第133話 世界最強の鎧
「ごめんくださーい!」
という元気な声が聞こえ、修馬はハッと目を覚ました。ホッフェルの看病をしていたら、自分もいつの間にか眠ってしまったらしい。
「……ごめん、寝てた。お客さんでも来たの?」
ベッドと挟んで向かいにいたマリアンナに尋ねると、彼女は落ち着いた様子で立ち上がり、「ああ。この声は恐らくココ様であろう」と言って、入口に向かっていった。先にこの町に来ていたココが迎えに来てくれたみたいだ。
修馬は目の前のベッドで寝ているホッファルの様子をそれとなく伺った。
苦しげだった寝顔も、今は静かに寝息を立てている。回復に向かっていればいいのだがと願いつつ、ふとその横に目をやると、椅子にもたれた伊集院が気持ちよさそうに大きないびきをかいて眠っていた。とりあえずお前は、しばらく寝ていてくれていいよ。
「あ、居た居た!」
マリアンナに案内されたココが、嬉しそうな顔でこちらにやってくる。
病人が寝ているため、修馬は「しー」と人差し指を口の前に立ててアピールしたのだが、それが通じないのか、ココは先ほどより大きな声で「あっ!」と声を上げた。
「この絵が飾ってあるということは、やっぱりここがゴッフェル・ガーランド氏の工房みたいだね」
武骨な鎧の油絵を見ながら、ココは大きく頷いた。
「ゴッフェル? ホッフェルさんの間違いじゃなくて?」
「ホッフェル? ああ、ゴッフェル氏の娘さんか。町の人たちに話を聞けば、彼のお子さんも中々良い腕の職人さんらしいね。この寝てる人がそう?」
ココはホッフェルの寝るベッドの脇に立った。覗き込むようにしげしげと眺めているが、女性の寝姿をそんな目で見るのは、どうなのだろう。
「ココ様、ゴッフェル・ガーランドとは一体……?」
首を傾げたマリアンナがココに尋ねる。
「ゴッフェル・ガーランドは、著名な甲冑師さ。この絵に描かれている鎧の製作者でもあるんだけど、これはあまりにも規格外だから、鎧と呼んで良いのか定かじゃないけどねぇ」
「苗字をガーランドとおっしゃいましたが、あの三豪家、ガーランド家の血族なのですか?」
「そうそう。ガーランド家の血筋は世界中に広がっているからね。でもゴッフェル氏は、もうお亡くなりになっているみたいだよ」
ココがそう言うと、ホッフェルの瞼がゆっくりと開いた。目が覚めてしまったようだ。
「すまない、ホッフェル。起こしてしまったようだね」頭を下げるマリアンナ。
「それはいいでやんす。他人の口から父上の名を聞くのは久しぶりでございやして、寝たまま話は聞かせていただきやした……。時にそちらの魔導師様は、父上と会ったことがあるんでやんすか?」
「いや、直接会ったことはないよ。だけどあの世界最強の鎧、『覇者の物の具』を作った甲冑師だから、その名前だけは知ってたんだ」
ココが言うと、マリアンナは驚いたように肩をびくりと動かし、壁にかかった油絵を一点に見つめた。
「気にはなっていましたが、もしやこの鎧こそがあの覇者の物の具なのですね」
「へ、へい。覇者の物の具は父上が生前作り上げた最後の鎧。現物は無いものの、こうして絵だけは飾らせていただいておりやす」
「覇者の物の具はここには置いていないのか。この鎧、今は一体何処に?」
マリアンナがそう聞くと、ホッフェルは掛布団に顔を埋め、黙り込んでしまった。
「覇者の物の具を所有しているのは、ゴッフェル氏と共にこの鎧を制作したもう1人の甲冑師、マウル・ギルドルースの手にあるんだよ」
ココは腕を組んで小さく頷く。マウル・ギルドルース。どこか聞き覚えのある名前だ。
「マウル・ギルドルースとは、ローゼンドール・ツァラがいとこだと言っていた東ストリーク国の軍人ですね」
マリアンナが言うと、ココとホッフェルが同時に頷いた。
「奇人、ローゼンドールとお会いに……。この油絵も彼女が描いてくれた作品でやんす。あっしと彼女、そしてマウル・ギルドルースは親類でやんして……」
「そうか。ローゼンドールもガーランド家の血筋だったな」
世界の歴史の始まりを造ったという三つの家系、『三豪家』。その一つである、ガーランド家の末裔が、ここにきて、修馬たちの前に次々と現れる。
やはりこの異世界は過渡期で、ビスタプッチ家、マルディック家、ガーランド家の三つの家系が世界を変えようとしているのだろうか?
