第105話 比類なき剣
西に傾いた日差しを背に、フードを被った人物がこちらに歩み寄ってくる。それはグローディウス帝国の諜報員と思われる者だ。
「ここは共和国との国境地帯である。貴様が帝国の諜報員なら、国家間の信頼を大きく損なうことになるぞ?」
荒野に響く声でシャンディが問い質す。しかし諜報員は、それに対し何も答えない。もう帝国と共和国との間に信頼などというものは存在しないのかもしれない。
そして諜報員はゆっくりと近づいて来たのだが、ふと修馬の顔を目にすると、何故か驚いたように大きく肩を揺らした。
「くくくっ……」
「一体何の笑いだ?」
「これは失敬。込み上げる失笑を押さえられなくてな」
そう言うと諜報員はフードをめくり上げ、顔を露わにした。右目に海賊のような黒い眼帯を付けた、比較的若い男。それはセントルルージュ号で戦った帝国憲兵団のフィルレイン・オズワルドだった。
「お前は憲兵団のっ!!」
「貴様、あの船の沈没で生き残っていたのか? これは嬉しい誤算だ。天稟の魔道士を追ってここまで来たが、思わぬ巡り合わせがあった」
そしてフィルレインは、心底嬉しそうに口角を上げる。何がそこまで喜ばしいというのか?
「やはり帝国憲兵団か……。戦鬼を手懐けているところを見ると、帝国が魔物を軍事利用しているという話は最早否定出来ないぞ」
長剣を抜き、正面にかざすシャンディ。その先にいるフィルレインの背後には、厚手の鎧を着た戦鬼が立っていた。
「手懐けるとは聞き捨てならない。我ら魔族は帝国の人間共と同盟を組んでいるだけだ」
戦鬼は鼻息荒くそう語る。この魔物、人語を使いこなす賢い手合いのようだ。
「おい、魔物。余計なことを言うな」
フィルレインに咎められるが、戦鬼は意に介さないように表情を変えず「本当のことだ」と零した。同盟は組んでいるが、特に仲が良いわけではないらしい。
「あの戦鬼、多分前にウィルセントの近くで会った奴だよ……」
隣にいるココが囁いた。そう言われて思い出したのだが、確かにモレアの石碑がある山の麓で会った戦鬼も鎧を着ていた。
「あの若造と魔道士は俺様の獲物だ。お前はそっちの女の相手でもしていろ」
不遜な態度で指図を出す戦鬼。言われたフィルレインはきつく顔をしかめた。
「あ? 誰に命令しているつもりだ。そもそもそっちの若造は黄昏の……」
そこまで口にしたところで、ガキーンッという大きな金属音が鳴り響いた。疾風の如く速度で、シャンディが突きを見舞ったのだ。だがその咄嗟の攻撃を、フィルレインはサーベルで跳ね返していた。
「挨拶が遅れたが、私は共和国騎兵旅団准将、シャンディ・ビスタプッチだ。ここから生きて帰れると思うなよ、帝国の犬っ!」
「成程。物騒な挨拶をしてくるかと思えば、あのサリオール・ビスタプッチの娘、シャンディ・ビスタプッチだったか。私は帝国憲兵団大佐、フィルレイン・オズワルド。相手にとって不足はない!」
物凄い気迫と共に、剣と剣とがぶつかり合う。シャンディとフィルレインは、鬼気迫る顔で戦闘を繰り広げた。大国の威信をも賭けた戦いだ。
「そういうわけで、お前たちの相手は俺様がしてやろう」
ゆらりと近づいてくる戦鬼。奴は武器である肩に担いだ巨大な金棒を掲げると、地面を叩きつけるように派手に振り下した。かなりの重量があるようで、その動作だけで地面が小さく揺れる。
あの大きな金棒に対抗するには、何の武器を使ったら良いのか? 力では絶対に勝てそうもないので、速度で勝る涼風の双剣か? それとも戦鬼の弱点を探り、それに有効な魔法が備わった武器を使用するか?
「奴には魔法による属性攻撃はあまり有効ではないと思われるぞ」
突然右肩の上に出現した黒い球体のタケミナカタが、こちらの心を読んだように言ってきた。
「急に出てきて何だよ! じゃあ、何の武器で戦えば良いんだ?」
「無属性でも攻撃力の高い武具。それはつまり初代守屋光宗『贋作』とやらが良いと思われる」
「あれか!」
それは剣術の師匠である守屋伊織の高祖父が、天之羽々斬を模して造ったという日本刀。今の修馬が、一番使い慣れている武器でもある。
「俺の剣術の腕の見せ所ってわけか。望むところだ。出でよ、初代守屋光宗『贋作』っ!!」
声を上げる修馬。だが手の中には何の武器も現れなかった。
風を切る音が聞こえてくる。その時、ココに首根っこを掴まれて後ろに倒れたのだが、倒れる体の目の前を、戦鬼の金棒が勢いよく掠めていった。間一髪で攻撃を免れる。
「おいっ、念のためそいつは殺すな! 天稟の魔道士の代わりになるかもしれない!」
シャンディと戦っているフィルレインが、こちらに向かって大きく声を上げた。天稟の魔道士というのは確か、セントルルージュ号の上で伊集院のことを指して言っていた名称だ。あいつの代わりってどういうことだ?
