第10話 魔霞み山の魔導師
人気の無い山奥を歩いていたのだが、突如として場違いな人工物が目の前に現れた。それは横一面に広がる巨大バリケード。聞くところによると、その壁は魔霞み山の裾野を囲むように、ぐるりと一周しているのだそうだ。煉瓦造りのその赤い壁は、万里の長城の如く遥か遠く何処までも続いている。
「一体全体、これはどういう目的で造られた壁なの?」
修馬が尋ねると、サッシャは5メートルはあろうかというその大きな赤壁を横目で見上げた。
「これは、言わば魔除けの境界ですよ」
「魔除けの境界?」
サッシャの説明によれば、この赤壁は魔霞み山に棲む魔物が野に放たれないように囲っている、魔除けの術を施した巨大な防壁なのだそうだ。魔霞み山に魔物がいることは聞いていたが、こちらが思っていた以上に魔物の巣窟になっているのかもしれない。無駄に高い壁を見上げた修馬は、今更ながらに体が震えてしまった。
「もしも魔物が出現したら、昨日のように流水の剣で駆逐してください」
「いや、無理でしょっ!!」
サッシャの無茶振りに、両手を振りかざし抗議する修馬。剣の出し方もよくわからないし、仮に出たとしてもそれで化け物とやりあうほどの根性は持ち合わせてない。
「冗談ですよ。私はお守りを所持しているので、魔物に襲われることはないと思います。まあ、万が一魔物が現れた時は、責任もって殲滅させていただきますのでご安心を」
心強いサッシャのお言葉。俺はこの人と出会わなかったら、レベル1のままでゲームオーバーしていたかもしれない。正に彼は、イージーモードの水先案内人。そんな感じのナレーションがサザエさんの声で再生されたような気がした。
「正し、シューマにもやっていただきたいことがあります」
いきなり立ち止まったサッシャは、何か宣言でもするようにそう言って振り返った。やっていただきたいこととは一体なんだろう? この世界に限らず、俺にできることなどそう多くはない。
「見てください。この楼門が入口です」
サッシャは右手で指し示す。色が似ていたので気がつかなかったが、そこには2メートル四方の赤茶けた鉄扉が備え付けられていた。仰々しい壁と比べると勝手口のような小さな造り。
「いよいよ、魔霞み山かぁ……」
深く息を呑む。覚悟を決めた修馬は鉄扉の前に立ち、前を睨みつけた。見るとその扉には、鍵穴はあるのだが取っ手が無かった。
「その扉は訳あって私では開けることができません。しかしシューマなら、きっとこの扉を押し開けることができるでしょう」
サッシャにそう言われ、何かを考える修馬。
「何で、サッシャは開けることができないの?」
「金属アレルギーなんです」
何とも腑に落ちない回答が返ってくる。
まあ、扉を開けたからといって、死ぬようなことはないだろう。自分にそう言い聞かせ、修馬はその赤茶けた鉄扉に手を伸ばす。
するとその時、頭上でバチバチッという大きな音が鳴り響いた。慌てて手を引く修馬。
「な、な、な、何、今の!?」
「小型の飛竜が壁を飛び越えようとして、魔法縛の罠に掛かったようですね」
「飛竜っ!?」
見ると、赤壁に沿って5メートル程離れたところに、ぐったりとした羽付きの爬虫類が横たわっていた。これが人生初のドラゴン体験だったが、不思議とテンションは上がらない。
「この飛竜、死んでるみたいだけど、魔法縛って何? この壁、人間が触っても大丈夫なの?」
腰が引けた修馬は杖がわりに使っていた木の棒で、恐る恐る鉄扉に触れる。しかしそれを見かねたサッシャは、無理やり修馬の背中を押してきた。鉄扉とサッシャに挟まれてしまう、これまた人生初の壁ドン体験。言わずもがな、男同士ではテンションが上がらない。
「いやーっ!!」
錆びた鉄扉に体を押し付けられた修馬は、痛々しく泣き声を上げる。気付くと両開きの鉄扉が、音を立てて開いていた。
壁の向こうの景色が広がる。魔霞み山という名前から勝手に物々しい雰囲気の山を想像していたが、そこには辺り一面に高山植物が生い茂る丘が広がっており、今まで歩いてきた道とさして変わらない風景だった。
「良かった。魔物はいなそうですね」
「そうですね。はぐれた飛竜が飛んできましたが、基本的に麓の辺りには魔物はいませんよ」
サッシャの言葉を聞きほっとした修馬は、麻袋の中の水筒を取り出し、1口だけ水を飲みこんだ。
そして2人は、青々とした山道をしばらく歩いていく。
やがて小さな谷のような形状になった道に辿り着くと、前方に細い木が立ち並ぶ小さな森が見えてきた。
「見てください。あそこは鎮守の森です。あの中に『魔人の腰掛け岩』と呼ばれる磐座があります」
「いわくらって、何?」それがわからない修馬が尋ねた。
「信仰の対象になっている岩のことですね。これから向かうバンフォンの『龍の渦』と同じく、自然エネルギーが大量に溢れている神域です」
「ふーん。さっきのアルコの大滝といい、この辺りにはそういうパワースポット的な場所が多いんだね」
「そうですね。魔人の腰掛け岩、龍の渦、アルコの大滝、そして斎戒の泉、この4つの聖地は魔霞み山に眠る『無垢なる嬰児』の封印を守るためのエネルギー源になっているのだそうです」
無垢なる嬰児……。言葉自体に悪い意味は無さそうだが、何故だかその響きを聞くだけで妙な胸騒ぎがしてくる。
「無垢なる嬰児って……」
修馬はそう言い掛けた時、どこからか風に乗ってカロン、カロンという不思議な音が流れてきた。
「……これは聞き覚えのある音色ですね」
器用に耳を動かすサッシャ。すると、彼のポーカーフェイスが少しだけ崩れた。何やら良くないことが起こりそうな気配。
痩せた木々の間を抜けていくと、少しだけ開けた場所に辿り着く。そこには2階建ての家屋程の大きさがある四角い巨石がどっしりと鎮座しており、先程から聞こえる不思議な音色はその巨石の上から聞こえてくるようだった。
カロン、カロン、カロン。
震える両手を押さえつけ、恐る恐る巨石を見上げる修馬。魔人の腰掛け岩と呼ばれるその巨石の上には、凶暴そうな1頭の白い獣と、トイプードルを思わせるふわふわパーマヘアの子供が1人、文字通りそこに腰掛けていた。その子供は大きなでんでん太鼓のようなものを手にしている。あれが不思議な音の正体か?
「あー、サッシャさんじゃないですか、お久しぶりですねぇ」
パーマヘアの子供にそう言われると、サッシャは今まで見せたことのない程の険しい表情を浮かべ下唇を噛んだ。
「あなたが山頂から下りてきているとは計算外でしたよ。大魔導師、ココ・モンティクレール」