第113話 蜃気楼の塔
悪魔の雷と称される共和国が生み出した強力な闇属性兵器。非人道的とも思えるような破壊力を持つ一方で、その威力を帝国が知ることになれば、それはそれで戦争の抑止力になるのではないだろうか? まあ、それは共和国に侵略する意志がないということが大前提なのだが。
「大地が汚染され、生き物が住めない環境になったとしても、共和国はその兵器を使わなければならないのでしょうか?」
修馬が尋ねると、シャンディは小さく首をすくめた。
「悪魔の雷は未だ開発の途中。しかし帝国と戦争になるのなら、強引にでも実戦で使用されることだろう。帝国にも凝縮した闇の力を動力とする『暗黒魔導重機』という兵器を開発しているらしいからな。目には目を……、というわけだ」
「帝国にも闇の兵器があるんですか……」
闇の兵器、対、闇の兵器。
事態は修馬が思っているよりも深刻なようだ。戦争自体を止めなければ、兵器の使用を避けることは出来ない。
「もしもその2つの兵器を使って戦争が始まったなら、世界はどうなってしまうのでしょう?」
「そうだな。その暗黒魔導重機がどのようなものかはわからないが、可能性としてその地域の多くの人間と、多くの生物が死に絶える恐れはある。だが一方的に蹂躙される我らではない。自分たちの持つ全ての力を使い抵抗するだろう。国を守るためなら、戦いによる犠牲はいとわない。戦争とはそういうものだ」
戦いを治めるための戦い。それは先日、修馬が伊集院に対して言った言葉だ。修馬自身も武器を放棄することで戦争が無くなるなどというメルヘンチックな絵空事を信じているわけではないが、この兵器の使用に関しては否と叫びたい。
「この石の森のように、その後何年もの間、生命を寄せ付けない死の大地になっても……ですか?」
そう言われたシャンディは、改めるように異形の地形を見渡す。
「成程、死の大地か……。闇の影響を受けたこの場所は、本来長居をするようなところではないのだが、今私はどういうわけかこの水辺から離れること出来ぬのだ。そなたにはそれがどうしてか理解出来るか?」
その質問に修馬が首を横に振ると、シャンディはこちらに背を向け、浅い湖の水面を見下ろした。
「感じられぬか? この湖の中心から広がる、忌々しい土地には相応しくない、清らかで壮大なる存在を……」
シャンディの言う言葉を理解するため、修馬は黙って砂漠に出来た小さな湖に目を向けた。
たった一晩で出来たであろう即席の湖は、緩やかな風を受け小さく波が立っていた。僅かな時を刻み、薄く、薄く。
そしてしばらく水面を見つめていると、波は中心から円状に広がるように形を変えていった。まるで美しい音色を響かせるかのように。
……何かが出現する。
修馬の第六感がそう告げると、その直後、中心から白波が立つと同時に、高くそびえる石灰色の塔が湖の真ん中に幻のように姿を現した。
我が目を疑う修馬とシャンディ。建物など何も無かった場所に、突然、天を刺すような巨大な建造物が出現したのだから無理もない。
「これがもしかしてジュノー村の村長が言っていた『蜃気楼の塔』……」
修馬は息を呑む。これがその塔だとするならば、中にはあのライゼンがいるはずだ。緊張感を覚え一歩後退ると、正面に見える塔の扉がバタンと音を立てて開け放たれ、3人の子供が勢いよく飛び出してきた。左から男の子、女の子、男の子という順番。
「わー! 水だ、水だ!」「石の森に雨が降ったの?」「雨じゃない。洪水だよ、洪水!」
子供たちは浅い湖に膝まで漬かりながら、元気に飛び跳ねている。唖然としてその様子を伺う修馬。もしかすると、あの子たちがライゼンがさらったという子供か?
