第130話 赤黒き獅子
海から離れ、灰白色の樹皮を持つ巨木がぽつりぽつりと生えている草原を、足早に歩いていく修馬一行。
ここを抜け北東の方角に行くと、西ストリーク国の首都、マドリックという町があるらしい。今はそこに向けて進んでいた。
「しかしベルラード三世は女の人だったんだねぇ。びっくりしたよ」
マリアンナと共に前を歩くココが、何か思い出したかのようにそう呟いた。
「へぇ、ココも知らなかったんだ」
ふと疑問に思う修馬。一時は帝国に属していた伊集院も皇帝の性別を知らなかったようだが、何故この世界の人たちは大国の王の性別がわからないのであろうか。
「うん、知らなーい。前皇帝には2人の子供がいて、1人目が男だったのは知っていたけど、2人目の子供は長男が亡くなるまで表舞台に出てきたことがなかったし、皇帝に即位してからは式典で出てくるときも仮面を付けて出てくるらしいからねぇ」
「そっか。ベルラード三世は『劇仮面の皇帝』って呼ばれてるんだっけ。だけど長男は何で死んじゃったの? 病気?」
修馬が聞くと、ココは反対側にいるマリアンナの顔を見上げ視線を送った。
「前皇帝、ベルラード二世の長男は、クーデターにより若くして命を落としたんだ」
目を瞑り、歯痒そうにそう語るマリアンナ。
「クーデターかぁ。それってもしかして反乱軍の仕業?」
「いや。犯人は王子諸共爆弾で消し飛んでしまったから、素性は明らかになっていないのだ。反政府組織の犯行かもしれないし、皇帝一族内にいる反長男派の計画かもしれない。だがその犯行現場に犯人の物と思われる指輪が落ちていたことが大きな問題になったのだ。その指輪がアルフォンテ王国製の物だったからだ」
マリアンナによって語られるアルフォンテ王国とグローディウス帝国の因縁。この2つの国は戦争になりかけていると以前聞いていたのだが、このようなことがあり確執が出来てしまったのだろうか?
「まあ、結局それだけでは決定的な証拠にはならないので、王国に責任は問われなかったが、2つの国との間に決定的な溝を開けてしまったのは事実だ」
そう言うと、マリアンナは大きくため息をついた。
修馬の願いとしてはこの世界の戦争を止めたいと思っているのだが、この東西ストリーク国の内戦をきっかけに始まろうとしている帝国と共和国の戦い。そして元より因縁のある帝国と王国の戦い。動き出してしまった国家間の対立を、自分たちの手で止めることなど果たして出来るのだろうか?
「俺も詳しく知らないんだけど、何で現皇帝である閣下は皇帝に即位するまで、表舞台に出てこなかったんだ?」
後ろを歩いていた伊集院が話に入ってきた。こいつも帝国側に所属していたくせに、皇帝のことは何も知らないらしい。
「それは、『劇仮面の皇帝』だからねぇ。皇帝の子供が生まれたというのにお披露目もされなかったということは、まあよくわからないまでも察するところはあるよ……」
ココは意味深にそう言うと、持っている振鼓の杖を構えた。カロンという音と共に辺りに戦慄が走る。続けてマリアンナと伊集院もそれぞれ武器を構えた。
「いつの間にか囲まれてしまったようだね」
左右を見渡すココ。それに合わせて、修馬も視線を右から左に動かした。赤黒い毛に覆われた大きな獣の集団に、周りを取り囲まれてしまっている。
「魔物か……、イシュタルに似てるけど?」
その赤黒い獣は色こそ真逆だが、白獅子と呼ばれるイシュタルの姿によく似ていた。期待を込めて淡く抱いた親近感だったが、ココに目を向けると、彼は首を小さく横に振った。
「彼らは多分蛮獅子だね。白獅子よりも遥かに獰猛で人を喰らう種さ」
何でもない日常を話すように語るココ。だが、聞いている修馬は悲壮感を込めて顔を歪めた。また人を食う獣か……。お腹が痛い。
「蛮獅子か……。これは運が悪いな」
精悍な表情を崩さないマリアンナは、そう呟くと王宮騎士団の剣を抜き、そして目の前に向けて強く振り抜いた。
斬撃が空を切って、飛び道具の如く飛んでいく。その先に居た蛮獅子は「ギャッ!!」と鳴くと、首から赤い血が吹き出し、そのまま地面に倒れた。一撃必殺の剣技。
「山育ちの私は、獣退治にも覚えがあるものでね。覚悟するのだな蛮獅子ども!」
運が悪いと言っていたが、どうやらそれは蛮獅子に対してのようだ。しかしこの頭数を相手にして大丈夫だろうか? 木々に隠れてよくわからないが、ざっと30頭近くは居るように見える。
「天鵞絨の旋風!」
ココが巻き起こす刃の如きつむじ風が、3頭の蛮獅子を包み幾重にも切り刻んでいくと、その隣に立つ伊集院も風属性の魔法を放ち、何頭もの敵を跳ね飛ばしていった。
自分も戦わねばと思った修馬は、そこでようやく両手を前に出した。さて、獣相手に何の武器を召喚しようか?
