第12話 大魔導師の幽居
獅子に似た白い獣は、修馬を咥えたまま物凄い速度で山道を駆け上がっている。
「ストップッ! 頼むから、一旦下ろしてくれぇ!!」
首根っこを掴まれ、宙ぶらりん状態になっている修馬が必死に呼びかける。しかし白い獣はその足を止めることはなかった。所詮は四つ足の畜生だ。
その後さんざん揺さぶられた揚句、山頂と思われるところまで辿り着いたところで、修馬はようやく地面に落とされた。
「た、助かった……。うえぇえええっ!」
急に来た安心感と共に、胃の中の物が逆流してきた。びちゃびちゃと嘔吐物を吐き出す修馬。獣酔いは車酔いの比ではないということが、たった今判明した。
戻したことで少し気分が楽になった修馬は、その場に腰を下ろし辺りの景色を観察してみた。長いこと山道を走っていたので、いつの間にか日が傾いてしまっている。薄暗い上に何やら霧が霞んでいて、視界がすこぶる悪い。
「にゃー!」
白い獣は修馬の横に寄りそうと、機嫌の良い猫のようにゴロゴロと喉を鳴らした。全身が白い毛で覆われているのだが、頭部を囲むように生えているたてがみだけは白地に青い縞模様が彩られている。虎のような縞ではなく、歌舞伎の隈取を連想される縞模様だ。近づかれるとさすがに怖い。
「ここが山頂なの?」
修馬が話しかけると、白い獣は「にゃー!」と答える。
「魔導師の家があるところ?」
「にゃー!」
この獣、今のところ猫のような鳴き声しか発しないが、こんな感じの世界なので、本当は人の言葉が喋れるのではないかと修馬は推測している。つまりこいつは、猫を被っているということだ。
少し身を引き、疑念に満ちた目で白い獣を見つめる修馬。しかしその獣は、こちらと目が合うと再び「にゃー?」と小さく鳴いてみせた。それを聞いた修馬の目が、ますます細くなっていく。
しかし実のところ、サッシャと敵対している魔導師の住処に連れて来られて、この後どうなってしまうのだろうか? まさかサッシャが魔物の仲間だとは思わなかったけど、俺が魔物の仲間じゃないということをちゃんと理解して貰えるのか心配だ。
ふらつく足で立ち上がる修馬。
何やらここは妙な臭いがする。始めは白い獣の体臭か口臭かと思ったのだが、どうも違う。このガスのような臭いは、たぶん温泉とか火山地帯とかで臭うそれのようだった。
「いや、やばいじゃん! 中毒とか大丈夫なのか?」
「にゃー!」
「適当に返事すんな! 急いで建物の中に避難するぞ!」
白い獣を急かし、未だ所在のわからない建物へと案内させようと試みる。
すると丁度その時、ほの暗い空の向こうから何らかの物体が飛んでくるのが薄らと見えた。未確認飛行物体襲来! 慌てて白い獣の陰に隠れる修馬。
「とーちゃくっ!!」
飛んできた何らかの物体はそう叫ぶと、白い獣の背中の真上でぴたりと静止し、そしてふかふかの毛皮の上にぽとりと落下した。それは他でもない、大魔導師と呼ばれたパーマヘアの子供だった。
「追いついたみたいだね」
「と、飛んできたっ!?」
尻もちをつく修馬。空を飛んでくるとは、さすがは大魔導師。しかし、サッシャとの戦いはどうなったのだろうか?
