第132話 あの病
「ご迷惑をおかけして申し訳ありやせん。旅の方々……」
寝床に横たわるホッフェルは、力ない声で礼を言う。
ここは甲冑師ホッフェルの自宅兼工房らしい。突然道端で倒れてしまったホッフェルだったが、意識までは失っていなかったので、修馬が彼女を背負いここまで送り届けたのだ。
「私たちのことは気にしなくてもよい。具合の方はいかがか?」
マリアンナが聞くと、ホッフェルは申し訳なさそうに小さく頷いた。
「生まれてこの方、病気一つしたことがないのが自慢でしたが面目ない。どうにも体中が熱い……、やんすね」
「発熱か……。風邪であれば、栄養のあるものでも食べてしばらくは安静にするのだな」
マリアンナは立ち上がると、外の井戸から器に水を汲んできてくれた。
そしてそれをホッフェルに渡すのかと思ったのだが、彼女は立ったまま寝室に飾られた一枚の絵に釘付けになった。よくわからない機械のようなものが描かれた静物画だ。
「へへへ……。その絵が気になりやすか、騎士様。そいつはあっしの父上が作り上げた最高傑作の鎧を、油絵でもって描いて貰ったものでさあ。どうです、美しいもんでしょう?」
額に汗をかきながらホッフェルは説明する。機械のように見えたのは、実は鎧だったようだ。絵なので大きさはわからないが、鎧と呼ぶにはあまりにも武骨な形態をしていた。
「この鎧、名はあるのか?」
「へい。そいつは……、ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ!!」
ホッフェルは言葉の途中で、苦しそうに咳き込みだした。血反吐でも吐きそうな勢いの重苦しい咳。
「大丈夫か? 水を飲むか?」
マリアンナが器を差し出すが、ホッフェルは重い瞼を半分だけ開け、それを断った。
「す、少し息がぜーぜーしやすが、大丈夫でやんす」
「呼吸困難か……。腰が痛んだりはしていないかね?」
「そうでやんすね……。突発的に頭痛と腰痛がやってきて辛いでやんす」
「……成程。ちょっと失礼する」
有無を言わさぬ間にマリアンナは、ホッフェルの着ている作業着の襟元を開いた。驚いた修馬と伊集院は慌ててそこから目を反らす。
「やはりか……。見てみろ、シューマ」
マリアンナが言うので、少しだけホッフェルの胸元に視線を向ける修馬。彼女の青白い肌には、小さな赤い斑点がぽつぽつと現れていた。
「2日程前から出始めたんですが、この斑点は何でやんすか?」
「これは恐らく、『紅斑瘡』という疫病だよ。ホッフェル」
「こうはん……? それは聞き覚えの無い病気でやんす……」
大粒の汗を垂らしながら、暫し苦しそうに顔を歪めるホッフェル。彼女はその病気を知らないようだが、修馬はそれを認知していた。紅斑瘡は帝国にあるカタミラの町の病院で会ったときにマリアンナが罹患していた病だ。
「紅斑瘡は天魔族、四枷の一角、クリスタ・コルベ・フィッシャーマンが造り出した感染病じゃないか。厄介な病気だぞ」
伊集院が極めて小さい声で言ってくる。
「クリスタって、あの褐色の天魔族か。あいつ石化だけじゃなく、病気も造るのかよ」
触角があり、蜉蝣のような艶めかしい羽を持つクリスタの姿を、修馬は頭に思い浮かべる。
「ああ、バイオ兵器みたいなもんだから対策も難しい。まあ、魔族にとっても脅威がある病気だから、実戦で使われることはないという話だったが、事情が変わったようだな。あれに効く薬は今のところ、千年都市ウィルセントにある星屑堂の『パナケアの薬』だけだ。まあ、とんでもなく貴重なもので、他国で一般に流通することは極めて稀らしいぞ」
ホッフェルには聞こえないようなひそひそ声で伊集院がそう言うと、マリアンナは自身の荷物袋に手を突っ込み、その中から黄金色の小瓶を取り出した。それは修馬も見覚えがある、丸薬の入った小瓶。
「だが運が良かったな、ホッフェル。私は今、その疫病の特効薬を持っている。これがパナケアの薬だ」
彼女が手にしている黄金色の小瓶。それは間違いなく以前修馬が持っていたパナケアの薬と同じものだった。しかし何故、そんな貴重な薬をマリアンナが持っているのだろうか?
「そ、その薬の名はあっしも聞いたことがありやす。千年都市ウィルセントにしか売ってないという秘薬でございやしょう? 見ず知らずのあっしのために、そんな高価なものを使わせるわけにはいきやせん」
「紅斑瘡は、以前私も患った病。あの時、私はとある人物にこの薬を貰い、病を克服することが出来た。いつかその人物と再会を果たした時にそのを恩が返せればと思い、私もウィルセントの星屑堂でパナケアの薬を購入していたのだ」
マリアンナの話を聞き、修馬は「あっ」と声が漏れそうになった。星屑堂に行ったときに、店主のアイル・ラッフルズがマリアンナによく似た人物が来店したと言っていたことを思い出したからだ。
その似た人物はマリアンナ本人で間違いなく、修馬にパナケアの薬を返すためにわざわざ購入してくれていたということのようだ。
「だったら尚更ではありやせんか。その薬は恩人のために取っておくべきです」
「いや、その恩人がしてくれたように、この薬は役立つ時に使うべきなのだと私は思う。……シューマもそう思うだろう?」
突然話を振られ少々どきりとしたが、修馬はにこやかに笑い大きく頷いた。
「ああ、その通りだと思う。目の前に助けられる患者がいるのに、それを使わないで薬を貰ってもその恩人とやらは喜ばないだろうね」
「そういうことだ、ホッフェル。この薬を飲むがいい。そして病気を完治させるのだ」
マリアンナはぐったりとしているホッフェルの体を起こし薬と水の入った器を渡した。
申し訳なさそうに頭を下げるホッフェル。修馬と伊集院にも頭を下げると、彼女は更にもう一度マリアンナに頭を下げ、そして薬を飲み込んだ。
「早ければ明日の朝にも腫れは引くだろう。安心して休むがいい」
少しの水が残った器と小瓶を受け取ったマリアンナは、起こしていたホッフェルの体をゆっくりと寝かせた。
「ありがとう。ありがとうございやす……」
そして横になったホッフェルは、薬の作用が強力なのか、すぐに瞼を閉じて眠りに落ちた。マリアンナの時ほど症状は重くなさそうなので、きっとすぐに回復するだろう。