「そうか。お前も黄昏の世界の住人。あの男の代わりに龍神の贄となるか……」
一度仕切り直すように、戦鬼は金棒を肩に担ぐ。その隙にこちらも戦える体制を整えた。
「タケミナカタ、『贋作』の召喚が出来ないぞ!」
「何度も言うようじゃが、異界に現実世界の武具は召喚出来ないぞ。今の儂の力ではな」
「えーっ!?」
そういえばそうだった。現実世界でも神域などでタケミナカタが人型に戻っている時じゃないと、異世界の武器は召喚出来ないのだ。逆に異界でも、球体のタケミナカタでは現実世界の武器を召喚出来ないのは道理。
だったらどうすれば良いのか? とりあえず王宮騎士団の剣でも召喚しようかと思ったが、それをとめるようにココが修馬の手を押さえてきた。
「タケミナカタの力を強めたいんなら、僕がやってあげれると思うよ」
「出来るの!?」
驚く修馬に、ココはこくりと頷く。「行くよ、魔導解放っ!」
ココの体から光が溢れ、足元には大きな魔法陣が浮かび上がった。
同時に光を帯び始めるタケミナカタ。そして眩く発光すると、球状だったタケミナカタが、人型へと姿を変化させた。ただ、そのサイズ感がやばい。球状の時と同じ肩に乗るくらいの大きさだ。これでは完全体とは言えなそう。人型のタケミナカタ(仮)とでもしておこう。
「おお、力がみなぎるわい」
「その大きさでっ!?」
つっこむ修馬のことを、肩の上に座っているタケミナカタ(仮)は冷ややかな目を向ける。
「大きさはそれほど関係ない。そもそも儂は山ほどの大きさがある大男であるからな。まあ、これで現実世界の武器も召喚できるはずじゃ。試してみるがいい」
本当だろうか? 一抹の不安を残しつつ、修馬は再び戦闘態勢を取った。
「出でよ、初代守屋光宗『贋作』っ……」
すると修馬の手のひらが強く光り、そして1本の刀が鞘ごと出現した。見事召喚が成功したようだ。しかし喜びも束の間、それを目にした戦鬼は、大きく口を開けて笑い声を上げた。
「はぁ、はっはっはっ! どんな大それた術を使うのかと思ったが、何だその細い剣は? 非力な人間はそんな物しか持てないようだな!」
「うるせぇ!! これは俺の国が生んだ世界一美しく、世界一強い剣だ。ケダモノが扱う野蛮な武器と一緒にするな!」
左手で鞘を持ち、前に掲げてみせる修馬。
「ほう。だったらその世界一美しい剣とやらを抜いてみろ。それとも怖気づいて抜くことすら出来ぬか?」
「黙れ。これが俺の戦闘スタイル。それと言っておくが、お前にこの剣の美しさを理解することは出来ない。何故ならこの剣を抜いた時、お前の命は既に尽きているからだ」
鞘の持つ手を腰に当て、右手で柄を握りしめた。これは居合抜きの構え。
修馬は心を落ち着かせるように瞼を閉じた。瞼の裏に薄っすらと浮かぶ敵の気配。実際は何も見えないし、集中したことで隣の戦闘の音さえも感知していない。だがその一方で、全てが見えているし、敵の心音すら伝わってくる気がしてくる。
「殺さぬ程度にいたぶってやろう」
戦鬼が動いた。巨体に見合わぬ、素早い強襲。そして修馬は強く目を見開いた。
気合と共に地面を蹴って前へ飛び出す。修馬の速度は、戦鬼のそれを遥かに上回った。鞘の中の刃も走る。人間と魔物、あまりにも大きさの異なる2つの体が交差したその瞬間、戦鬼の首が有無を言わさず吹き飛び、勢いよく宙に舞った。
襲い掛かった時の形相のまま、戦鬼の頭が地面に落下しごろりと転がる。剣を合わせていたシャンディとフィルレインも、その光景を目の当たりにし、深く息を飲み込んだ。
時間差で崩れる、頭部を失った戦鬼の体。鈍い音と共に、砂埃が散った。
修馬は刀に滴る血を地面に振り落とし、静かに鞘の中に納めた。
「これが世界で最も美しく、最も強い剣だ。……そうですよね、伊織さん」