「おい、修馬! 今こそサブマシンガンだろ! この獣、全部まとめて蹴散らしてやれ!」
伊集院に言われ現実世界の出来事を思い出す修馬。そうだ。俺は銃器の召喚をマスターしたのだった。
「わかったよ! 出でよ、マイクロウージー!」
広げた手のひらの上で、空間が少しだけ歪む。
だがその歪んだ空間はすぐに元に戻り、何も召喚しないまま消えてしまった。呆然とする修馬。
「危ねぇっ!!!」
伊集院が声を上げた。
修馬の背中に抱えていた白獅子の盾が回転しながら独りでに跳び上がると、後ろから襲ってきた1頭の蛮獅子の眉間に激しくぶつかった。牙からは唾液が滴り落ち、修馬の服に付着する。
自律防御の魔法が備わった白獅子の盾に助けられ、ようやく危険を察知した修馬は前に跳び逃げた。だが背後の蛮獅子はその直後、伊集院の放った火術を喰らい真っ赤に燃えだした。
「悪い、伊集院! タケミナカタの調子が良くないと、こっちの世界では現実世界の武器は召喚し難いんだった!」
「何だよそれ、先に言え! 役に立たねぇんだったら、端っこで大人しくしてろ!」
伊集院は荒々しく言うと、苛立ちを解消するかのように巨大な魔法を放ち蛮獅子を屠っていった。離れて戦うマリアンナとココも、次々と死体の山を作り上げる。何と頼もしい仲間たちなのだろう。
嬉々として戦う仲間たちに触発され、修馬の心にも少しずつ勇気が湧いてきた。戦鬼にだって1対1で勝てたんだ。獣相手に肉弾戦で勝てない道理はない。
1頭の蛮獅子に狙いを定める修馬。
ココと伊集院の戦いを見ていると、どうもこの獣には風属性の魔法が有効のようだ。こちらも風属性の武器を召喚するとしよう。
「出でよ、涼風の双剣!」
緑色の刀身をした2本の短剣が右手と左手にそれぞれ召喚される。そして切っ先から突風のような風が噴き出すと、修馬の体は横に回転しながらミサイルのように突っ込んでいった。
だが、蛮獅子もそれに対抗するように前足を掲げる。
しかし修馬の速度の方が圧倒的に上回っていた。
蛮獅子の攻撃をするりと潜り抜け体を反転させた修馬は、蛮獅子の体の周りを勢いよく回転しながら双剣で滅多斬りにしていった。
そして地面に着地し、短刀を持った両腕を広げると、蛮獅子は全身から血が溢れ、白目を剥いてそのまま突っ伏してしまった。それが最後の1頭だった。
華麗に打ち倒すことが出来満足していると、伊集院がいぶかし気な顔でこちらを睨んできた。
「修馬。お前その武器……」
「ああ、これは天魔族のハインの武器だ。あいつとは帝国の町で会って、少し使い方を教えて貰ったんだ」
「いや、そういうことじゃなくて……。まあ、いいよ」
伊集院はそう言うと、不機嫌そうな態度で背中を向けてしまった。よくわからないが、天魔族の武器を使ったことが気に入らなかったのかもしれない。
「しかし蛮獅子がこんな平地に現れるとは、一体どういうことでしょうか? ココ様」
剣を鞘に戻しつつ、そう尋ねるマリアンナ。
「蛮獅子は通常山や深い森に住む魔物。帝国は魔物を戦力として使用しているらしいけど、流石に蛮獅子を手懐けるのは難しいはずだからなぁ」
ココは点々と散らばる蛮獅子の死骸を見てそう言うと、杖で自分の肩をポンポンと叩き、更にこう続けた。
「どうやら、戦争以外にも気を付けなくちゃいけないことがあるのかもしれないね」