第112話 穢れた兵器
眩い朝の光を瞼の向こうに感じ、修馬はゆっくりと目を覚ました。清らかな空気と陽だまりに包まれた居心地の良い場所。ここはどこだ?
体を起こそうと地面に手を着くと、ひんやりとした水が指先に触れる。見ると、自分の寝ていた周りには幾つもの水たまりが出来ていた。そうだ。自分はココの放った暴走する水術で、どこかに流されてしまっていたのだ。
「目が覚めたようだな」
突然背後から聞こえてきた女性の声。慌てて振り返ると、そこには鎧を纏った長身の女兵士が立っていた。共和国騎兵旅団のシャンディ・ビスタプッチ准将だ。彼女は小さな湖の湖畔に、姿勢正しく立っていた。てっきり皆とはぐれてしまったかと思っていたが、そうではなかったようだ。しかし一体、我々はどこまで流されてしまったのだろう?
「シャンディさん、おはようございます。……ここはどこ何でしょうか?」
「周りを見てみろ。水属性魔法のせいで景色は一変しているが、ここはまだ『石の森』の中だ」
軍人らしい凛々しい声でそう語るシャンディ。辺りを見回すと、確かに幾つかの柱状の岩が立ち並んでいる。そう遠くまでは流されずに済んだようだ。
「ココは? それと戦ってた帝国憲兵団のフィルレインは?」
「ふむ。帝国の間者は、あのごたごたの隙に逃げられてしまってな。大魔導師がその後を追っていったが、どうなったかはわからない。私はお前を救出することで精いっぱいだったからな」
シャンディは雲一つない空に目を向けてそう言った。どうやら泳げない修馬を、彼女が助けてくれたようだ。
「俺のこと助けてくれたんですね。ありがとうございます。けど、折角フィルレインを捕らえるチャンスだったのにすみませんでした」
「まあ、それは仕方のないことだ。帝国の犬を逃したのは大きいが、人の命には代えられまい……」
修馬は軍人であるシャンディに対し、多少の恐怖心を抱いていたのだが、想像しているよりもずっと穏やかな心を持っているのかもしれない。
水で潤った土地に、湿度の低い風が吹き下ろす。直径が200メートルもない湖に、薄っすらと波が揺らいだ。
「しかしこの辺りは雨の降らない土地だが、これだけ大量の水が沸いたお陰で、穢れた地が少しは浄化されたように思えるな」
昨日まではごつごつとした奇岩がむき出しになった不気味さすら漂う砂漠地帯だったが、今は浅く清らかな水辺が遠くまで広がっており、東からの朝日を反射してきらきらと輝かせている。昨日見た景色とは一変しており、それを目にした修馬は心を小さくときめかせた。
「シャンディさん、一つ聞いても良いですか?」
「……聞いてやろう」
「さっきこの土地を穢れているとおっしゃっていましたが、それはどういう意味なのでしょうか?」
この石の森という土地は以前ココから聞いた話によると、勇者モレアよりも前の時代、神々の戦によって土地が白化し草木も生えなくなったそうだが、どうしてシャンディは穢れていると表現したのだろうか? 争いによって多くの生物が死に絶え、それで穢れたということなのか?
シャンディは怒っているかのようにむっつりと口を閉ざしていたが、やがて表情を緩めると大きく息をついてこちらに視線を向けた。
「この石の森と似た場所は、実は共和国にも存在する。それは闇魔法を凝縮して造り出した『悪魔の雷』と称される想像を絶する破壊力を持つ兵器の実験場……」
それを聞いた修馬は、すぐに頭の中で核兵器を思い浮かべた。想像を絶する破壊力。そして使用後は地表が汚染され、生物が住むことが困難になる点。いずれも酷似しているように思える。
「その地は強力な闇の力で日の光が届かなくなり、植物は枯れ、水は濁り、あらゆる生き物は生存が困難になってしまったのだ。恐らくここも、太古の時代にそのような闇の兵器を使用したのだろう」
今は朝の光が届き、僅かだが植物の生えるこの地も、かつては闇の力により死の大地と化していたのだという。
「この大規模な砂漠地帯が、強力過ぎる兵器の代償というわけですか」
「共和国の魔導師どもが造り上げた悪魔の雷は、その一撃で都市を1つ滅ぼすことが出来るらしい。まあ、そんなことを言っても流石に信じられないとは思うが……」
この異世界で修馬が見てきた火器の類は、関所の町ゴルバルの砦や、反乱軍のリーナ・サネッティ号の船上で見た大砲くらいだ。実際に使用したところを目の当たりにしたわけではないが、その威力は小屋を1つ破壊するのが関の山だろう。そんな世界で都市を1つ滅亡させる兵器の話をしても、中々信じては貰えないのかもしれない。
「いえ。技術は日進月歩進化するものなので、そんな兵器があったとしても俺は驚きません。ただ思うんです。その悪魔の雷は、都市どころか国、いや、もしかすると世界中を汚染してしまうほどの影響があるのではないでしょうか?」
修馬がそう言うと、シャンディは目を丸くして振り返った。彼女も何か心当たりがあるのかもしれない。
「……さあな。兵器を造っている魔導師は、私の父でもある国家元首サリオール・ビスタプッチ直属の研究機関。中々本当のことは口を割らない。前線で戦う我々の士気にも関わることだからな」
修馬は頭に思い浮かべる。悪魔の雷と呼ばれる兵器を使用し、炎上する都市を。そして炎を伴う旋風によって闇は天高く飛ばされ、気流によって汚染は世界中へと拡散されていく。
「それは父親からも聞けないんですか? 最前線で戦う自分の娘に害が及ぶかもしれないのに……」
「娘だろうと関係あるまい。ユーレマイス共和国の国家元首は、共和国騎兵旅団の元帥でもあるのだ。全ては共和国のため。家族だからと優遇されるようなことはあってはならないし、私自身もそれは望んではいない」
シャンディはそして、奥歯を強く噛みしめた。左右の下顎が、震えるように小さく揺れている。
この異世界は今、大きな戦争へと向かってしまっている。それがもしも核戦争のようなものであるとするならば、一刻も早くその争いを止めなければならない。それは核兵器の恐ろしさを知っている、我々の責務なのではないだろうか。
潤ったかつての忌み地に立つ修馬は、そんな気がしてならなかった。