第11話 サッシャ・フォルスター
大魔導師、ココ・モンティクレール……。
サッシャは魔人の腰掛け岩に座る子供に対して、その名前で呼びかけた。横にいた修馬は、ただただ驚き、その子の姿に目を奪われてしまった。
まだ幼そうなこの子供が、魔霞み山の山頂に住んでいるという大魔導師だというのか? 大魔導師と言われて年寄りを想像していたわけじゃないが、これほど子供ではさすがにピンとこない。
ココはその場で宙に浮かんで見せると、ゆっくりと浮遊し巨石から下りてきた。羽織っている藤色星柄のぶかぶかなポンチョがふわりと揺れる。
「魔霞み山は僕の所有物みたいなものだからねぇ。まあ、散歩みたいなものかな。ねえ、イシュタル」
「にゃー!」
巨石の上に座る獅子のような白い獣が、見た目に反する可愛らしい鳴き声で返答してくる。なんちゃら新喜劇だったら全員ずっこける場面だが、その場には相変わらず緊迫した空気が流れていた。
「戯言ですね。私たちの目的を阻止するつもりなら、全力でお相手致しましょう」
サッシャの両腕の周りに、魔法で出現した水流が渦巻きだす。子供相手に完全戦闘モード。大魔導師とは人々から尊敬されるような存在ではないのだろうか? この2人の関係が気になる。
「今のが戯言なら、あなたの言葉は愚問だね。だって僕がここにいる理由は、『無垢なる嬰児』の封印を守ることだもん」
ココは、大小2つのでんでん太鼓が付いた杖を横に振った。例の不思議な音と共に、凍てつく冷気が森の中に駆け廻る。
「果たして私の生み出す水流を、凍らせることができますかね?」
レングラータの町の入口でトラブルが起きた時と同じように、辺りの地面が薄い水で覆われる。するとサッシャはココがやってみせたように宙に浮かび、そして後ろに引いた両腕を一気に前に振り抜いた。両腕から放たれる水の刃が弧を描き、ココに襲い掛かる。
対するココは、左手に持っていたでんでん太鼓を右手に持ち直すと、太鼓の付いた先端部を前に突き出した。そこから膜状の水が円形に広がり、サッシャの放った水の刃はその水の膜に呑まれ相殺されてしまった。
そしてそれと同時に、足元の水たまりはいつの間にか全て凍らせてしまっている。王宮騎士団と戦った時に放った、水柱による攻撃もこれでは使うことができないのかもしれない。
「芸術的ですね。水と氷。2つの魔法を同時に使うなんて、我らが主と接しているようですよ」
「そんなに難しいことじゃないよ。右脳と左脳を別々に働かせればいいだけだし」
「ふふふ。台詞まで同じようなことを言う」
サッシャとココの2人は会話をしながら、魔法による戦闘を続けている。光の玉が漂い、水の槍は飛び交い、緑の閃光がバリバリと不快な音を立てる。最初からと言えば最初からだが、修馬には成す術がなかった。
俺は一体、どうすればいいのか?
そんな思いで手を握る修馬。昨日使い方を誤った、流水の剣。あれは、うまく使用すれば強力な武器になるはず。どうにか、出すことができないだろうか?
