第141話 貝笛を吹く戦士
雨音に紛れて聞こえてくる、空に響く何らかの鳴動。
市街地の中心部まで辿り着いたシャンディ准将率いる西軍は、強い緊張と共に警戒を強めた。
「これは一体、何の音だ?」
ゆっくりとその足を止めた修馬は、耳を澄ませた後、静かに体を震わせた。その旋律に臆してしまったのか、それとも単に雨に濡れた体が冷えたからなのか。
「情報伝達や士気を鼓舞するための鳴り物の調べだ。しかしこれは、貝笛か角笛の音のようだな。何とも珍しい。帝国軍隊の鳴り物といえば、通常は陣太鼓を使用するはずだが……」
馬上のシャンディが言うと、滑空してきた伊集院が地面に着地し、大げさに眉をひそめつつ黙って頷いた。帝国の軍部に所属していた彼も、解せないと言う意見のようだ。
だがしばらくすると、その笛の音に交じり太鼓の音もドーンッ、ドーンッと響いてきた。その音を聞くことにより、己の心臓も熱く高鳴ってくる。
「いよいよ、敵の本隊と対決か」
誰とはなしにそう呟くと、今まで後方をついてきていた西軍の大将、レディアン・ロレーヌ女王を乗せた馬がゆっくりと近づき、そして先頭にいるシャンディの隣に並んだ。
「重装兵団のお出ましか。今までの雑兵とは比べ物にならぬ強力な戦力だ。しかしこの先にある西の橋を突破すれば、東軍の本陣である『護国の広場』。……遂に決戦の時。皆の者、死力を尽くして我について来いっ!!」
女王レディアンの言葉に呼応し、鳴り響く兵士たちの雄叫び。
そして前を見据えたレディアンは、合図を送るとシャンディと共に馬を走らせた。下弦の月の旗を掲げた兵士たちがその後に続いていく。
女王自ら先陣を走るとは思わなかった修馬は、驚きのあまりそこから出遅れてしまった。軍勢の後方に交じり、涼風の双剣から風を最大限に噴出させる。
馬の蹄の音が四方から押し寄せる。いきなり出遅れたのは大きな失敗だった。どうしても救わなくてはいけない命がある修馬は、一度最後方まで下がり、走りながら先頭に移動する手段を考えた。
涼風の双剣の飛翔力では、軍隊一つを飛び越えることは不可能だろう。そして今、西軍が走っているのは、市街地の大きな街道。両脇には4階建てから5階建ての家が並んでいるため、横から回り込むことは出来ない。
しかしこのまま地道に間を縫って駆けていくのは時間がかかりそうなので、修馬は双剣の風を地面に向けて噴出させ高く飛び上がり、街道脇に高く建てられた民家の屋根に着地した。幸い民家は街道に沿って隙間なく並んでいたので、その上を飛ぶように駆けていく。
下の街道ではすでに、西軍の兵士と帝国重装兵団の戦いが始まっていた。全身を覆うような鎧兜を装備した重戦士たちが、西軍の兵士たちと剣をぶつけあっている。やはりそれまでの敵とは戦力が違うようで、西軍が若干押されているようだ。進軍が止まってしまった兵士たちを尻目に、その先を目指す修馬。全てを守ることが出来ない今は、彼らの力を信じるしかない。
駆け続けていると、やがて正面に大きな橋が現れた。深く掘られた堀に掛けられた巨大なアーチ橋。あの先には雨に霞むお城も見ることが出来た。恐らくあれがエクセイル城だ。
そこに向かって屋根の上を駆けていると、その途中、街道を挟んだ反対側の民家の屋根の上を、同じようにして駆ける1人の兵士の姿に気づいた。
涼風の双剣と並ぶ速度で駆ける兵士。明らかに重装兵団ではないようだが、何者なのか?
