第114話 格子柄の焼き菓子
ライゼンに招かれ、内部へと侵入する修馬とシャンディ。そこは円形に造られた巨大な塔。天井は高いが、フロアには何もない。無機質な石造りの壁に小さな窓が等間隔に設けられているだけだ。
「殺風景な住まいだな」
修馬がそう言うと、ライゼンは「下層階はほぼ使用してないからな」と言ってにやりと笑った。
そして奥に1つだけある、小部屋の前にやってくる。そこには大きな進入口があるのだが、鉄格子のような頑丈な鉄柵で閉ざされていた。
「これは『からくり昇降機』。これを使って一気に上まで昇っていくぞ」
それを聞き成程と思う修馬。どうやらこれは、エレベーター的な物のようだ。この異世界においてそれは未知の技術なのか、シャンディは若干疑いの視線を送っている。しかしライゼンはそんなことは気づきもせずに意気揚々と鉄柵を横にスライドさせた。
「入れ。途中で出ると死ぬから気をつけろよ」
ライゼンは冗談のようにそう言うと、皆が入った後に鉄柵を閉め、そして壁に取り付けられた大きなレバーを豪快に上げた。
ガタンッ! カタカタカタカタッ。
歯車が回転する音と共に、部屋全体が上昇していく。現実世界の物に比べるとだいぶ揺れるので、倒れてしまいそうになるが、慣れているであろうライゼンは平然としている。その得意げな顔が何となく忌々しい。
「この建物は何階まであるんだ?」
倒れないようにバランスを整え、修馬が尋ねる。
「46階だったかな。今はまだ」
「今は?」
「建設の途中なのさ。どんどん高くなるぞ、この塔は」
新しい玩具を手に入れた少年のように目を輝かせるライゼン。その喜びを理解出来ない修馬は、眩暈でもするように顔を上げた。馬鹿と煙は何とやらというのは、こっちの世界でも変わらないらしい。
やがて昇降機は速度を弱め、静かに停止する。ライゼンはその階にある鉄柵を力強く開けると、広い通路に躍り出た。
「ここは40階。俺たちが普段過ごしている所だ」
後に続くシャンディと修馬。そのフロアは何もなかった1階とは異なり、あらゆる生活道具が置かれていた。水の入った樽に、食料でも収められていそうな木箱が通路の横に連なっている。それを見た修馬は、己の腹を押さえた。そういえばそろそろ朝食が食べたくなる時間帯だ。
「おー、フォン! また珍客を連れてきたぞ」
ライゼンが声を上げる。その視線の先にある部屋の奥には、濃い葡萄色の長い髪を持つ14歳くらいの女の子がいた。彼女の前には大きなテーブルがあり、幾つかの食器が並んでいる。恐らくあの中は食堂なのだろう。
「珍客って……、うわっ!! 大人じゃないですか!?」
フォンと呼ばれた女の子は、食堂から顔を出して大声を上げた。ライゼンは少し困惑の色を見せつつ、それに返答する。
「客なんだから、大人が来ることもあるだろ。とりあえず、茶でも淹れてくれるか?」
「お茶? わかりましたよ。けどその前に、あの子供をどうするつもりなんですか? 遺児を見つけたからって、すぐに連れてこないでください。もうこの施設では、子供を養えないですよ!」
そう言って食堂の奥を指差すフォン。
「子供? 誰のことだ?」
不可解な顔を浮かべ、中を覗き込むライゼン。すると彼は化け物でも見たかのように、「うおっ!!」と野太い声を上げた。
「モレアの石碑に居た、滅茶苦茶強い魔法使いのガキじゃねぇか!? お前はこの塔に招待してないぞっ!」
驚いているライゼンの背後から、修馬も食堂を覗き込む。そこにいたのはダイニングテーブルについて、パンケーキのようなものを食べているココだった。意外な登場の仕方に、修馬も「うわっ!」と声を上げる。
「やあ、シューマたちもこの塔に気づいたんだね。わかりやすい集合場所があって良かったよ」と笑顔のココ。
「おい。人の住まいを勝手に待ち合わせ場所にするな。大体お前、どっから入ってきたんだ!?」
ライゼンが問いただすと、ココは上を見上げ天井を指差した。
「空だけど……」
「空からだと!?」
「空を飛んでいたら、突然屋根の無い建物が出現したんで、そこから入らせて貰ったよ。お邪魔してます」
残っていたパンケーキを口の中に放り込み、深く頭を下げるココ。先程ライゼンは建設途中と言っていたが、屋根がないとは思わなかった。雨が降ったらどうするのだろう?
