第121話 魔法生物
潮の匂いのする草木に覆われた砂地の道を歩いていく。その先に見える小高い丘の上には、ランシスの町で海の男が言っていた灯台が見えている。しかし灯台と言っても現在は使われていないようで、頂上の灯室は真っ暗なままだ。
修馬はそのままその明かりの無い灯台を見上げたまま空を仰いだ。西の空に薄っすらと残った夕日の緋色が、東から浸食する群青の波に吞まれ闇に消えていっている。もうしばらくで夜が来る。
「ところでさあ、さっきの町で言ってたマリアンナって誰だよ?」
道を歩いていると、不意に伊集院が言ってきた。
「あれ、言ってなかったか? 仲間だよ、仲間。伊集院も会ってるはずだぞ。ほら、お前の師匠のヴィンフリートと戦ってた時に俺と一緒にいた女の人だよ」
修馬が言うと、伊集院は鼻の穴を膨らませて「あっ」と声を漏らした。
「あの時の女騎士かっ!? 確か滅茶苦茶強かったけど、あれだな。またしても会いたくない相手だ……」
伊集院は前屈みになり、深くため息をつく。だがそれは、普段の行いの悪さが招いた事態だ。高校生になり浮ついてしまった精神を、この異世界での旅を通じて叩き直せばいいと思う。
「マリアンナが居ればいいけど、動く死体っていうのが少し気になるなぁ。何だか、怪しい気配がする」
ココがこちらを見上げそう言ってくると、落ち込んでいた伊集院が急に同調し、間に割って入ってきた。
「やっぱり大魔導師ココもそう思うか。どうもあの灯台からは、禍々しいオーラみたいなもんが漂ってるんだよな。呪術師が悪い儀式でもやってんのか? みたいな……」
「そうだねぇー。恐らくそれに近いことが行われてるかもしれないよ。マリアンナのことが心配だ」
物憂げな顔でココは灯台に目を向ける。建物の上空だけどういうわけか、闇のような漆黒が渦巻いている。
たじろいでしまいそうな足を無理やり前に進める修馬。
「ココは心当たりでもあるの?」
「うーん。多分、悪い魔術師が禁忌の術か何かを使用しているんだろうね」
「禁忌の術?」
「そう」
修馬が首を傾げていると、ココは禁忌の術について説明してくれた。
それによると禁忌とされている術には2種類あって、1つは傷などを治す治癒系の魔法。そしてもう1つは、死者を蘇らせる蘇生魔法なのだそうだ。
「治癒魔法と蘇生魔法か……。蘇生魔法は何か倫理的にやばそうだからタブーになるのはわかるんだけど、治癒魔法が駄目なのはどうしてなの?」
修馬のその質問に答えたのはココではなく伊集院だった。
「治癒系の魔法は対象者の傷を回復させる一方で、術者の寿命を縮める危険な術なんだよ。金欲しさにその術に手を染める魔道士もいるみたいだが、表立ってやってる奴はいねぇはずだ」
この異世界にいて、そんなことも知らないのかとでも言いたげな表情で見下してくる伊集院。別にお前には聞いてなかったのだが。
「流石はイジュ、そういうことだね。けどあの灯台で行われているのは治癒魔法じゃなくて、多分蘇生魔法に近いものかな。人の亡骸を利用して魔法生物でも造り出してるんじゃないかな?」
「Oh……、亡骸を使った生物……」
ココの言葉を聞き、顔を歪めてしまう修馬。海の男が魔物ではないと言っていたのは、そういうことのようだ。
「その魔法生物って強いのかなぁ?」
「どうかなぁ? その術者の魔力によるところが大きいだろうけど……」
ココは言葉の途中で急に立ち止まり、ゆっくりと視線を落とした。
「けど、何?」
修馬が尋ねると、ココはとろけるような極上の笑顔で振りまいた。
「魔法生物は基本的に魔法が効きにくいんだ。倒した後は炎で焼き払う必要があるけど、基本的には物理攻撃で倒さなきゃいけないから、シューマ後はよろしくね」
