第138話 出陣
ザーッという音と共に、途切れなく降り続く雨。その一つ一つは小さな雨粒であったが、それでも受け続けている内に修馬の着ている綿織物の鎧は大量の水を含み、ずっしりと重く肩に圧し掛かった。
「この天候で攻めるのか……。大丈夫かなぁ」
濡れた顔を拭い、不安を口にする修馬。その背後には何千という騎馬隊が大人しく控えている。これから戦場に向かうというのにやけに静かだ。柔らかな雨音が川のせせらぎのように、優しく辺りを包み込んでいる。
「天気は関係ない。今が攻め時ってことだろ?」
伊集院がそう返すと、借りた馬に乗ったマリアンナが更にこう続けた。
「そうだな。それにこの細かい雨のおかげで視界がかなり悪くなる。城を守る側とすれば条件は良くないだろう」
「天候をも味方にするってことだね。数では負けているから、あらゆる手段を利用しないと」
ココはそう言って、視線を前に向ける。そこにいるのは、大きな馬にまたがったレディアン女王とシャンディ准将。彼女たちも雨に打たれたまま、東の方角をじっと見つめている。
「本当に良いのですね? レディアン様」
「無論だ。西の橋を全軍で攻略し、その先にある『護国の広場』で重装兵団を殲滅する」
「重装兵団のゼノンは私が相手しますが、もしも『鋼鉄の武人』が居た場合はどのように致しますか?」
「鋼鉄の武人か……。いずれはやりあう相手だが、この城の攻略では戦いたくないものだな」
東軍の切り札。鋼鉄の武人、マウル・ギルドルース。それは奇人ローゼンドール・ツァラと、甲冑師ホッフェル・ガーランドの親類だという、世界最強の鎧を身にまとう戦士。聞くところにによると、かなりの武力を誇っているということだ。
「奴が居た場合は、撤退するということでよろしいでしょうか」
「勿論、無謀な戦いを挑んで全滅するは私の美学じゃない。すぐにでも撤退を選択するだろうが、恐らくエクセイル城に鋼鉄の武人はいないと思われる」
レディアンの言葉を受け眉を寄せるシャンディ。
「……それは何故ですか?」
「鋼鉄の武人もそうだが、間者から弟、ラッザムの入城の報告を受けていない。あいつは幼少期から肝の小さい男だった。常に最強の戦力と行動を共にするはず。ラッザムがいないのであれば、鋼鉄の武人もそこにはいないだろう」
「確かに、鋼鉄の武人もラッザム王も、軍師のアスコー公爵すらも入城したという話は聞いていませんね。やはり、攻めるには今が好機か……」
シャンディの乗る栗毛の馬が「ぶるるるるっ!」と細かく首を振った。それを目にした修馬も雨に濡れた寒さのせいか、少しだけ身震いを覚えた。
「ラッザムっていうのは、東側の王様のことですか?」
修馬が後ろから声を掛けると、女王レディアンは馬上から凛々しく振り返った。
「ああ。ラッザム・ロレーヌは、私の弟で東ストリーク国の王だ」
ストリーク国は元々1つの国だったのだが、先代の王が亡き後、第一子である姉の王女と第二子である弟の王子が互いに王位を主張し、最終的には国が東西に分かれてしまったというのは、以前、ココから聞いていたことだ。国を巻き込んだ、泥沼のお家騒動。
「ラッザム王は哀れなお方だ。元は政治力、胆力の優れるレディアン様が王位を継ぐことを認めていたのだが、彼の妃の兄、つまり彼の義兄であるアスコー・ガーランドにかどわされ王位を主張し始めたのだ」
シャンディがそう言うと、突然激しい音と一緒に暗雲から閃光が放たれた。空はゴロゴロと唸るように、音を響かせる。
「アスコー……、ガーランド? また、ガーランド家が関係しているのか」
拭いきれない因縁を感じ、修馬の体が再び震え出す。
「ガーランド家は戦争屋だからね。彼らは世界中に争いを起こすことで、富を得ているんだよ」
一方のココは笑い話でも言うように、にこやかに言った。しかし目の奥に笑みは感じられなかった。
「それだけではない。東ストリーク国の軍師を務めるアスコー公爵は、すでに国政をも支配しているようだ。弟、ラッザムは政治に無関心な人間だからな」
複雑に表情を曇らせるレディアン。今は敵とはいえ、己の弟を蔑むのは気持ちの良いものではないのだろう。
「じゃあ悪いのは、そのアスコーとかいう公爵じゃねぇか。そいつと鋼鉄の武人を倒せばこの争いは終わりに出来そうだな」
修馬はレディアンの肉親を思う感情を考えそう言ったが、彼女から返ってきた言葉は意外なものだった。
「弟、ラッザムは元より我欲の強い男であった。アスコー公爵の口車に乗ってしまったとはいえ、それも弟の不徳さが原因。戦場で対峙したのなら、私はラッザムの首を取るつもりだ」
レディアンは強い信念を持って前を見つめる。雷の後、雨は降り方が強くなり、痛い程に体に打ちつけた。
「聞け、皆の者っ!! まずは帝国重装兵団より、エクセイル城を奪還する! 準備はいいか!?」
レディアンが青い下弦の月が描かれた旗を掲げると、後方の軍勢から雷鳴の如く響く雄たけびが上がった。それまでは大人しくしていたが、兵士たちの士気は充分のようだ。いよいよ、開戦の時。
ココと伊集院はマリアンナの乗っている馬に同乗し、修馬はシャンディの乗る大きな馬の後ろに乗った。熱を持った馬の背中から仄かに湯気が立ち昇る。今すぐにでも走り出したい。そんな馬の気持ちが背中越しに伝わってくる。
「それでは行くぞ。最前線、エクセイル城へっ!!」
シャンディと修馬を乗せた馬が先頭で駆けだすと、後に続く軍勢も地響きを立てながら東に向かって駆けていった。