「えー、ライゼンさんが連れてきたんじゃないんですかぁ?」
呆れたように言うフォンに、ライゼンは鬼の形相でそれを否定した。
「こんなやべーガキ、連れてくるかよ! 塔をぶち壊されるぞ! しかもお前が食っているのは何だ? そいつは俺の朝飯じゃないのか!?」
ココは皿を手にし付着した蜜を舐めると、テーブルの上に置き、再び頭を下げた。
「ご馳走様。とてもおいしかったです」
「よくも綺麗に食べきってくれたな。この間は尻尾を巻いて逃げるしかなかったが、今度はそうはいかん。全力でぶちのめすから覚悟しろ!」
「うん。まあ、僕としてはシューマが生き返ったから君に特に恨みはないけど、かかってくるなら本気で返り討ちにするよ」
不穏な空気と共に魔力を開放するココ。対するライゼンも前傾姿勢になりながら、不気味なオーラを放ち出した。
「やめなさいっ!!」
その時、シャンディとフォンが同時にそう叫んだ。迫力のある2人の女性の声にココとライゼンは、いたずらが見つかった子供のようにしゅんと大人しくなる。
「暴れるなら外でしてください! 子供たちも居るのに、塔が壊れたらどうするんですか!?」
「そうだな。戦うのは構わんが、大した遺恨があるわけでは無いのなら後にして欲しい。今はこの男の話が聞きたい」
フォンとシャンディは言う。喧嘩するのこと自体は別に構わないのかと、若干気持ちのずれを感じてしまう修馬。まあ、結果喧嘩が治まるなら良しとしよう。
若干不貞腐れた様子で、ドスドスと音を立てて歩くライゼン。彼はそのまま、ダイニングテーブルのお誕生日席に大きく足を開いて腰掛けた。
「くそー、仕方ない。腹が空いては苛々して会話にならん。フォン、悪いがもう一度朝飯を用意してくれ!」
「パンならもう無いですよ。小麦粉が切れてしまったので」
木箱を開けて見せるフォンに、ライゼンは「なにぃ!?」と声を上げ目を見開いた。彼の位置から見えてるかどうかは定かではないが、近くにいた修馬には空の木箱がはっきり見て取れた。大さじ1杯程度の粉しか残っていない。
恨めしそうな顔でココを睨むライゼン。だがココはそんな彼のことは目もくれず、空の木箱を覗き込んで、そして修馬の顔を見上げた。
「シューマ。残ってる小麦粉で、何か朝食を用意してあげてよ」
「俺が? あー、そういうことか」
一瞬何を言っているのかわからなかったが、すぐに自分の持つ少しの食材からお菓子を製造するという謎の能力のことを言っているのだと理解した。
だが修馬自身、その詳しいやり方は把握していなかったりする。とりあえず空の木箱に手を入れ、恐る恐る残された小麦粉に触れてみた。果たしてこれで正解なのか?
たったそれっぽちの粉で何をするつもりなのかと、横にいるシャンディとフォンが眉をひそめる。しかし、すぐに2人の表情が明かに変化した。木箱から大量の光が漏れ出たからだ。
食堂の中に白い光が満ちる。全員がその目を瞬かせていると、木箱の底から円形の何かが増殖するように大量に出現し、山のように盛り上がった末、溢れて床に幾つも零れ落ちた。でこぼこの形状の焼き菓子、それはワッフルのようだ。焼きたての甘い香りが、部屋の中を優しく包み込む。
予想外の量が出てきて困惑を覚える修馬だが、ライゼンは喜びを抑えきれないように席を立った。
「滅茶苦茶良い匂いがするじゃねぇか! これは、何て菓子だ?」
「ワッフルだね。うん」
「ワッフル? そうか。しかし、何でこんな蜂の巣みたいな形なのか?」
そう言い終わらない内に、ライゼンはワッフルを口の中に運ぶ。一口齧ると、得も言えぬ恍惚の表情。どうやら気に入って貰えたようだ。
「鼻に抜ける芳醇な香りと、生地の中に残った大粒砂糖の心地よい食感……。前に食べたものとは、また異なる趣の菓子だ」
一端のグルメレポーターよろしく、味の解説をしてくれるライゼン。だがシャンディとフォンは、始めて見る大量の焼き菓子に少々戸惑っている様子だ。
「おいしいよ。皆で食べよう!」
ココは摘まみ食いをしながら、テーブルの上にある皿にワッフルを盛っている。その姿を見たシャンディとフォンは意を決するように木箱からワッフルを手に取り、そしておもむろにかぶりついた。焼き立てワッフルの生地が、サクッと心地よい音を立てる。
「お、おいしい……」「うむ。確かに旨いな……」
フォンとシャンディがそう言うと、ライゼンは自分の手柄のように「だろ?」と返した。本当に調子のよい男だ。
「とりあえずいっぱいあるし、さっきの子供たちも呼んで、皆で食べようか?」
修馬が提案すると、それに全員が賛同した。
「ありがとうございます。あの子たちも喜ぶと思います」
深々と頭を下げ、礼を言うフォン。そして皆でテーブルの上に並べられた皿にワッフルを乗せていたのだが、1人ココだけは部屋の隅を凝視したまま、じっと立ち尽くしていた。
「どうかしたの?」
そう聞くと、ココは「シューマ、何か言った?」と聞き返してきた。
「どうかしたのって聞いたんだけど……」
「いや、その前に何か言ってたような気がしたんだけど……、まあいっか!」
気持ちを切り替えるように小走りで移動し、先ほど座っていた席に戻っていくココ。だが修馬はどこかすっきりしない気持ちを抱えたまま、その向かいの空いている椅子にゆっくりと腰を下ろした。