第146話 雨のエクセイル
「ふふふふふ……。ふははははははっ!」
痛めつけられた左腕を押さえ、肩を震わせるゼノン少将。どんな表情をしているのかはわからないが、真紅の兜の奥からは、くぐもった笑い声が響いてくる。
対峙するシャンディ准将は表情を変えぬままその姿を見据え、そして己の長剣を振るった。刃が降り落ちる雨を斬り裂く。
不気味に笑っていたゼノンだがすぐに鉾槍を構えると、その斬撃を柄に巻かれた胴金で弾き返した。激しい激突の末、2人共に後方へと退く。
「戦場で相手を笑うのは、帝国流の礼儀か?」
「ふふふ、これは失敬。共和国国家元首サリオールの娘であるお飾りの将校が、我に一騎打ちを挑んでくるとは思わなかったものでな。悪く思うな」
腕を負傷させられたにも関わらず、飽くまで挑発をしてくるゼノン。しかし、シャンディはそれに乗らない。
「貴殿のその鎧、帝国製の重金鎧というものだな」
「いかにも」
それだけ聞くと、シャンディは不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。
「そんな仰々しい鎧が無ければ戦うことの出来ぬ臆病者が、随分生意気な口を聞くではないか。ここは兵士たちが命を賭ける戦場であるぞ」
「……何だと?」
逆に挑発を返され、言葉を詰まらせるゼノン。現実世界でもそうだが、やはり異世界でも口喧嘩で女性に勝つことは中々難しいようだ。
「幾らか腕は立つようだが、所詮は女人の武芸。我を怒らせたことを地獄の底で後悔するがよい」
怒りを覚えたであろうゼノンは、そこから猛攻を繰り出した。だがそれに負けるシャンディではない。爆発属性を持つ敵に対し、果敢に攻めつつも巧妙にその身をかわしていく。
そんな爆発音が響く広場を尻目にし、修馬は横たわるバロックを引きずって争いの中心から離れた。想像していなかった悲劇に憔悴する修馬。しかしこれが戦争だ。いつ誰が死ぬかわからない状況であったが、自分はこちらの世界で死んでもすぐに生き返ることが出来るため、幾分楽観的に考えていたのかもしれない。
雨に打たれながら広場の端に移動すると、目の前から伊集院の声が聞こえてきた。
「おい、こっちだ修馬!」
瞼についた雨粒を手で拭い目を凝らすと、重装兵で囲まれてしまっているはずの広場の周りに、家一軒分程の空間が出来ていた。どういうことかはわからないが、修馬はとりあえずバロックを引きずりこの場所へと進んだ。
「この場所はお前が?」
ゆっくりと周りを見渡す修馬。赤い旗を掲げた重装兵たちは、全員こちらに首を向け何も言わずに圧力をかけている。
「ああ。敵さんが一騎打ちを受け入れたというのもそうだが、元よりこの護国の広場に辿り着かれたらその後は手出し無用だと、ゼノンの野郎に言われてるみたいだ」
「そうなのか……」
もう戦う気力を失っていた修馬は僅かにほっとしたが、すぐにそれどころではないとその身を震わせた。
「伊集院! そんなことより、この人お前の魔法で何とか助けられないかっ!?」
横たわるバロックの半身を抱き上げ、伊集院に見せる修馬。しかし伊集院は、困ったような呆れたような顔を浮かべ小さく息をついた。
「誰だか知らないが諦めろ。もう死んでるじゃねぇか」
「死んじまってるかもしれない。けど蘇生魔法とかないのか? お前、優秀な魔道士なんだろ!?」
「……悪いけど俺は、治癒魔法も蘇生魔法も使えねえ。それは罪深い愚者の所業だと師匠から教わったからな」
伊集院はそう言って目を背ける。修馬はバロックから手を放し、伊集院の首元に掴みかかった。
「どういうことだよ! 何が罪深いんだ。全然意味がわからねえよっ!」
魔法で人の命を救うことが、神の意に背くとでもいうのだろうか? それなら医術で人を救う医者でさえも、罪人ということになってしまう。
そのまま濡れた地面に崩れる修馬。暫し雨に打たれた後ふと顔を上げると、伊集院の陰からポンチョのフードを被ったココがひょっこり現れた。
「ねえ、シューマ。前にも言ったかもだけど、治癒魔法は禁忌の術なんだよ」
よたよたと歩いて来るココ。彼もこの戦いでかなり疲労しているらしい。
「おっ、大魔導師様、正気に戻ったのか?」
伊集院にそう聞かれると、ココは照れ臭そうに「えへへぇ」と笑った。
「迷惑かけてごめんね。少し熱くなり過ぎて暴走しちゃったみたいだ」
そしてよたよたと歩いてきたココは、倒れるバロックに対して目を閉じ、祈りを捧げた。
「それは、ココでも出来ないってこと?」
修馬が問うと、ココは曖昧に首を捻る。
「あのね、治癒魔法と蘇生魔法は、術者の生命を削ることで病気や怪我を完治させる術なんだ。病を治せばいずれ術者が同じ病を患うし、傷を治せば術者の体の細胞が同じくらいに蝕んでいく。かつては王族や権力者のために寿命を削らされる医療術士が数多く存在していたようだけど、今では倫理的に禁忌の術となったのさ。……一応、表向きはね」
ココのその言い方から察するに、恐らく彼はその禁忌の術を使うことが出来るような気がする。だが勿論、修馬もココに死んで貰いたいわけではなかった。
「ごめん。俺、都合の良いことだけ言ってた。死んだ人を生き返らすなんて、傲慢な考えでしかないよね」
やるせない思いで大きく肩を落とす修馬。ココは慰めるように、その曲がった背中を優しく触れてきた。
「シューマが気づいてくれて良かったよ。この戦でも、何百、何千人という兵士が命を失った。死んだ人間は生き返らない。生き残った僕たちは、亡くなった人たちの犠牲の上に生きて、これからの未来を作っていかなくちゃいけないのさ」
「死んでいった人のためにも……?」
「そう。だから僕たちは、これ以上大きな争いにしないために尽力してるんでしょ? この戦争も、もうすぐ決着がつく。しっかりとこの結末を見届けよう」
ココに促され、修馬は改めて護国の広場に視線を向けた。
雨のエクセイル城を背景に、シャンディ准将とゼノン少将が壮絶な戦いを繰り広げている。泣いても笑っても、この戦いで雌雄が決するのだ。