第106話 乾地に湧いた水
「戦鬼の首を一撃で……?」
「そ、そんな馬鹿なことがあるかっ!?」
互いの剣を弾き、距離を開けたシャンディとフィルレインは、修馬の背後に倒れる戦鬼の亡骸を見て、困惑の声を上げた。
修馬は鞘に納めた初代守屋光宗『贋作』を見せつけるようにして、目の泳いでいるフィルレインを睨みつける。
「見たか、これが修行の成果。俺の強さは前に戦った時とでは比べ物にならないぞ!」
「修行だと? この短期間でどれだけ強くなれるというのか? 恐らくはお前が手にしているその奇妙な剣が強いだけだろう。とは言え、一体何の魔法が込められていれば戦鬼の首をはねることが出来るというのか……」
理解出来ない事象を目の当たりにして、少々混乱した様子のフィルレイン。戦鬼の体はそれほど硬いという認識のようだ。
「言っておくけど、この剣には何の魔法も込められてはいない。ただ斬るということに特化して造られただけだ」
修馬は攻撃の体勢を取り、鯉口を切る。
対するフィルレインは警戒を強め一歩後ずさったのだが、こちらに気を取られている隙に横からシャンディが再び矢のような突きを放った。辺りに血しぶきが飛び散る。
「くっ!! 阿婆擦れがっ!!」
バランスを崩したフィルレインは一瞬、負傷した左腕を押さえていたが、すぐにその手を放すと己の眼帯を鷲掴みにして強引に剥ぎ取って地面に投げ捨てた。ルビーのように赤い瞳が、その下から現れる。どういうことかはわからないが、あの赤い瞳のお陰で奴は強力な魔法が使えるということだったはずだ。
「私の通り名は『赫灼の魔眼』。この魔眼の力で、お前たちを灰燼にしてくれる!」
フィルレインはサーベルを持つ右手を左に傾けると、薙ぐように横に振り抜いた。波状に広がっていく、地面を伝う炎。だが修馬とシャンディは高く跳び上がり、その魔法攻撃を見事に避けた。
「ふむ、魔眼持ちか……。しかし魔眼と言っても、貴様のは所謂『凡人の魔眼』。恐れる程のものではない」
シャンディの言葉に修馬は首を傾ける。
「凡人の魔眼?」
「ああ。魔眼とは本来、生まれ持った瞳に魔力が宿っている特性のこと。だが凡人の魔眼とは、眼球の代わりに魔玉石を埋め込み、呪いの力によって後天的に魔眼の力を作り出すことだ。その力は本来のものには遠く及ばない。そもそもそんな力に頼らなければならなかったそいつの心根は、何一つ強くならないだろう」
「愚弄するか? 生まれ持った能力だけが全てではない。苦しみに耐え手にした力もまた、その者の実力に違いない」
フィルレインの赤い瞳から湯気のような煙が漏れる。大気を燃やす熱気と共に、遥か頭上に巨大な炎の塊が出現した。
まるで小さな太陽のような炎の球。これを防ぐことは出来ないだろうが、避けることもまた難しそうだ。
初代守屋光宗『贋作』を投げ捨て、流水の剣を召喚した修馬だったが、その背後からやった来たココが何やら呪文を詠唱し始めた。
「輪廻の如く流れ、天地を潤す水の精霊よ。その無尽蔵に溢れる湧水で全てを浄化し給え。『青き激流』!」
乾燥した大地にひびが入る。そのことに驚いたのも束の間、そこから大量の水が噴き出し、そして天に向かって高く伸びていった。
上空を焦がしていた炎は、その水を浴びると急速に大きさが縮んでいき、そしてあっという間に形を失った。その後も水は、間欠泉のように湧き出てくる。
「魔法では僕に勝てないと思うよ」
得意気に語るココ。魔法を消されたフィルレインは、濡れた髪をかき上げて一睨みした。
「どこの子供かと思えば、お前はまさかココ・モンティクレール……。かの大魔導師が、共和国の肩を持つというのか?」
そこでようやく気付いたように、シャンディが目を丸くした。
「君が大魔導師様……?」
ココはシャンディと目が合うと、気恥ずかしそうに微笑み、そしてフィルレインに視線を向けた。
「モンティクレール家は天魔族と因縁があるから当然だよ。帝国が魔族と同盟関係にあるのなら、僕はベルラード三世だって敵に回すつもりさ」
「個人が国家に対して戦いを挑むなど、正気の沙汰とは思えない」
「充分正気さ。それに仲間だっている」
「……それは共和国騎兵旅団と共に、帝国を襲うということか?」
「まさか。それじゃあ戦争だ。僕の仲間はここに……」
そう言って振り返ったココは修馬の姿を見た後に、何故かその背後にじっと視線を向けた。何かと思い修馬も振り返るが、そこには特に何も無かった。
「どうかした?」
修馬が聞くと、ココは「いや」とだけ言って、怪訝そうな表情で前に向き直した。ココとフィルレインの間にあるひび割れからは、今も大量に水が湧き出ている。
「何だかこのところ、魔法が上手に使えないんだ」
そう言うとココの持つ振鼓の杖が、カロンと音を立てた。どこか寂しそうなその音色。
確かに昨日、戦鬼と戦った時も途中で魔法が消えてしまうなど本調子ではないようだった。まだオミノスを封印した時の影響が残っているのだろうか?
皆の動きが止まってしまったその時、地割れから噴き出す水の量が突然数倍から数十倍に増した。天高く噴出する水の柱。そして舞い上がった水が、水泡や水滴となりスコールのように降り落ちてくる。気付けば乾地だった地上が、腰の高さまで水位が上がってきていた。
「うーん。何で制御出来ないのかなぁ?」
ココのそんなのん気な言葉とは裏腹に、修馬には命の危機が迫っていた。そう何度も言うようだが、修馬はカナヅチなのだ。
「ちょっと待って。俺、泳げないんだけど!」
やがて胸の辺りまで水位が上がってくると、多くの奇岩によって発生した乱流によって、修馬は笹舟の如く流されていった。
また溺れ死ぬのか……。やだなぁ。
死が迫ってきているというのに、修馬はどこか他人事のように考えながら、水流に吞まれ流されていった。
―――第24章に続く。