第14話 本日は雨天なり
大きな雨粒が、物置きのトタン屋根を打楽器のように打ちつけている。
ほら、やっぱり雨じゃないか……。
その音を目覚まし代わりに体を起こした修馬は、何故だかそんなことを頭の中で巡らせていた。正し、何に対して、やっぱりと言っているのかはあまりよく理解できていない。
とても長い夢を見ていた気がする。そう感じると共に、これは何処までが夢だったんだ? とも思った。
己の行動を少しだけ顧みる修馬。何故だか記憶がところどころ不鮮明だ。昨日は確か、一学期の終業式。幼馴染の伊集院が何故か迎えに来て一緒に学校に行ったはずだが、何故か終業式に出席した記憶はない。もしかするとあれもまた、夢だったということか?
枕元に置いてある、デジタル目覚まし時計の日付を確認する。7月25日、夏休みが始まる日。当然、終業式は昨日。しかし昨日の記憶は午前中までで、午後からはすっぱり抜け落ちている。これはどういうことなのだろう?
その時、夢で見た直前の記憶が頭の中に蘇った。白い獣に咥えられた状態で山の頂上まで連れていかれ、そこにあった大魔導師の家でリゾットのようなお粥を御馳走になった。やけに鮮明に覚えているが、まさかあれが昨日の午後の出来事だったとか……?
そんな馬鹿げた話はないなと思いながら目を落としたその瞬間、目の端に何かが映り込み修馬は瞳孔を大きく広げた。
「うわっ!!!」
声を上げたのも無理はない。何と修馬の右手首には、夢の中で大魔導師ココに入れられたはずの謎の赤い刻印が、しっかりと刻まれていたのだ。
胸の高鳴りは激しさを増すばかりで、一向に止まりそうになかった。やはりあの異世界での出来事は実際に起きていることなのか? 同時に一日前の夢の記憶も、脳内にぼんやりと浮き出る。体1つで異世界に放り出され、そこから辿り着いた城下町で流水の剣の暴走により、意識を失う。目が覚めた後であれは夢だったのだと理解したが、それは今日の夢と間違いなく繋がっていた。これは一体どういうことなのか?
修馬は右手首に描かれた赤い印を見つめながら、真っすぐに腕を伸ばした。あの夢の中の出来事は現実に起きていて、俺はそこで武器召喚術師になったのだ。手首のこの刻印は、それが紛れもない真実だと物語っている。
だが確認は必要だ。意識を集中し、白く美しい刀身の剣を思い浮かべる。そしてゆっくりと呼吸を整えると、修馬は尻でも叩かれたかのように背筋を伸ばし、大きく目を見開いた。
「……出でよ、王宮騎士団の剣っ!!」
修馬のその掛け声と共に、部屋の扉がガラリと開く。驚いて視線を向けると、やはりそこには憐れんだ目をした母親が立っていた。
「修馬、頭大丈夫?」
母のストレートな蔑みの言葉に、修馬は言葉を失った。静かに目を落とすが、手の中には何の武器も握られてはいない。やはり、俺の頭はいかれてしまったのだろうか?
「ぶつけたんでしょ、頭」と母親。
「えっ! ぶつけた!?」
「覚えてないの? あなた、学校の階段から落ちて気を失ってたのよ」
「階段からっ!?」
後頭部に手を当てる修馬。言われてみれば、確かに頭には大きなコブができている。
「ねぇ、修馬。あなた、お母さんに隠しごとしてない?」
突然顔を近づけてくる母親。女の勘とやらで、息子の異変に何かを気付いたのだろうか? とはいえ異世界に行った話など到底信じては貰えぬだろう。本気で頭がおかしくなったと思われ、精神科に連れて行かれるのも面倒だ。
ちらりと母親の顔を見る修馬。彼女の目は、真っすぐにこちらの瞳の奥を覗き込んでいる。真剣に心配してくれているのかもしれない。
「い、い、い、い、い……」
異世界の「い」の字が口から漏れ出る。しかし母は、それを遮ると「いじめられてるんでしょ」と口走ってきた。
えええええええええっ!?
カウンター攻撃を喰らったかのように頭がくらくらする。しかし、久しぶりに登校した息子が、意識を失って帰ってきたというならば、そう思われても仕方がないかもしれない。修馬はそうではないことを、しどろもどろに説明する。
「ふうん、いじめじゃないならいいけど……。まあ、気を失ってたって言ったけど、実際は眠ってただけみたいだし」
どこか不満そうに言う母の言葉に、修馬は首を捻った。
「俺、学校で寝てたの?」
「そうよ。最初は望月先生も病院に行こうかと思ったみたいだけど、修馬が、この葡萄酒うまいっ! って大きな寝言言ってたから、そのまま家に連れて来たんだって。あなた、ワインなんて飲むの?」
夢の中の出来事を思い出す修馬。確かにソーセージを食べながら、ワインを頂いた気がする。
「いや、飲まないけど……。先生の聞き違いじゃない? 俺、寝言とか言わないし」
「寝言は言うわよ。あなた、昨日の夜中、大きな声で叫んでたから」
「な、何て?」
「でんでん太鼓ーって」
それを受け、リアルにコケそうになる修馬。俺は何て恥ずかしい寝言を言ってしまったんだ。
「とにかく、子供がお酒なんて飲んでも良いことないんだからね!」
母親はそう言って、プリントの束を手渡してきた。これは夏休みの宿題のようだ。担任の望月先生が一緒に持ってきてくれたのだろう。
「だから、飲んでないって!」
修馬はそう反論したが、母親は「そもそも、何で葡萄酒なのよ」と独り言のようにぶつぶつと呟きながら部屋を出ていった。母的にはでんでん太鼓より、葡萄酒という言葉の方がむしろ引っ掛かっているようだ。
小さく肩を落とす修馬。しかし母親はともかく、望月先生に飲酒していると思われているのは、あまりよろしくないかもしれない。そんなことを思いつつ、部屋の中を見回した。学校に持っていったはずの鞄が、何故かどこにも見当たらない。
もしかして、昨日持っていった荷物は全部学校に置きっぱなしなのか? 修馬は手にしている宿題のプリントを、目を細め見つめる。
何故、宿題は持ってきてくれたのに、肝心の荷物を忘れてくるのか。バッグの中にはスマートフォンも入っているのに……。あの先生のぽんこつ加減は、本当にダーウィン賞ものだ。
とりあえず、学校に行くか……。
修馬は後頭部のたんこぶをさすり、窓の外の雨雲を空虚な目で眺めた。
「めんどくさ……」