽々斬は彼のご先祖様が邪竜を退治した時に使用した剣なのだという。刀というよりも、西洋の剣のように刀身がまっすぐな直剣で、初代守屋光宗『贋作』とは形状があまりにも異なるらしい。
「そうなのか……。それは伊織さんに伝えないとな。形状がわかったことで、より天之羽々斬の複製の完成度が上がるかもしれない」
禍蛇を討つためには、天之羽々斬が必要不可欠。実際に戦うことになるかはわからないが、伊集院の守護神であるオモイノカネは禍蛇は蘇るであろうと言っていたので、本物が腐食して使い物にならない以上、複製の完成度はかなり重要になってくるだろう。
このストリーク国の内戦が終息したとしても、修馬たちの戦いは終わらない。
先の見えない戦いに軽いめまいを覚えつつ、前へ前へと進んでいくと。ようやく西軍が本陣として使用していた学校のある小さな集落に辿り着いた。双剣の風を抑え、速度を緩める修馬。しかし、ゆっくりしている暇はない。今度は己の脚力だけで駆けだすと、学校の正門へと急いだ。
「モナちゃーんっ!!」
大声を上げながら薄暗い学校内を隈なく捜し歩くも、静まり返った校内は人の気配が感じられない。彼女はどこに行ってしまったのだろうか?
戸棚の中、小さい隙間、机の下。子供が隠れそうなところは一通り見て回ったのだが、どうしても見つけることが出来ない。
ゆっくりもしていられない修馬は、ふと背中に冷たいものを感じた。
「……何だが嫌な予感がする」
ここに辿り着くまでに会うこともなく、約束していたこの学校にもいない。まさか、更に西に行って、マドリックの町に向かっているつもりでは……?
「嫌な予感とは、往々にして当たるものじゃ。こんなところで油を売っているより、黒鉄の古戦場とやらに向かった方が良いのではないか?」
肩の上のタケミナカタは、そう吐き捨てると、溶けるようにしてその場から消え去った。