修馬は覇者の物の具が描かれた油絵を見て、ローゼンドールも普通の絵が描けるのだな。などと割とどうでもいいことを思い描いた。
「君の父親のゴッフェル・ガーランドは、マウル・ギルドルースに殺されたんだってねぇ」
ココは明日の天気の話でもするようにそう尋ねた。それを聞いた青白いホッフェルの顔色が、更に青くなったような気がする。
「ち、父上とマウルとの間で、覇者の物の具の所有権を巡りいざこざがありやして、そんな状況の中、父上は何者かに襲われてこの世を去ってしまいやした。誰の仕業かはわかりやせんが、状況的にみるとやはり……」
ホッフェルは言葉を濁したが、マウルにはゴッフェル・ガーランドを殺す動機があると言いたげだ。
「覇者の物の具を装備したマウル・ギルドルースの強さは軍隊をも凌ぐもので、彼はそれを手にして以降、甲冑師でありながら『鋼鉄の武人』と呼ばれ戦場で恐れられてきたのさ」
ココの言葉を受け、マリアンナが反応する。
「成程。鋼鉄の武人という通り名は私も聞いたことがあります。しかしそれが世界最強の鎧が由縁であったとは……。して、その覇者の物の具とは如何なる鎧なのでしょうか?」
「魔玉石の力によって蒸気を起こして起動し、常人の数百倍の力を生み出すことが出来る、正に魔法の鎧でさあ」
ホッフェルはそう言って、軽く咳き込んだ。
修馬の予想以上に大きな力を持ったその鎧。ホッフェルの話から想像するに、鎧と言うよりはSF作品に出てくる人体に装着するパワードスーツ的なもののだと思われる。
「まあ、いくらやばい鎧だっつっても、修馬の手にかかれば赤子を捻るようなもんだ。これは実力の差じゃなくて、テクノロジーの差だけどな」
いつの間にか目を覚ましていた伊集院が、寝起きにも関わらず大げさにいきり出す。こいつの言うテクノロジーとは現実世界の銃器のことを指しているのだろうが、今の状態ではこちらの世界で召喚することは難しいということを、すっかり忘れているようだ。
「いや、魔法使いの旦那。流石に白兵戦では勝ち目はありやせんぜ。それこそ剣聖と謳われる帝国近衛団長、エンリコ・ヴァルトリオでも勝てるかどうか……」
「エンリコ様よりも!? 嘘だろっ!?」
伊集院は口を大きく開けて、喜劇役者のように驚いて見せた。誰だよ、エンリコって?
「父上とマウルは思想が少し違っておりやした。覇者の物の具はストリーク国が東西に分かれる以前に、国を守るという大儀の元に作られたものでやんしたが、父上の目的が戦争の抑止力のためだったことに対し、マウルは脅威を滅ぼすことこそが国防だと信じて疑わなかった。あっしはそんなマウルがあの鎧を手にしていることに危機感を覚えるのでやんす」
少し掠れた声でそう語るホッフェルの台詞を聞き、修馬は言葉なく鎧の絵を見つめた。だがその行為には、何の意味も無かった。暫し無言の時間が流れる。
「覇者の物の具、取り返して欲しいかい?」
その時ココは、自分の感情を抑えるように静かに尋ねた。彼も天魔族に家族を殺されている身。父を殺されたというホッフェルの気持ちに多少なりとも共感しているのかもしれない。
「……いや。あれはあっしの作品ではありやせんから。ただあっしは、父を殺した人間をどうしても許せやせん」
感情が高ぶったホッフェルは早口でそう言うと、呼吸が間に合わないかのように激しく咳き込んだ。苦し気な音が薄暗い部屋に響く。
「病気がぶり返してはいけない。今日はもう大人しく寝たまえ、ホッフェル」
マリアンナは呼気を乱しているホッフェルに水を与えると、その背中を優しく摩った。