第107話 一時帰宅
昨晩、守屋家の面々と賑やかな食事をし、そのまま寝泊まりした修馬だったが、今日は珠緒と共にバスで長野駅前に向かっていた。まだしばらくはあの屋敷で世話にならなくてはいけないようなので、最低限の身の回りの物を家から持ってくる為だ。
戸隠山に残った友理那たちは『大蛇神楽』と呼ばれる神事の準備をするため、戸隠神社中社に行くと言っていた。
大蛇神楽とは明治の初めに廃止されてしまったお祭りだそうで、修馬は勿論、地元の年寄りにすら知られていない謎の神事である。
長野駅前に到着し、バスを降りる修馬と珠緒。朝は比較的晴れていたはずなのだが、現在の長野市内の上空はどんよりとした暗雲が垂れ込んでいた。鼻先に感じる雨の気配。本格的に降ってくる前に、とっとと家に帰って用事を済ませたいものだ。
「広瀬くん、ここから電車?」
珠緒に聞かれ、修馬は頷く。
「うん。桐原駅まで。守屋は?」
「私も桐原。じゃあ、長電の駅に下りようか」
「そうだね」
バスの中でもずっと一緒だったのだが、守屋とは特に仲が良かったわけではないので、あまり会話が続かなくて困ってしまう。
微妙な空気を感じながら駅前の通りを歩いていると、「ガァーッ! ガァーッ!」という耳障りな音が空から降ってきた。カラスの鳴き声だ。見れば、街路樹、電線、フェンスの上、至る所にカラスが佇んでいる。この辺りは彼らの餌場なのだろうか?
何故か軽く身震いを覚える修馬。カラスなど特に珍しくもないのだが、そこにいる数はあまりにも多く、異常だった。何か不吉な予感すらしてしまう。
そんな思いのまま歩いていたのだが、突然、修馬、珠緒、そして周りにいる人々のスマートフォンからビーッ! ビーッ! ビーッ! という警戒音が鳴りだした。緊急地震速報の音だ。周りにいたカラスたちがそれに反応し一斉に飛翔すると、羽ばたきによって小さな風の渦が起こり、辺りのごみ屑が少しだけ舞い上がった。
大量のカラスは上空で一度旋回すると、JR長野駅の大きな駅舎を越えて、東の方へ飛んでいった。
にわかに騒然とする長野駅前。珠緒を連れて少しだけ開けた場所に移動したのだが、いつまでたっても揺れを感じることはなかった。誤報だったのだろうか?
やがて何も起きないと悟ると、周りの人々はまたそれぞれ目的の方向に向けて歩き出した。人騒がせな非常音。全く便利なのか迷惑なのかわからないシステムだ。
気を取り直し、修馬たちも長野電鉄の地下にある駅構内に向けて歩き出す。だがその時、今度は修馬のスマートフォンから電話の着信音が鳴り出した。緊急地震速報の後だったで思わず地面に落としそうになったが、辛うじて本体を掴み、そして応答をタップする。自宅の家電からだ。
「も、もしもし?」
「修馬? 地震大丈夫だった?」
と言ってきたのは母親の声だった。
「いや、地震無かったでしょ」
「うん、無かったね。けどもしかしたら、戸隠の方ではあったのかなって思って」
「戸隠はどうだったんだろ? 今、長野駅にいるからわかんないや。とりあえず、もう少ししたら一旦帰るよ」
「一旦? まあいいんだけど。そういえばあんた宛てに電話が何度も来てたよ。祐くんから」
「伊集院からっ!?」
声のトーンが大きくなる修馬。隣にいる珠緒を驚いた様子で肩を揺らした。
「ついさっきも電話があったけど、こっちが戸惑うくらい焦った感じだったよ。善光寺がどうのこうのとか言って」
「善光寺? で、伊集院には何て言ったの?」
「何ても何も、あんたの言う通り留学したって言ったわよ。デュッセルドルフに」
「デュッセルドルフ!?」
急に聞いたことも口にしたことも無いような地名を言われ、困惑を覚える修馬。それは異世界じゃなくて、現実にある都市の名前なのか? というかそれはさておき、伊集院の奴は何をしているのだろうか? 異世界ではライゼンと思われる男に捕らえられてしまっているはずなのだが……。
気づくと電話は一方的に切られていた。きょとんとした様子でこちらを見ている珠緒。
「何かあったの?」
「いや、うちのクラスに伊集院って奴いるじゃん。何でかわからないけどあいつも異世界に来てるんだ」