大魔導師ココ曰く、サッシャはあの後すぐにアルフォンテ王国側の楼門から逃げられてしまい、それ以上追うのも面倒なので、楼門に封を施しここに戻ってきたそうだ。
「とりあえず君は天魔族じゃないみたいだし、僕の家に入れてあげよう。この辺りは、火山性ガスが大量に吹きだしてるから、早く入ったほうがいい」
あっさりと魔物じゃないことを認めてくれるココ。それは一先ずよかったのだが、肝心の家がどこにも見当たらない。
「家って何処にあるの?」
「錯覚を利用して、今は見えなくなってるんだ。ちょっと待ってて」
ココが振鼓の杖をカロンと鳴らすと、修馬の目の前の何もなかった砂地に突然大きな屋敷が出現した。
「ええっ!? 何、これっ!」
煉瓦でできたその屋敷は、まるで貴族や華族でも住んでいるかのような立派な建物だったが、霞みの中にあるため、洋風のお化け屋敷のようにも見えなくもなかった。
「ここが僕の家だよ。どうぞ、どうぞ」
と、人に勧めつつ、白い獣と共に先に中に入っていくココ。その場に留まるのは大変危険だということなので、修馬も後に続きアーチ状の門を通り入口の扉を潜った。
屋敷の中も豪華絢爛。吹きぬけのエントランスに吊るされた、煌びやかなシャンデリア。手すりに装飾が施された緩やかな螺旋階段。幾何学的な模様が描かれたふかふかの絨毯。何一つとっても個人宅ではありえない造り、立地がこんな場所でなかったなら、修馬も住んでみたいと思ったことだろう。
エントランスをそのまま真っすぐに進み、正面の部屋に入る。ソファーとローテーブルがあるリビングルームのような部屋だったが、周りの壁が全て本棚になっていた。書庫や書斎も兼ねているのかもしれない。
「これまた凄い部屋だなぁ」
感嘆をつく修馬。先に入った白い獣はソファーの横で丸くなった。そこが奴の居場所のようだ。
「どこでも好きなとこに座っていいよ。僕の名前はココ・モンティクレール。よろしくです」
ココは改めて自己紹介する。修馬はL字に並んだソファーの端に座り、頭を下げた。
「俺は広瀬修馬。日本出身の人間です」
通じるかどうかわからないが、とりあえずこの世界の出身ではないことをアピールしてみる修馬。
「ニッポン? ああ、成程」
ココの納得したようなリアクション。幼い姿をしているが、さすがは大魔導師。何か知っているのかもしれない。
「もしかして、日本を知ってるの?」
「いや、ニッポンは知らないけど、変な地名を聞いて、楼門が破られた理由がわかった気がする」
ココは不敵な笑みを浮かべると、更にこう続けた。
「シューマはいわゆる、『黄昏の世界』の住人なんでしょ?」
黄昏……ってどういうことだ? ここの世界では、俺がいた世界のことをそう呼ぶのか? よくわからないので肯定も否定もすることができない。
「ちなみにこの世界は何ていう世界なの?」
「特に名前はないけど、敢えて言うなら『黎明の世界』かなぁ? 古い文献にはここでないもう1つの世界を黄昏の世界とか、日暮れの世界って書いてあったから、多分こっちは夜明けの世界ってことになると思う」
ココはそう言うと、左手の指をパチンと鳴らした。修馬の背後にある本棚の中から分厚い本が1冊、勝手に飛び出て来て、くるくる回転すると乱暴にローテーブルの上に落ちた。パンッと大きな音が鳴ったのをきっかけに、眠っていたであろう白い獣が迷惑そうに目を開けたが、耳をぴくぴくと動かすとまた瞼を閉じ気持ち良さそうに眠りについた。
「この黄昏旅行記という本に書いてあったんだよ。読んでみる?」
ココはその分厚い本を手に取り、修馬に見せてくる。しかし、表紙に書かれている表題の時点で何が書いてあるかわからない。この世界の文字を読むことができない修馬は、それを丁重に断った。
ココは読むことができない修馬の代わりに、本の内容を教えてくれる。
それは異世界を冒険した女性の話だ。彼女が行ったその世界では、人間が鋼鉄製の獣や大蛇を奴隷のように扱い、贅沢な暮らしを享受している。冒険者の女が「生き物たちが可哀そうではないか」と訴えると、彼らは「この獣たちは心が無いから大丈夫なんだよ」と子供を諭すように言ってくる。冒険者は「そんなことはない獣にだって心はあるんだ」と訴え続けるが、彼らは乾いた笑みを浮かべるだけでその意見を全く聞き入れようとしない。
しかし数日の後、彼女は気付いてしまったのです。本当に心がないのは、この世界の人間なのだということに……。
「えー、何それ? 滅茶苦茶嫌な話じゃん。っていうか創作でしょ?」
フィクションだと思うが、鋼鉄の獣と大蛇が自動車と電車のことを差しているのなら、もしかすると本当のことなのかもしれない。俺たちの住む現代社会を、風刺した話なのだろうか?