「ねえ、君たちっ!!」
こちらから声をかけると、子供たちは驚いたように振り返った。
「うわっ! 誰だ、誰だ!」「水と一緒に人も流されてきたの!?」「違う。迷子だよ、迷子!」
一方的に言ってくる子供たち。ちびっこの扱いに慣れていない修馬が困っていると、シャンディが鎧を着たまま湖の中に入っていき子供たちに話しかけた。
「すまない。私たちは迷子で困っていたのだ。ここは蜃気楼の塔っていう建物で合っているかな?」
「しんきろう? 違うよ。ここは、『マルディック孤児院』だぞ」
右の男の子が誇らしげにそう言うと、シャンディの足がそこでぴたりと止まった。
「マルディック……、孤児院?」
「そうだ、マルディック孤児院だ。迷子なら今から先生を呼んできてやるよ。せんせーっ!!」
湖から上がり、入口の階段を上がっていく子供たち。その間もシャンディは身動きもせずにそこに立ち尽くした。
「シャンディさん、どうかしたんですか?」
「い、いや。少し聞き覚えのある名だったが、まさか……」
シャンディが独り言のようにそう呟くと、塔の中からサイドヘアーを編み込んだ洒落者の大男が太々しく登場した。それは間違いなく、修馬の喉笛を斬り裂いたライゼン、その人物だった。
「こんなところで迷子というからどんな間抜け面か拝みに来たら、お前はこの間会ったビスタプッチ家の娘じゃないか。やはり両家の因縁は深いようだな」
「成程そうか。私と貴様にどんな因縁があるか思ったが、まさか貴様がマルディック家の末裔とは……。遥か昔に没落し、その血は途絶えたと聞いていたが」
ビスタプッチ家とマルディック家?
まるで何を言っているのか理解出来ない修馬は、静かに成り行きを見守った。
「そうさ。ビスタプッチ家の陰謀によって歴史の表舞台から消されたのが、俺たちマルディック家の一族。だがまあ、それは伝え聞く話。別にその末裔を未だに恨んでいるわけじゃあない。だからそのでかい剣をしまってくれるか?」
にやけた顔でライゼンは言う。見るとシャンディは、確かに己の腰から長剣を抜いていた。そしてそれを仕舞う仕草は今のところ見せない。
「この剣を収めることは出来ない。貴様の目的がわからぬのだからな。何故、ランシスの町で動く死体をさらった? さっきの子供たちをどうするつもりだ!?」
改めて剣先を向けられたライゼンだが、動じる様子もなく腕を組み平然と立っている。
「子供? そんなもの、どうするもこうするもない。ここは孤児院。子供がいることは自然なことだ」
確かに孤児院だということは、先程子供たちも自分の口で言っていた。そして彼らの様子を見た限り、無理やりここに留めさせられているとは思い難い。
「その子供たちを育てる目的を言え!」
シャンディが詰めるように問うと、ライゼンは演技じみた顔で眉を上げた。
「ユーレマイス共和国では、子供を育てるのに一々理由の説明がいるのか? 全く息苦しい国だな」
「子供を育てているのが貴様だから聞いているのだ。マルディック家と言えば、人間に仇をなす天魔族の血が流れる一族。何の利益があって、人間の子供を育てるというのだ」
不意にシャンディの口から発せられた意外な言葉。それは本当なのだろうか?
「天魔族の血……?」
修馬が思わずそう漏らすと、ライゼンはそこでようやく気付いたようにこちらに目を向けた。
「おーっ! お前はモレアの石碑で会った兄ちゃんじゃねぇか! やっぱり生きてたんだな。いやー、あの時は悪かったな!」
特に反省の色を見せずに、楽観的な謝罪するライゼン。こいつの意図がいまいちわからないが、あの時のことを思い出すと、足がすくみ手を出すことが出来ない。
「聞くところによると、貴様はこの若者も斬りつけたそうだな。やはりそれは天魔族の血がさせることではないのか?」
そう言いながら、シャンディはにじり寄る。
「まあ、それはあれだ。この兄ちゃんは、俺の仲間だと確信していたからな」
対するライゼンは微笑を浮かべながら、降参するように手のひらを上げそう言った。だがシャンディにその言葉の意味はわからない。勿論、修馬にも。
「彼が天魔族だとでもいうのか?」
「そうじゃない。とりあえず説明すると長くなるから、中に入らないか? なんなら、お茶くらいは出してやるぜ」
ライゼンは親指で背後を指差す。幻影のように現れたが、今はそこにはっきりと存在する遥か高き白亜の塔。見上げると目が眩みそうになるが、孤児院だというなら何故こんなにも高くする必要があるのか?
修馬はシャンディと視線を合わせると、意志を確認するように小さく頷きあった。
「中に入れてくれ。俺もこの建物に興味がある」
ここがライゼンの根城なら、彼に捕まった伊集院もまた、ここにいるはずなのだ。
「久しぶりの客だ。フォンの驚く顔が目に浮かぶ」
どこか嬉しそうにそう言うと、ライゼンは塔の大きな扉を無造作に潜っていった。