第123話 冥府の怪物
「動く死体の本体……」
修馬は窓枠から少しだけ首を出し、それがいると思われる灯台のふもとに目を向けた。
巨大な動く影。暗くてよくわからないが、この世のものとは思えない異様な殺気を発している。気の弱い者は目にしただけで気絶すると言っていたのも、今ならわかる気がする。
灯台の下部からドーンッ、ドーンッと壁が軋む音が鳴る。どうやら動く死体も、こちらの存在に気づき攻撃を始めたようだ。
「殴ってやがるな、ちくしょう!」
伊集院は開け放たれた窓枠に上ると、真っ赤な炎を手に纏わせながら飛び降りていった。続いてココも、窓枠の上にふわりと跳び上がる。
「ここから脱出した方がいいみたいだね。あの怪物、建物ごと破壊するつもりだ」
「建物ごと!?」
「うん」
頷いたココは氷の粒が旋回する風を巻き起こし、伊集院の後を追っていった。
ちょっと待て。残された俺はどうすればいいのか?
涼風の双剣を使えば、ここから飛び降りることも可能だろうが、今は気が動転していてうまく着地出来る気がしない。
だからといって、感情の揺れが治まるまで待っていたら灯台が破壊されてしまう。
数秒の思案の後、修馬は両足の腿を叩くと、先ほど上ってきた階段を急いで駆け下りだした。途中で何度も建物が横にぐらつく。頼む、あと少しだけ持ってくれ。
転びそうになりながら、どうにか建物の外に脱出する修馬。だが、そこで待っていたのは結局絶望だった。
10メートルはあろうかという巨大な人型の怪物が、首をもたげ建物から出てきた修馬を睨みつける。
「こいつが動く死体……か」
その時、修馬は気づいてしまった。この巨大な人型の怪物が、無数の人間の死体が絡み合って形を成していることに。
猛毒のような腐臭が鼻を通り、脳の奥をずきずきと刺激する。絶望的な禍々しさの正体はこれだったか。一刻も早く、倒してしまいたい。
修馬は以前、戦鬼が持っていた巨大な金棒を召喚させた。こいつで叩きのめしてやる。
重量のある金棒の先端を地面に引きずり、修馬は走った。死体が重なって形成されている怪物のすねに向かって、金棒を振り抜く。直撃を喰らった死体は怪物の体から離れ、そしてうめき声を上げ地面に倒れた。
地味な攻撃だが効果はあるようだ。普段なら持ち上げることも困難だと思われるこの大きな金棒を、今はどういうわけか振り回すことが出来る。火事場のくそ力というやつかもしれない。
「シューマッ!! 上っ!」
ココの声に反応し、修馬は顔を上げた。頭上から怪物の手が襲い掛かってくる。
だが遅い。修馬は一度金棒を捨て涼風の双剣を召喚すると、地面を滑るように遠くへ後退した。
1本の指を形成する絡み合った2体の死体が、それぞれ手を伸ばしゆっくり手招きする。まるでお前も仲間になれと言わんばかりに。
「シューマ、むやみに殴らない方が良いと思うよ」ココは言う。
「何でだよ! 打撃が有効だって言ってたじゃないか!」
「違うんだ。あの怪物の指を見てみて」
「指?」
瞬きをして目を凝らす修馬。夜の闇で見えていなかったが、手招きをしているその死体は伊集院のようだった。あいつ、我先に出ていったくせに、速攻でやられたのかよ!
「イジュがさっき殺されて、怪物に取り込まれちゃったんだ。もしかしたらマリアンナもこの中にいるかもしれないよ」
「くそっ! そういうことか……」
よく見ると、さっき鳴いていたと思われる犬も胴体の一部と化していた。そうやって体を大きくしていく、恐ろしい魔法生物のようだ。
「じゃあ、どうすればいい!?」
修馬は涼風の双剣を投げ捨てると、背負っていた白獅子の盾を手にした。
「やっぱり光属性魔法かなぁ」
「光の魔法か!」
光属性魔法。それは友理那が使いこなしていた魔法だ。ヒーローにこそ相応しい、主人公的属性。
「残念ながら僕は使えないけどね」
「ええっ!?」
大魔導師ココはそれを使えないと言う。そして当然、修馬も使えない。これは詰んだか?
怨念のこもった亡霊たちの淀んだ泣き声が、しくしく、しくしくとおぞましく辺りにこだまする。怖気づいてしまった修馬の代わりに、手にした白獅子の盾が意志を持ったかのように怪物の攻撃をさばいた。しかしこのままでは押される一方だ。
「また現れたようだな、死者の怪物。今宵こそ、その決着を着けてやる!」
その時、勇ましい女性の声が戦場に轟いた。
その声の主を目にした修馬とココは、互いに「あっ!」と声を上げた。それは絶望の中に見出した希望と、そして喜びを表した声だった。
「マリアンナッ!?」
その女性はセントルルージュ号の沈没ではぐれて以来、その行方を追っていたマリアンナだった。彼女はこちらの声を聞くと、闇の中、目を凝らすように顔をしかめさせた。
「シュ、シューマ!! やはりそなたも、冥府に堕ちていたか。ならばせめて、この手で弔ってくれる!」
マリアンナの鋭い剣撃が修馬を襲ってくる。だが自律防御の魔法が備わった白獅子の盾がその攻撃を見事に防いだ。腕の骨に響く斬撃。彼女の攻撃は間違いなく本気だ。
「タイム、タイムッ!! 俺はまだ生きてるからっ!!」
「なんだとっ!?」
戦意を鎮めるように剣を下すマリアンナ。だがその判断はいささか早計だった。鬼哭を上げながら、死者の怪物が2人を覆うように襲い掛かってくる。
「2人とも伏せて! 『魔法障壁』っ!」
ココの張った魔法のバリアに怪物の両手がぶつかった。大きな炸裂音が鳴り、怪物は後ろに揺らめく。
「良かった。魔法障壁は物理攻撃にはまったく効果がないんだけど、魔法生物には有効だったみたいだ」
振鼓の杖を下すココ。その姿を見たマリアンナは、驚愕するように目を見開いた。
「あなたは、大魔導師ココ様っ! どうしてこの国に!?」
「まあそれについては追々話すとして、まずはこの怪物をどうにかしようか」
死者の怪物は体制を立て直すと、前傾姿勢でこちらに対峙した。やつの体を形成する死者たちが、苦し気に嗚咽を漏らす。どうにかしたのは山々だが、一体どう倒したら良いものか。
「ここは私にお任せください。ユリナ様ほどの光術は使えませぬが、私の力でも死者を弔うことくらいは出来るでしょう」
マリアンナは十字を切るように剣を振ると、腕を引いて息を大きく吸い込んだ。彼女の体にぼんやりとした光が纏い、闇夜を薄く照らし始める。
「『闇を断つ』っ!」
マリアンナは電光石火の速度で剣を振るった。白刃が一瞬の閃光を煌めかせる。
「あ、あ、あああああぁ……」
死者の怪物は力が抜けるように地面に膝まづくと、まるで魔法が溶けたかのように無数の死体がばらばらと崩れ落ちていった。
マリアンナは奥歯を噛みしめながら、静かに剣を鞘に納める。
「これが聖なる加護を受けた、我ら王宮騎士団の技だ。……迷える死者たちよ、大人しく冥府に帰るがいい」
そして彼女は首をもたげると、祈るような目で死体の山を見つめた。