仮に流水の剣を出現させたとして、俺はこの戦いを止めるつもりなのか? それとも、サッシャに加勢して大魔導師ココに攻撃を仕掛けるのか? 意図も定まらぬまま修馬は精神を集中させ、そしてその目を大きく見開いた。
「出てくれ、流水の剣っ!!」
すると、修馬の目の前の空間が細く歪んだ。どうしてそうなったのかはわからない。わからないが修馬はその時、絶対的な手ごたえを感じることができた。
「えっ!?」「うそだっ!?」
戦っていたサッシャとココが同時に叫ぶ。
それもそのはず。修馬の手の中には、ココの持つ杖と瓜二つのものが握られていたからだ。
「でんでん太鼓ーっ!!」
修馬の手の中に現れたのは、流水の剣ではなく大きなでんでん太鼓。少し動かすと、太鼓の横に繋がれた玉が膜に当たり、カコンと音を立てた。
「えーっ、何で僕の『振鼓の杖』を持ってるのぉ!?」
修馬の手の中に武器が現れる理由は一体何なのか? それはむしろ、こっちが聞きたかったことです。
側にやってきたココは、己の持つでんでん太鼓と修馬の持つでんでん太鼓を、不思議そうな顔で交互に見比べている。一方、サッシャは右腕を取り巻いていた水流が凍らされてしまったようで、氷塊に包まれた腕を垂れ下げ不快に顔を歪めていた。
「くくくくくッ……」
苦しげな顔のまま、細く声を絞るサッシャ。ココは彼に目を向けると、振鼓の杖と呼ばれるでんでん太鼓を真っすぐに掲げてみせた。
「一体、何がおかしいの?」
「いや、気にしないでください。これはただのしゃっくりです。くくくっ」
サッシャはそう言って、左手人差し指を耳の穴に入れた。この人のしゃっくりは紛らわしいので、マジで何とかしてほしい。
鼻から息を吐き出したココは、気を取り直した様子でこちらに振り返った。。
「この杖は僕が作った一点物なんですけどねぇ。どうしてここにあるのかなぁ?」
「いや、俺もわかんない」
修馬がそのでんでん太鼓をふるふると回してみると、カコン、カコンと音が鳴った。勿論、魔法などはこれっぽっちも出やしない。
「もしかして、あなたもサッシャさんと同じ魔族なのかな?」ココはそう口にする。
「魔族っ!? 俺とサッシャが? ……どういうこと?」
挙動不審に首を左右に動かす修馬。
俺もサッシャも人間じゃないか! と声を大にして言いたかったが、この世界での自分の存在にいまいち核心を持てないのも事実。俺は人間と言っても差支えないのだろうか? 悲しいかな、人間の証明が覚束ない。
「知らなかったんだろうけど、サッシャさんは魔族の頂点に立つ『天魔族』って呼ばれる種族なんだよ」
ココのその言葉に修馬の顔が凍りつく。
「ま、魔物の頂点に立つ種族? サッシャが!? 嘘だ! だって、人間と変わらないじゃないか!」
そしてサッシャの横顔を覗きこむ修馬。どう見ても人間にしか見えないが、それに対し彼は何も答えなかった。
「見た目は一緒だよ。けど、天魔族には邪号っていう隠し名があって、その名前が明るみになると魔族としての姿を現すんだったかな? ねえ、サッシャ・ウィケッド・フォルスターさん」
ココはサッシャのことをそう呼んだ。以前聞いた名前に『ウィケッド』というミドルネームが入ったものだ。その隠し名が一体何だというのだろう?
サッシャはその場でうずくまる。「ぐぐぐぐぐ」と声を上げているが、これはしゃっくりではなさそうだ。薄らと肌の色が紺碧に変化していくと、突然頭から短い角が生え、背中からは大きな翼が現れた。コウモリを思わせる忌まわしい翼。
人外の生物へと、形を変えてしまうサッシャ。これは一体何が起きているというのか?
