第116話 馬鹿げた夢
「招かれざる客だと……?」
ライゼンは猛獣のようにココのことを威嚇していたが、急に猫のように目を丸くすると、大げさに頭を抱え後頭部を掻き出した。
「どうかしたのか?」
「……しまった! 塔の認識を消すの忘れてた」
「認識を消す?」
不思議な言葉の使い方に頭を捻らせる修馬。認識を消すとは一体どういうことだろう?
「成程、君が奇術師と呼ばれる所以はそれか……。けど今から認識を操作しても、それはもう遅いかもね」
冷静に語るココ。彼はライゼンの言葉を意味をしっかりと理解したようだ。よくわからないが流石は大魔導師。
「ふふふ。確かにもう遅いでしょうね」
その時、フロア全体に女の声が鳴り響いた。
それを聞くや否や、ココとシャンディは飛ぶように部屋の外へと出ていく。ライゼンはフォンと子供たちを下層階に避難するように指示し、すぐにココたちの後を追った。勿論、修馬もそれに続いて扉を出ていく。
食堂を出たフロアの中央にある、バスケットコート程の広い空間。そこから見える大階段から、丁寧な足取りで褐色の若い女性が下りてきた。幾何学模様が描かれた顔に、2本の触角のある頭部。それは天魔族、四枷の1人、クリスタ・コルベ・フィッシャーマンだった。彼女もココ同様、この塔の最上階から進入してきたようだ。
キンッと剣を抜く音が鳴る。真っ先に飛び出していったのはシャンディだった。
彼女は長剣を持つ右腕を後ろに引き、そして矢のような突きを放った。だがクリスタは石化させた左手でそれを無造作に掴み、あっさりと防いでしまう。
シャンディは武器が奪われぬよう掴んだ手を揺り動かすが、その長剣は掴まれた先端から徐々に石化し始めた。それはどんどんと浸食していき、彼女の右手にまで及んでくる。
「血よ、肉よ。その全てが石となり、ここで永遠の時を過ごがいい……」
石化していく長剣から、即座に手を放すシャンディ。
武器を失ったためそのまま飛び退くと、、大きく後転しそしてまた前を見据えた。だがクリスタは追撃をする様子はなく、哀しみをこらえるように溜息をついた。
「ふぅ。まるで童話に出てくるような高い塔で、骨が折れたわ。私、飛ぶのはあまり得意じゃないから」
クリスタが背中に生える蝶のような羽をゆっくりと閉じる。すると羽は、初めから無かったかのようにその姿を消した。
「……当たり前だ。童話を元に造っている建物だからな。俺たちマルディック家は職人の一族。近年はこの塔を完成させるべく、代々上へ上へと造り続けているのさ。天高く浮かぶ月を目指すためにな」
突如ライゼンの口から語られる、この塔が無駄に高い理由。それは本気で言っているのだろうか? ライゼンの粗暴な外見からは想像も出来ない程、ロマンチックなお話だ。
「人間の童話、黄昏世界のシュマに出てくる『月下の塔』ね……、素敵じゃない。けど、少しは現実を知った方がいいわ。馬鹿げた夢に付き合わされている子供たちが可哀そう。あなたもそう思うでしょ? 大魔導師ココ」
クリスタに話を振られたココだが、彼は返答もせずに手を前に突き出した。ココの手のひらから魔法の矢のようなものが放たれ、真っすぐに飛んでいく。
「……柘榴石の防壁」
クリスタの目の前に無数の立方体が出現増殖し塊となると、飛んできた魔法の矢を完全に弾いてみせた。
「馬鹿げた夢ねぇ。けど月を旅するみたいなおとぎ話は、天魔族にもあるって聞いたけど……」
静かに腕を下すココ。場所が室内だけに、本気で戦うつもりはなさそうだ。
「俺も父親によく聞かされていた。人間にとって月は夜の象徴だが、天魔族にとって月は生まれ変わりの象徴なのだと」
人間と天魔族、その両方の血を引くライゼンはそう語る。
「あなたたちの言う通り、天魔族にとって月は特別なもの……。それだけに、私たちの手に届くような場所にはないのよ」
そう言って右手を掲げるクリスタ。すると突然、建物の中であるにも関わらず足元が水田のようなぬかるみに変化した。修馬たちは足を取られその場から身動きがとれなくなる。
「お前、何のつもりだっ!」
動かぬ足を震わせ、叫ぶ修馬。クリスタは再び背中から蝶のような大きな羽を広げた。
「天稟の魔道士を捜しに来たけど、ここにはいないようね……。この際、そこにいる黄昏の住人を連れて行ってもいいけど……」
修馬の顔を伺うクリスタ。それに対し、ココが強い殺気を放った。足元を取られていても、魔法なら攻撃は届くはず。
「大魔導師ココ・モンティクレールに共和国騎兵旅団シャンディ・ビスタプッチ准将、それにライゼン・マルディックも居るのでは流石に分が悪いみたいね。申し訳ないけど帰らせていただくわ」
羽を羽ばたかせ、階段の上へと上昇するクリスタ。足元がぬかるんでいる中、ライゼンは強引に足を上げ一歩前に歩み出た。
「お前、何で俺のことまで知っているんだ?」
「同胞のことくらい知っていてもおかしくないでしょ? 勿論、あなたのお姉さんこともね……」
クリスタは視線を下げ、優しい笑みを浮かべる。
「お、お前、クジョウのことも知ってるのかっ!!」
突如、胸の張り裂けるような声を上げるライゼン。それは哀しさと驚きと焦り、様々な感情が入り混じった反応だった。
「ふふふ、口が滑ってしまったわ。私がクジョウ・マルディックのことを知っていたことは内緒にしておいてくださいね」
飛翔するクリスタ。ココは自分の足が動かぬまま攻撃魔法を放った。
「『紺碧の旋風』っ!」
濃度の濃い青い風が塔の中を旋回する。建物内であらゆるものが飛び交った。
「どういうことだっ!? クジョウをどこで見た!? あいつは……、クジョウは生きてるのかっ!?」
更に叫ぶライゼン。だが視界が遮られ、クリスタの姿を確認することが出来ない。
「それを知りたいのなら帝国にいらっしゃい。最も、この国から出ることが出来たらの話ですけどねぇ……」
やがて収まっていくココの風属性魔法。だがその時、クリスタの姿はすでにどこかに消え去ってしまっていた。