そのことは伝えていなかったかなぁと思い言ったのだが、珠緒は別段驚くでもなく小さく頷いた。
「友理那ちゃんから聞いたから知ってる。修馬くん達とは、敵対する立場になっているんでしょ」
「そうなんだよねぇ……」
伊集院は魔族と同盟関係にあるグローディウス帝国に所属しているため、こちらの世界でも今後戦うことになるかもしれないこと。そして認めたくはないのだが、伊集院は強力な魔法を使いこなすらしいことを、珠緒に簡潔に伝えた。
「まさか今回のことで、クラスメイトと争うことになるとは思わなかったけどねぇ」
珠緒は哀しいような、落胆したような複雑な面持ちでそう語る。しかし複雑な感情なのは修馬も同じだ。一応あいつとは幼馴染なのだから。
「けど伊集院の奴、異世界ではライゼンっていう変な男に捕らえられているんだ。今、向こうで俺は、そのライゼンを捜しているんだけど……」
修馬は異世界でライゼンが住んでいると言われている『石の森』を探索していたのだが、ココの放った水流でうっかり流されてしまったのだ。捜索にはもう少し時間がかかるかもしれない。
「助けるの? 伊集院くんのこと」
珠緒にそう聞かれるが、修馬はうまく答えが出せない。ライゼンの首はシャンディが取ると言っていたが、その後伊集院をどう処理すれば良いだろうか? 伊集院も修馬と同じく、異世界では死ぬことはないはずだが、かと言って放置しておくわけにもいかないだろう。
「それは……」
そう口を開いたその時、突然空から光が発せられ、何かが爆発するような大きな音が鳴り轟いた。北の方角。善光寺の上空付近から雷が落ちたようだ。
「善光寺かぁ……」
信州善光寺とは、一光三尊阿弥陀如来を御本尊として、古より、民衆の心の拠り所として厚く信仰されてきた長野を代表する寺院だ。
「さっき電話で善光寺って言ってたけど、もしかしてそこに伊集院くんがいるってこと?」
珠緒に言われるも、修馬は静かに首を横に振った。正直それはわからない。しかし先程の雷といい、そこで何か起きている予感はしている。
「守屋、『にえ』って何だろう?」
不意に思い出す戦鬼の言葉。伊集院の代わりに龍神の贄となるか。奴は確かそんなことを言っていた。
「生贄とかの贄だったら、神に捧げる食物や供物のことだと思うけど」
「い、生贄?」
「長野だと諏訪大社の御柱の話が有名だけど、人間を生贄にすることは人身御供なんて言い方もするよね。当時の人間にとって人身を捧げることこそが、神に対する最大級の奉仕だと考えられていたのよ」
龍神オミノス、封印、生贄。幾つかの言葉が修馬の頭の中に浮かぶ。もしかすると伊集院は、オミノスの封印を解くために必要な生贄にされようとしているのではないだろうか?
その時、再び北の方角で稲妻が光った。大地を揺らすような激しい音が空に響く。
「ひょっとすると伊集院の奴、帝国と魔族に騙されているのかもしれない。ちょっと気になるから、俺、家に帰る前に善光寺に行ってみる」
そう言って前に行こうとする修馬の手を、珠緒が掴み、その行く手を止めた。
「広瀬くんが行くなら、私も一緒に行きます」
急に距離感が近くなり、互いに頬を赤く染める2人。ただそんな甘美な時に浸っている場合でもない。
「けど、善光寺がどうのこうの言っていたのは俺をおびき寄せる罠かもしれないし、最悪、伊集院とも戦うことになるかもしれないよ」
「戦いの邪魔はしません。だけど私は守屋家の人間として、広瀬くんを守護する義務があります。人間と争うのははばかれますが、私の持つ神通力で広瀬くんのことは必ずお守りいたします」
真っすぐな珠緒の視線。それに強い決意を感じた修馬は、深く頷き、前を向き直した。
「ありがとう。けど自分のこともしっかり守ってくれ。俺も出来る範囲内で、守屋のことを守るから」
修馬はそう言ってタクシー乗り場に向かった。珠緒は一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに「はい」と頷き、その後を追った。
そして2人は停車していたタクシーに乗り込み、善光寺へと向かっていった。