「いや、これは実体験みたいだよ。これを元に創作した童話があるのは有名だけど」
「童話?」
「そう。タイトルが『黄昏世界のシュマ』。シューマと名前が似てるから、黄昏旅行記のこともすぐに思い出したよ」
「出た。不思議の国の修馬」思わず修馬が口にする。
「何それ?」
「いや、こっちの話」
シューマという名前がこちらの世界のおとぎ話に出てくる女性の名前に似ているというのは、昨日山小屋で聞かされて知っていた。しかし立場は逆だが、自分と同じ体験をしている人の話だとは思わなかった。この名前は呪われているのだろうか?
「そう言えば、名前のことで思い出したけど、サッシャのミドルネームを言ったら魔物みたいになったよね? あれが彼の本当の姿なの?」
修馬は尋ねた。あの恐ろしい姿を見た今でも、サッシャが魔物の仲間だとは思い難い。密かに彼の無事をお祈りする。
「サッシャさんも言ってたことだけど、人間の姿も魔物の姿もどっちも偽物ではないよ。彼ら天魔族は人間と魔物、2つの姿を持った種族なんだ」
「2つの姿を持つ種族……?」
それを聞いた修馬は天魔族とは人間と魔物の混血なのではと思ったが、ココが言うには、そうではないらしい。遥か昔、元々1つの生き物だった人間と天魔族を、『オミノス』という名の龍神が2つの種族にわけてしまったのだそうだ。
しかしその龍神オミノスというのは、一体どういう存在なのだろうか?
「オミノスって、この世界の神様なの?」
「うーん、実際オミノスのことはよくわかってないんだよねぇ。古の昔に現れた荒神で、言い伝えによるとこの世の全てを破壊する存在なんだって」
「破壊神だ。やばいね」
「やばいねぇ、ぞくぞくするねぇ。けど、破壊と再生を司る神様みたいで、全てを破壊した後に、一筋の光を残していくっていう話だよ」
そのオミノスとは、この世の自浄作用を現した神話のようだ。創造する神もいれば、破壊する神もいる。その類の神話はどの世界でも変わらずあるらしい。
「ちなみにこの魔霞み山には『無垢なる嬰児』が封印されてるんだけど、それは知ってる?」
ココからその言葉を聞き、修馬の背中に鳥肌が立った。何故かはわからないが、その名を聞くと妙な胸騒ぎがしてくる。
「魔霞み山の近くには聖地がいっぱいあって、そのエネルギーによって無垢なる嬰児の封印が守られてるんでしょ」
無垢なる嬰児については何も知らない修馬だったが、サッシャが言っていたことを何とか思い出し答えた。不安な顔の修馬とは対照的に、ココは嬉しそうな顔で何度も頷く。
「そうそう。で、その無垢なる嬰児っていうのが、龍神オミノスの幼体なんだよ」
「……えっ?」
一瞬だけ、思考が完全に停止した。
破壊神の幼体がこの山に眠っている? 龍神オミノスって、神話の話じゃないのか?
「オミノスって実在するの?」
「当たり前じゃないか。僕が嘘の話を延々してると思ってたの?」ココは幼児のように頬を膨らませる。
「いや、そういうわけじゃないけど……」
元々1つだった生き物が、オミノスによって人間と天魔族にわけられたという話も含めて、神話の一節かと思っていたのだが、龍神オミノスという名の破壊神は実在していて、この魔霞み山に封印されているのだそうだ。ロールプレイングゲームであれば終盤に訪れるべき場所に、誤って序盤に迷い込んでしまった修馬。例えイージーモードでも、これだけはやっちゃいけないことだ。
「とにかく、4つの聖地の力が弱まっている今、僕はこの身をもって無垢なる嬰児の成長を絶対に止めなくちゃいけないんだ!」
ココは振鼓の杖を高く掲げた。カロンという音が小さく鳴り、部屋の中に微かに響いた。