「うん、よろしく……?」
流れで相槌を打った瞬間、砂地の地面から突然2本の青白い手が勢いよく出てきた。硬直してしまう修馬。そして地を掴む腕と共に肩の辺りが露出すると、次は土まみれの頭部が地の下から恨めしく出現した。爛れた皮膚にぼさぼさの髪の毛。そして瞳孔の無い目とむき出しの歯茎。これはどう見てもゾンビ的なやつに他ならない。
「あああああああああぁ……」
辺りにこだまする死霊の雄たけび。するとそれに呼応するように、もう3体のゾンビが声を上げながら地面から這い出てきた。やばい。夢に見そう。
「シューマ、やっつけて!」
「俺、1人でっ!?」
絶対に戦いたくない相手がそこにいるが、戦わないわけにもいかない現状。修馬はどうにか召喚した王宮騎士団の剣で1体のゾンビを叩き斬ったが、すぐに膝をついて鼻をつまんだ。ありえない腐敗臭で、胃の中のものを全部吐き戻しそうになる。
「駄目だよ、シューマ。魔法生物は斬撃も効きづらいんだ」
そうココに言われ振り返ると、ゾンビは体の右半分が横に裂けているにも関わらず、操り人形のような不気味な動きでがくがくと立ち上がった。マジでトラウマになるでしょ、これ。
「斬撃が駄目なら、どうすれば良いんだ!?」
「結局打撃が一番良いみたいだよ」
「打撃武器か」
召喚する武器を考える修馬。打撃武器って何かあったっけ?
「どけ、修馬。俺がやってやる!」
その時、伊集院が威勢よく前に立ちはだかった。魔法が効きづらいはずだが、この魔道士崩れがどうするつもりなのか?
「古より大地に宿る地の精霊よ、その膨大なる力をここに解放し給え」
伊集院が呪文を詠唱すると、大地から地面を擬人化したような大きな怪物が出現した。これも魔法生物の類か?
「くたばれ、『ゴーレムスマッシュ』!!」
地面の怪物がその巨大な拳を振り下ろすと、4体のゾンビは木製のチェス駒のように簡単に吹き飛んでいった。意外とあっけない幕切れ。
「いや駄目だよ。同じ打撃でも、魔法を使った攻撃はどういうわけか効果が薄いんだ」
ココが指摘する。するとそれを証明するように、吹き飛ばされたゾンビがわらわらと立ち上がりだした。奴らの不吉な雄たけびが、辺りの空気を鼓動させる。
結局己の力で倒さなければならないことを悟った修馬は、虹の反乱軍のアジトで剣術試合をした時に用いた木剣を召喚し、4体のゾンビを執拗に殴りごり押しで倒した。攻撃は効きづらいが、動きが遅いので危なげなく倒すことは出来た。その代わり、腕は滅茶苦茶疲れてしまったが。
「怖いなー、動く死体。魂はもう無いんだろうけど成仏してね」
火術で死体を燃やしながら、ココは雑な祈りを捧げる。とりあえず異常な臭いがするので、修馬はその場を少し離れた。この臭いはマジで無理だ。
「これが動く死体の本体ってやつかな?」
修馬の質問に、ココは首を横に振る。
「いや、違うだろうねぇ。灯台の方からもっと大きな気配を感じるもん」
「やっぱりそうか……」
何となく違うとはわかっていたのだが、修馬の希望としてはこれが動く死体の本体であって欲しかったのだ。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか。ちょっと、楽しみになってきたな」
「イジュは凄いや。あの化け物を恐れてないんだねぇ」
「沢山の死線を越えてきたからな。俺レベルになると、あの程度で心を乱すことはない」
「かっこいい!」
伊集院とココはそう話しながら骨と化したゾンビを軽く掘った地の下に埋めると、廃灯台に向かって歩き出した。
伊集院よ、お前は何も活躍してないのに、どうしてそんなに積極的になれるのだ?
そんな疑問を抱きつつ、修馬は2人の魔道士の後をゆっくりと追っていった。