第129話 皇帝との因縁
眠っている耳に、何やらくぐもった声が届いてくる。だが脳が覚醒していないため何を言っているのかはわからない。
とりあえず無視してそのまま干し草の上で横になっていたのだが、しばらくするとドンドン、ガンガンという不快な衝突音と共に「ヒヒーン!」という馬の鳴き声まで加わってきたので、修馬は仕方なく背中を起こした。心地よい朝の目覚めとは言い難い。
修馬が寝ていたのは、ローゼンドールの住処の横にある倉庫を兼ねた厩の中。干し草の山の隣の柵の向こうには、ポニーくらいの小さな馬がおり、ぶるぶると口を震わせている。大きな音に少々興奮している様子だ。
「どうなってんだ! 何だよこれっ!!」
何かに反響して聞こえるその声は、横に置かれた木箱から発せられていた。
馬の気持ちも考えないで迷惑なものだと思いながら、修馬はその前にしゃがみ込み、置いてあったバールのような道具を手にした。
「待ってろ。今、開けてやるから」
木箱の繋ぎ目に道具をねじ込む。蓋になっている部分を開こうとしたのだが、大きな釘でがっしりと固定されており、少々骨が折れそうだ。
「お前、修馬か!? 何だこの状況は? ここどこだよ!?」
「大人しく横になってろって。下手に手を出して、怪我しても知らねえぞ」
修馬はてこの原理で道具に力を入れる。蓋と本体に隙間が出来ると、内側からも力が加わり吹き飛ぶようにして木箱は開かれた。勢いよく中から現れたのは伊集院祐。体を起こした彼は、血走った目で真っ先に修馬のことを睨んだ。
「どういうことだ? 何が何だかわからない……」
物凄く怒っているだろうなと思っていたが、案外冷静に状況を把握しようとしている。今は理解出来ない状態に対する混乱の方が上回っているようだ。
「簡単に説明すると、お前『動く死体』に殺されただろ? だから、マリアンナがわざわざ棺桶作ってくれたんだ」
「は? 棺桶? 何だその、ありがた迷惑!」
マリアンナは手先が器用なのか、厩の中にある木材を使い、あっという間に人が1人入れるサイズの木箱を作り上げたのだ。彼女は王宮騎士団になっていなければ、納棺師にでもなっていたのかもしれない。
「おはよう、起きているようだな。ローゼンドールから朝食を貰ってきたぞ」
その時厩の中に、パンとミルクを持ったマリアンナが入ってきた。彼女は伊集院を一瞥したが、すぐに何も見ていなかったかのように視線を反らし、修馬に朝食を渡した。
「この棺桶はあんたが……?」
伊集院がそう問いただすも、マリアンナは目もくれずにただ「日曜大工が趣味でな」と呟く。
頬を赤らめながらも眉を大きくひそめる伊集院。生きながら棺桶に入れられたら、人間、こんな微妙な表情になるのかもしれない。
マリアンナはそんな感情の機微に気づいたのか、こう続けた。
「シューマが馬小屋で死体と一緒に寝るのは嫌だと言うから、私が作ってやったんだ。悪く思うな」
「いや、お前のせいじゃねぇかっ!!」
怒りの矛先が急旋回して、修馬のところに飛んでくる。一晩経って忘れていたが、確かにそういう経緯で棺桶を作ったのだった。夜が明けたら生き返るとはいえ、死体と一緒に寝るのはやっぱり嫌なものだよね。
「まあ、まあ、まあ。……それよりマリアンナに礼を言わないと、動く死体から助けてくれたのは彼女だから」
とか何とか言いながら、苦し気に責任から逃れようとする修馬。だが以外にも、伊集院はその言い分に従うように大人しくなり、背中を向けるマリアンナを真っすぐに見つめた。
「……あ、あんたが助けてくれたんだってな。どうも、ありがとな」
ぶっきらぼうな感じになりつつも、しっかりと礼を告げる伊集院。どういう感情かはわからないが、彼は真っ赤にした顔を伏せつつ、ちらりと相手の様子を覗き込んだ。
それに対し背中を向けていたマリアンナだったが、騎士らしい気品ある佇まいで振り返ると、突然、下瞼を指で下げ、舌をおもいっきり出すという挑発的な行動に出た。
赤かった伊集院の顔が、一気に青褪める。そして数秒後、修馬はあることを思い出し「あっ……」と声を漏らした。
それは以前、マリアンナが「ありがとう」の意味を示す異世界のハンドサインを教わった時に、「どういたしまして」の意味を示すハンドサインとして修馬たちの世界ではアッカンベーをするという嘘の情報を教えていたことだ。
すっかり忘れていたが、その件についてネタ晴らしはしていなかったはず。つまりマリアンナは「どういたしまして」のつもりでアッカンベーをしているのだ。
当然だが、それがわからない伊集院はショックを受けたように腰を屈めた。マリアンナはそれだけやると、また背中を向けて感情を隠した。なんだかわからないがとりあえず面白そうなので、しばらく2人にはこのとこを内緒にしておこう。
