第122話 闇夜の廃灯台
すっかり日も沈み、海風が肌寒く感じるようになってきた頃、修馬たちは廃灯台の前に辿り着いた。人の営みがなくなると建物も自然と劣化してしまうようで、周りは荒れ果て雑草が生い茂り、高く真っすぐに伸びた壁面はひびが入りどこか色合いもどこか薄汚れて感じた。
「入りたくないなぁ……」
辿り着いたのも束の間、不気味に佇む真っ暗な灯台を目の前にし、修馬はすっかり足がすくんでしまっていた。そもそもお化け屋敷や肝試しの類はあまり好きな方ではない。
「シューマ、何か感じる?」ココが聞いてきた。
「霊感はないからわからないけど、やっぱり怖いよ」
「怖いの? あ、そう。イジュは何か感じる?」
伊集院はその筋の専門家のような顔で一歩前に出ると、廃灯台を下から舐めるように見上げた。
「人の気配はわからないが、ここで何らかの術を行っているのは間違いないっぽいな。魔女が使いそうな薬品の匂いがぷんぷんする」
「ああ、イジュも気づいたんだね。恐らくここで魔女が妖術を使い、死者の体で魔法生物を造っているみたいだ。相当強い魔力を持った魔女みたいだねぇ」
ココは後ろから修馬と伊集院の腰に手を当てると、灯台の開け放たれた入口に向かって押すように歩き出した。一緒に行こうということだが、はっきり言って行きたくない。まあ、ここまで来たからには行きますけどね。
建物の中はひんやりと冷たくて、そして異国の食材屋のような不思議な臭いがした。これがさっき伊集院が言っていた魔女が使う薬品の匂いだろうか?
どこから取り出したのか、伊集院は手持ちランプに魔法で火を灯した。土で汚れた床に、苔の生えた壁面。円柱状の建物の内側には上るための螺旋階段が存在したが、他には縄や網のような漁具が転がっているだけで何もなかった。何かがあるなら頂上の灯室だろうか?
「ごめんくださーい!! 誰か居ますかーっ!!」
灯台内部に大きく響くココの甲高い声。しかしその声が僅かに反響するだけで、返ってくる言葉は何もなかった。誰も居ないことを密かに祈る修馬。
「夜だし寝てるのかも。とりあえず上ろうか」
ココを先頭に階段を上っていく3人。伊集院の掲げるランプの赤い光が、黒ずんだ石造りの壁をぼんやりと照らした。
「ところで大魔導師ココは、その相当強い魔力を持つ魔女とやらに心当たりはあるのか?」伊集院が聞いた。
「そうだねぇ。知り合いに該当する魔女は1人だけいるよ。魔女でありながら芸術家としても名を馳せている奇人、ローゼンドール・ツァラっていう人」
「ローゼンドール・ツァラ……、ああ」
ココの言葉を言い返す伊集院。修馬はその名を知らないが、彼はその人物を知っているようだった。
「帝国の城にも歴代の皇帝の肖像画に並んで、そいつの絵が飾られてたな。奇妙な絵だったから、よく覚えてるよ」
「奇妙な絵って、ピカソ的な?」
修馬がそう聞いたが、伊集院はそれを否定するように口をへの字に曲げた。
「いや、もっと不快で薄気味悪い絵だったな。表情のない人の顔が風景画の中におびただしい数が描かれているんだ。ゲルニカというよりは、心霊写真みたいな感じだよ」
何となくその絵を思い浮かべてしまう修馬。歩きながら、足の先から手の指先まで鳥肌が走る感じがした。正直この状況で聞くべきではなかった。
「それは『生者と亡者』という作品だね。生きている者もいずれ皆、肉塊になるという、ローゼンドール・ツァラの死生観が描かれているんだ。彼女も変人だけど、それを飾る帝国の人もかなりのものだね。皇帝の趣味かな?」
ココにそう言われるも、伊集院は黙ったまま階段を踏みしめた。そういえば、こいつも皇帝には会ったことがないという話だったから、皇帝の趣味など当然知らないのだろう。
どこかで野犬の遠吠えが聞こえてくる中、3人はようやく頂上の灯室まで辿り着いた。だがそこには誰もおらず、大きな壺と幾つかの薬品が置かれているだけだった。
「やっぱりもぬけの殻か……。しかしローゼンドール・ツァラって奴は、有名な金持ち一族の出身だと聞いていたが、何でまたこんなみすぼらしいところで実験やら研究みたいなことをしてるんだか」
伊集院はそう言いながら、落ちている薬品の瓶を手に取った。ラベルにはドクロのマークが描かれている。大きな壺といい、怪しい薬品といい、べたな魔女的シチュエーション。
「やってることが禁忌の術だからね。世界中にいる彼女の血族が……」
ココが話をしているその時、外から野犬の唸り声が大きく鳴り響いた。
「ウー……ッ。ガウッ、ガウッ、ガウッ、ガウッ、ガウッ!!!」
だがしばらくするとそれが悲痛な鳴き声に変わり、そしてまた夜の静けさが戻った。
「来るね」ココは言う。
「来るって、ローゼンドールとかいう魔女が?」
修馬が聞いたのだが、それは伊集院にはっきり否定された。
「馬鹿か。こんな禍々しい気配が人なわけないだろ……」
灯りが揺れる。見ると伊集院は、ランプも持ったままぶるぶると震えていた。恐怖感というなら修馬も灯台に入る前からしていたが、確かにこれはその比ではない。この絶望的なまでの戦慄の正体は一体何であろうか?
開放されている灯室の窓から身を乗り出すココ。彼は下を見下ろすと「あー、居るねぇ」と声を上げた。
「だから何がいるのさ!」
修馬が言うと、ココは窓枠から降りて考え込むように腕を組んだ。
「……多分あれがランシスの町で言われていた『動く死体』の本体だよ」