「うぅぅぅぅぅぅ、人前で邪号を口にするとは、配慮に欠けるお人だ」
魔物の姿にサッシャの声。これがサッシャの本当の姿だと認識した修馬は、崩れるように腰を抜かしてしまった。でんでん太鼓も地面に落としてしまったのだが、手から離れるとすぐにその場から消え失せてしまった。
「お、俺のこと騙してたのか?」
「騙す? 天魔族は元より2つの姿を持つ種族、偽るつもりはありませんでしたが、楼門をシューマに開けて貰う時に金属アレルギーと言ったのは真実ではないので謝りましょう。あの扉は天魔族では触れることすらできませんので……」
サッシャはそう言って腕に力を込めた。右腕を包んでいた氷塊が音をたてて砕け、氷の破片が辺りに散乱した。
「ただ、あの楼門は天魔族どころか人間でも開けることはできないはずなんですけどねぇ。まあ、それは置いておいて、とりあえずはサッシャさんとの決着をつけさせて貰いましょう」
ココの足もとに光の輪に囲まれた六芒星が出現し、ぐるぐると激しく回転し始めた。先程よりも激しい戦闘が始まりそうな予感。
「いいでしょう。この姿なら全力で戦えそうですよ!」
何故か森の中に大波が押し寄せる。恐らくこれはサッシャの魔法。修馬は慌てて2人の側から離れた。この戦いに巻き込まれたらひとたまりもない。
飛び上がったココがレーザー砲のような光術を放ち、サッシャが出現させた闇の塊がその光を全て呑み込んだ。ラストバトルのような想像を絶する戦い。
とりあえず俺はどっちを応援すればいいのだろう? 異世界において、魔族イコール人間の敵とは限らないだろうし、そもそも修馬自身、サッシャには幾つもの好意を受けていた。恩を仇で返したくはない。
その時、軌道を反れてきた水の矢が、飛燕の如く速度で修馬に突っ込んできた。反射的に目を塞ぎ、両腕で体を守る。
「うわっ!!」
キンッ! と金属音が鳴る。よくわからないが痛みはあまり感じない。おずおずと瞼を開くと、いつの間にか手の中に大きな大剣が握られていた。柄頭に紋章が刻まれた白い刀身の剣。
「これは、王宮騎士団の剣!?」
修馬が驚いていると、剣を持つ右手が己の意思とは関係なく動き、再び飛んできた水の矢を勝手に叩き落とした。まるで剣に意識があるかのように。
「何だこれ? どういうことだ?」
そう言ってる間も右腕は動き、こちらに外れてきたサッシャとココの魔法攻撃を次々弾いている。傍から見たら、修馬のことが剣の達人のように見えたかもしれない。
「おっ、それはアルフォンテ王国、王宮騎士団の剣だね。その剣は自律防御の魔法が備わってるから、そのまま持っていた方がいいですよ」
ココはサッシャと戦いながら、そう忠告する。
「自律防御!?」
自動的に防御してくれるありがたいシステムのようだが、あまりにも攻撃が激しすぎて右腕の筋肉がぱんぱんに張ってきている。
やがて腕の筋肉が限界を迎えそうになったその時、修馬の中にある仮説が浮かんだ。この、王宮騎士団の剣。もしかしたら手を放しても、魔法の力で勝手に攻撃を防いでくれるのではないだろうか?
ある程度の攻撃を防いだ修馬は、思い切ってその剣から手を離してみた。
するとどうだろう? ゆっくりと回転して地面に落ちた剣は、数秒の後、その場から音もなく消え去ってしまった。さあ、絶望のお時間です。
「うわーっ! やっちまったぁ!!」
叫ぶ修馬の目には、こちらに飛んできている光の矢と闇の玉が映っていた。我が命、最早これまで……。
己の命を諦めたその瞬間、何者かに首元を強引に引っ張られた。服の首根っこを掴まれたまま宙を舞う。この身に一体何が起きたのか?
魔法攻撃を避けられたことにとりあえず胸を撫で下ろした修馬は、改めて自分の状況を確認した。何者かに掴まれ、足をぶらつかせている状態。その首根っこを掴んでいたのは、イシュタルと呼ばれていた獅子のような白い獣だった。
「ナイス、イシュタル! ここは危険だから、そのまま山頂まで連れていくんだ!」
ココの命令を受けると、白い獣は修馬の襟を咥えたまま「ヴー!」と鳴いた。
「へ? 山頂?」と修馬が声にする前に白い獣は地面を蹴り、痩せた木々の間を猛スピードで駆け抜けていった。