そして微妙な空気感を残したまま、修馬と伊集院は朝食のパンを食べ始めた。大しておいしいものでもなかったが、こんなものでも空腹を紛らわせることは可能だ。
2人が少し生焼けのパンをかじっていると、突然厩の外から甲高い笑い声が聞こえてきた。これはとんでもなく性格の悪い奴の笑い方に違いない。
「ハハハハハッ! 僕が与えた飯は食ったか、従者ども! そろそろココ様がお出かけになるそうだ。とっとと支度をしろ!」
ご機嫌な様子のローゼンドールが、太々しい態度で厩の前に現れる。やはりこの魔女は、どうにも苦手だ。
伊集院は手にしていた残りのパンを口の中に放り込むと、物珍し気にゴスロリ姿のローゼンドールを眺めた。
「お前が芸術家のローゼンドール・ツァラか……」
お前と呼ばれたことに対してなのか、表情が険しくなるローゼンドール。だが彼女はすぐにその表情が崩れ、驚いたように目を丸くした。
「昨日の死体が生き返ってるじゃないか? まさかココ様、このような下賤の者に蘇生魔法をお使いになられたのですか?」
「いやいや、いくら大魔導師と呼ばれる僕でも、流石に禁忌の術は使わないよ。彼は己の力で生き返る術を持っているんだ」
ココがそう言うと、伊集院は少し得意気な顔をして鼻先を擦った。
「下賤の者とは聞き捨てならないが、まあ良いだろう。俺はグローディウス帝国で最高峰の魔力を持つ宮廷魔道士と並ぶ実力の持ち主。ローゼンドール、お前は呪術の使い手らしいが、四大元素全てを操れる俺の方が魔道士としては遥かに格上だ」
逆にマウントを取ってくる伊集院。先日、ローゼンドールの造った魔法生物に瞬殺されたくせに、よく堂々とそんなことが言えたものだ。
「くっ、無礼な男だと思ったら、お前は帝国の人間か!? そうとわかっていれば、厩にだって泊めやしなかったのに! きーっ!!」
持っていたレースのハンカチを噛み、下に引っ張るローゼンドール。わかりやすくお怒りのようだ。
「ごめんね。ローズは帝国のことを滅茶苦茶嫌っているんだ」
情緒不安定なローゼンドールに変わり、ココがそう弁明する。
「ちょっと待て。ローゼンドール・ツァラは現皇帝、ベルラード三世と親しい仲だと聞いていたが、それは違うのか?」
伊集院が尋ねると、ローゼンドールは忌々しそうに口を曲げた。
「それは大昔の話だっ! 皇帝になってからは、人が変わったように冷血な人間になったからな。あんな女の話なんて、これ以上したくもないっ!!」
ローゼンドールが感情のままに叫ぶと、厩の中は水を打ったように静まり返った。柵の中にいる馬がまたぶるぶると口を震わせる。
「女……? ベルラード三世は女なのか?」
静寂の中、疑問を口にする伊集院。そしてそれは修馬も思ったことだった。皇帝というだけで、何となく男性なのかと考えていたからだ。
「ああ。帝国の人間でも若い連中は知らないのかもしれないが、ベルラード三世は生物学的に女だよ」
ローゼンドールはそう言うと、この話はこれで終わりだと言わんばかりに口を閉じて、背中を向けてしまった。
「帝国は皇位継承の時に色々揉めてたからねぇ。まあ皇帝にもなると色んな重圧があるから、性格も昔のままではいられないのかもしれないね」
尊敬しているであろうココがそう諭しても、ローゼンドールは何の反応も示さない。何やらベルラード三世との間に大きな因縁があるようだが、自分の口から語るつもりはなさそうだ。
これ以上聞いても仕方がなさそうだし、変な空気にもなってしまったので、修馬は自分の荷物を抱え出発の準備を整えた。伊集院とマリアンナも、それぞれ己の荷物を手に取り、出発の準備を始める。
「それじゃあローズ、世話になったね。僕たちはそろそろ出発するよ」
ココが振鼓の杖を地面に突くと、ローゼンドールは慌てるように振り返り、そして地面に跪いた。
「ココ様、僕が心配するなんておこがましいかもしれませんが、帝国までの道中どうかお気をつけてください。それと昨日も言いましたが、東ストリーク国側には僕のいとこのマウルくんが居るかもしれないので、頭の片隅にでも覚えておいてください。あいつは頭の固い軍人だから、ベルラード三世に会いに行くなんて言ったら、ココ様に対しても敵意を持って刃を向けてくるかもしれませんので」
「鋼鉄の武人、マウル・ギルドルースか……。彼のことは僕も知ってるよ。敵には回したくない人だから、充分気を付けないとね」
ココはこれからの旅の運を占うかのように、持っている杖をカロンと鳴らした。優しい音色に、心配そうな顔をしていたローゼンドールも自然と笑顔になる。
「この地でココ様と出会えたことは、僕にとって一生の宝物です。本当にありがとうございました!」
何度も何度も礼を言うローゼンドールの声を背中に聞きながら、修馬たちはローゼンドールの住処を出て、北の方角へ旅立っていった。