その兵士が、その場で一瞬だけ立ち止まった。
どうしたのかと思いその姿を見ていると、兵士は少し身を屈め、そして不気味な音と共に跳び上がり、弧を描きながら街道を横断して修馬の目の前に着地した。兵士の足が刺さるように屋根をへこませる。
正面からぶつかりそうになった修馬は、慌てて双剣の風を逆噴射させ、どうにかその場に立ち止まる。冷や汗をかきつつ前に目を向けると、そこには大きな巻貝と真っすぐな刃の剣を持った白髪の老戦士が立っていた。
彼はにやりとほくそ笑み、そして持っていた鍔の長い直剣をおもむろに振り下ろした。紙一重でかわす修馬。だがその斬撃の威力は凄まじく、足元の屋根には大きな亀裂が出来た。
「……お、お前、何者だっ!!」修馬は問う。
老戦士は左手に持った巻貝を背中にかけると、直剣を両手で握り、覇気のある眼光を修馬に向けた。
「わしは戦士だ。戦が始まっておるからこうして馳せ参じたわけだが……」
そしてまた、老戦士は直剣を振る。双剣を投げ捨てた修馬は、王宮騎士団の剣を召喚し彼の攻撃に対抗した。
大雨の中、足場の悪い屋根の上でしばし剣を交える2人。亀裂の入った部分が崩れ、足元の状況はますます悪化していった。
「中々いい太刀筋だ。若者、どちらの軍勢か?」
鍔迫り合い中に、話しかけてくる老戦士。年寄りとは思えぬ力で、徐々に押されていってしまう。
「俺は西軍だっ! 戦が始まってるから来たって何だよ!? 悪いけど趣味で戦争してるような奴と、戦ってる暇はねぇ!!」
「ほう、西軍か。東軍の兵士ならばすぐにでも息の根を止めてやろうかと思ったが、どうしたものかな……」
「えっ!?」
剣を強く押し、修馬は後方に退いた。老剣士はそこから追撃してこない。彼の目的は何なのか?
「旧首都エクセイル近郊は、わしらの住処でな。そこを占領してきた東軍に目にもの見せてくれようと思っていのだよ」
その老戦士の言葉を聞き、はっと目を開く修馬。この辺りを住処にしているということは、まさかこの老人は……。
更に一歩後退すると、修馬は壊れた屋根に足を取られ尻もちをついてしまった。老戦士の目がぎらりと光る。
「油断をっ!!」
老戦士は串刺しにする勢いで、直剣を槍のように突いた。だが、修馬の背中に担がれていた白獅子の盾が独りでに反応し、目の前でその直剣を鮮やかに防ぐ。
ぎりぎりで危機を回避し、大きく息を呑みこむ修馬。白獅子の盾は直剣を跳ね返すと、回転しながら浮き上がり修馬の背中に戻っていった。
「ちょっと待ってくれ。もしかしてあんた、モナちゃんのじいちゃんなのか!?」
そう言うと、老戦士の足がぴたりと止まった。そして鋭い目で修馬を睨みつける。
「まさか……。若造、この地に辿り着く前にあの子と会っているのか?」
「ああ。じいちゃんがまだ城の方にいるから助けてくれって、頼まれてたんだよ」
ゆっくりと立ち上がり修馬が言うと、老戦士は直剣を腰に付けた鞘の中に納めた。
「モナめ、あれほど家から出るなと言っておいたのに、愚かなことを……」
「愚か? それは違う。出るしかなかったんだよ。帝国の獣魔兵に家を襲われてたからな」
「何!? 獣魔兵……?」
目の色を変えた老戦士は、一歩近づくと修馬の肩を強く揺さぶった。
「それで無事なのか!? あの子は無事なのか!?」
「ああ、無事だよ、無事! 暑苦しいからそんなに興奮すんな」
「そ、そうか、すまない」
憑き物が取れたように肩を落とした老戦士は、大きく息をついてそこから手を放した。
「でもこっちもこんな状況だから、最後まで面倒は見れてないよ。モナちゃんは自分の足で西に逃げたはずだ。そっちに行けばいくらか安全だからな」
西を指差す修馬。老戦士は先程までの態度が嘘のようにしおらしくなり、深々と頭を下げた。
「君があの子を助けてくれたのなら礼を言いたい。ありがとう!」
「別に礼はいいんだけど、モナちゃんとの約束が守れそうで良かったよ。だから悪いけど、西の平原を抜けたところに学校だった建物があるから、そこまでモナちゃんを迎えに行ってくれるかな?」
「了解した。だがそれは、この戦が済んでからだ」
「何でだよ、戦わなくていいから、さっさと迎えに行ってくれ!」
つっこむように修馬が言うと、老戦士はまるでガキ大将のような悪戯な笑みを浮かべた。
「馬鹿を言うな。わしは戦士、戦の中でしか生きることの出来ぬ人種。折角の機会だ。お前たちと共に、帝国重装兵団を討ち倒すぞ!」